第九十一話 小一郎秀長

 1593年も半ばを過ぎ、前大納言となった小一郎はここまで生きながらえた事に感謝をしていた。

 隠居してから五年、あの時兄とした一方的な約束は果たされ、今も床に伏せることなく過ごせている。

 昨年摩阿が産んだ娘が桜と名付けられた後、程なくして病にかかり死んでしまった時には、代われるのものであればと思ったものだが、それを忘れさせるようにまたも摩阿の妊娠が発覚して、その準備を柊とともにしている最中だった。


 大納言を辞任したのは昨年の事で、甥が内大臣を辞任した後『隠居の身じゃし、わしも辞任してよいか?』と文で尋ねると、兄から許しが出たので辞任することとなった。

 そんな兄からは『茶々が妊娠した事は知っておろう。子が産まれたらそちも上洛してくるがよい』と盛んに文が届いており『柊と相談しながら考えるわ。朝鮮のこともある』と返しているが、兄と久しぶりに会いたいという気持ちもあり、正月頃に上洛するのもよいと考えてもいた。

 ただ、小一郎が懸念している朝鮮との関係は、最悪と言っていい状態で、決して油断して良い状況ではなかった。


 小一郎たちが、筑前国に入り朝鮮との交渉を始めた時、宗氏を始めとするこれまで朝鮮と交渉を行っていた者たちが排除された事で縁が途絶えた者も多く、交渉は暗礁に乗り上げていた。

 それに対して、小一郎は聚楽第で宗氏排除を行った際に知り合った学僧たちの協力を得て外交団を作りあげ、日の本の要求を伝えることにしたが、満足な対話は行われずただ時間だけが過ぎていった。

 朝鮮国内は派閥争いで混沌としていて、どの者と話をすればよいか分からない状態であったし、日の本を蛮族と見下している国に対して、日の本がすり寄る必要もなかったからだ。


 事実上朝鮮との交易が経済の生命線であった宗氏と違い、九州の北部を支配する筑前豊臣家にとっては、朝鮮との交易はあればいいもの程度の認識になっていたし、朝鮮との交易で富を得た豪商の島井宗室など、本来朝鮮との修好に動くはずの者たちは、宗氏排除の煽りを受けて発言力を失っていた。

 博多の豪商たちも、除々にではあるが拡大しつつある明との交易や、南方からもたらされる交易品、そしてまだ噂程度ではあるが、最近持ち上がった蝦夷地開拓に目が向いていて、朝鮮との交易は優先度が低いと見られている。

 その様な情勢であっては、交渉がうまくいくはずもなく、また日本側の提出した要求も相手を見下した高圧的なものであったので、余計にうまくいくはずもなかった。


 帝からの親書(両国の安全な交流のために倭寇の根拠地である済州島の討伐を、朝鮮王に依頼すると書かれていた)を見た朝鮮の王は烈火の如く怒り出し、外交使節を処刑した挙げ句『蛮族が皇帝を名乗り、王に命令するとは無礼千万、今後一切の交流は行わない』と国交断絶を伝えてきた。

 流石にこの事は息子の手に余ると、母の葬儀を終えて国許に戻ったばかりではあったが、すぐに上洛して兄上に謁見を申し出た。

 ただ意外なことに、このことを兄上に伝えても怒りを見せることなく「ほうか」と言った後、「済州島を日の本のものにせよ」といっただけだった。


 その後、兄上と二人きりで話す機会があり、朝鮮について聞いてみたが「朝鮮には大した兵はおらんのじゃろ、まあ明がなにかしてこん限りすぐ勝てるわな」と島一つのみの占領で済ましたとは思えないことを話す。

 朝鮮は平和な時代が長く続いたことで慢心しきっており、全く軍備を整えておらず確かに兄上の見る通りすぐにでも支配できそうではあった。

「兄さ、わしゃあ反対じゃぞ。朝鮮との戦なぞ益がねえわ」

 そう話したのにも理由があった。

 朝鮮に送り込んだ学僧たちは口々に、朝鮮の貧しさを訴えていた。

「兄さも高砂でようわかっていよう。領地を富ますにはごまんと金がいるわ。高砂はまだええ、人がほとんどおらんで、田畑を作れば日の本のもんじゃ、じゃが」

 そこまで言うと秀吉も「わかっておる。日の本を敬わない者たちが住む国を日の本のもんにしよう思うたら、何百年かかるか分からんわ。金も日の本や高砂、これから加わる呂宋などにかけたほうがよっぽどええわ」と認識は同じようだった。

「それに、朝鮮まで手を出すと流石に明が出てきかねん。済州島までは言い訳できるが、南に兵を向けているときに明とまで戦をするのは悪手じゃわ」

「そう思うとるんなら安心じゃ、松丸に初陣の手ほどきもせんならん。戻るわ」

 そう言って小一郎は聚楽第を後にした。


 とはいえ国許に戻ってから、小一郎がしたことはあまり多くはなかった。

 流刑地として使われていることが示すように、価値を見出されていない島を占領することに大した兵力も必要ないと思われたし、国交断絶されている状態で、朝鮮に何かを知らせることもできなかったからだ。

 明には、こちらの言い分を記した文を送り、正当性を伝えたが、したことといえばそれだけだった。

 一応息子には「餅は済州を水軍の拠点にと考えとるようじゃ、藤堂佐渡など築城に明るいものも連れて行くがよかろう」と言ったが「分かっております」と自信を漲らせ答える息子を頼もしく思っただけだった。

 そして三月に出陣した息子が、四月にならぬうちに滞りなく済州島と占領したことを伝えてきた事は、何よりも小一郎を安心させた。

 佐渡守に済州島を任せて戻ってきた息子を出迎え、甥の勝利を聞き、また摩阿の懐妊を喜び、この年の半分は瞬く間に過ぎていった。


「柊よ、長い間支えてくれてすまんのう。松丸も独り立ちの目処が立ったわ。兄さが煩あていかん、次の正月には上洛して顔を見せるものよかろう」

「朝鮮の事は良いのですか?殿下にはそうおっしゃっているではありませんか?」

「今のところ動きはなさそうじゃ、正月までにはもっと詳しいこともわかるじゃろ。それに大抵のことは松丸に任せてええ」

「でしたら久方ぶりに義姉上に会うて、積もる話もしとうございます」

「おおよ、急いで戻らずとも良い。上方を見て回るのもよかろう」

 こうして、柊との変わらぬ会話を楽しんで床に向かう。


 次の日もいつも通りの日々を過ごしていた。

 孫の梛を膝に乗せて、最近学問や鍛錬を始めてだした孫の松丸が、馬に乗る姿を眺めているとふと気分が悪くなり「すまぬ梛、じじは少し厠に行ってくるわ、すぐ戻って来るゆえここで大人しくしておれ」といって立ち上がった。

 そして数歩歩き、さらに気分が悪くなったなと感じた後、次に気がついた時には床に伏せていた。

 柊は机に向かって文を書いていたが、かん高い幼子の叫び声と、その後に続く医師を呼ぶ男の声を聞いて飛び出すと、上等な衣を着ていることも忘れて声のした場所に向かう。

 そこには血を吐いて意識を失った夫の姿があった。


 衣を血で汚しながら、夫を抱いて「はよう、はよう典医を」と叫んでいると控えていた医者が到着し、近習の力を借りて床へと運んだ。

 それから数日、目を覚ますことはなく、ようやく目を覚ましたのは三日後の事だった。

「ここは」か細い声で何とかいうと、全てを察したのだろう柊は「三日前、血を吐いて倒れられました。今はお休みくださいませ」と言った。

 何とか引き伸ばした時間もそろそろ終りなのかと理解して「ほうか」と言ってまた意識を手放す。

 前大納言倒れるという知らせは、瞬く間に日本中に広まっていった。

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