第八十七話 秀吉の幸せ

 1593年、戦地に向かった夫の無事を祈りつつも、更級は変わらぬ生活を続けていた。

 昨年生まれた三番目の男子の出産のときは、いつものように大賑わいで、北政所様から男子誕生の知らせを受けると飛ぶように殿下がやってきて、加賀の前田様と佐吉殿からの戻って来る様にという催促を無視して結局姫路に一月近く滞在することになった。


 その間殿下は孫に囲まれて、大きくなって戦に興味を持ち始めた瑞雲丸や正寿丸に飽きることなく戦の話を聞かせ、幼い明石と遊んでは二人とも疲れてともに昼寝をするなど孫の世話をして過ごしている。

 殿下は子ども好きだとは聞いていたが、聞いていた以上であったようで、新しく生まれた赤子に「懐かしいのう」と言いながら下の世話をまでして奥の女たちを慌てさせたり、孫たちが通う兵法道場や宗乙殿の学問所を訪れるなど天下人というより好々爺の生活を楽しんだ。


 流石に赤子の下の世話をしたことは、朝日様に叱られたらしい。

 ただ全く堪えた様子はなく「餅丸の時は、又左殿やまつ殿に手伝ってもらってばかりでなく、藤吉郎殿も世話をと言っておったのにおなごと言うものは全く勝手なものじゃわ」と零していた。


 寺の学問所では虎哉宗乙様の歓待を受けて「御坊久しいの、お互い年を取ったものよのう」と殿下が声をかけ、しばらくすると二人とも縁側に腰を掛けて「そういえば」と言って出してきた茶碗で二人して茶を飲みながら、学問を学ぶため寺に通う童たちの姿を見つつ昔話に興じている。

 急いで出してきた茶碗について「御坊古い茶碗じゃが由緒あるものか」と殿下が聞くと「私のは長浜の市で二束三文で買ったもの、殿下がお持ちなのは餅丸様、いや公方様が長浜の台所からいらぬ茶碗はないかと台所衆に聞いて持って来たものでございます。時折こうして公方様と縁側で茶を楽しんだことを思い出しまして、殿下と思い出話をするのに相応しかろうと引っ張り出してまいりました」と御坊が答えた。

「なるほどわしにとっては、天下一の名物じゃ。これ以上の馳走はないのう」としみじみと殿下は言って、その後もしばらくの間二人の話は続いた。

 そして孫たちが学問を終えると「今日はどうであった?」と問いながら手を引いて、孫たちの報告に「それはすごいのう」と言いながら城へと帰っていく姿は幸せそうに見えたものだった。


 兵法道場ではまさかの来客に皆が驚き、さしもの厳十郎殿も啞然とするばかり、さらに正寿丸が子どもらしく無邪気に「おじじ様は天下で一番お強いと聞きました。師匠より強いのですか?」と聞いて道場は沈黙に包まれた。

 だが殿下は全く気にせず「ほうじゃのう、刀を持てば厳十郎がつよかろう、兵を率いればわしが勝つわ。正寿はどう強くなりたいんじゃ」と聞いた。

「強くなって父上のお役に立ちたいです」と答えると殿下は微笑んで「では兵法も学問も精進せねばのう。良き武士になるにはそれが一番じゃ。そうじゃ今夜もまた戦の話を聞かせてやろう、強くなるのに役立つこともあるじゃろう」と言うと正寿は嬉しそうに「はい」と答えて皆に混ざると共に刀を振っている。

「厳十郎よ正寿は強くなりたいそうじゃ頼んだぞ」と殿下が言うと「ははっ、必ずや」と緊張した面持ちで厳十郎殿は答え、殿下は満足そうに用意された床几に座って、孫たちが木刀を振る様子を飽きることなく見つめていた。


 殿下はこの様に姫路の生活を楽しんでいたが、あまりに長い滞在に、遂に北政所様が姫路に来て「お前様そろそろよろしいでしょう。又左様や佐吉も苦労しております」と聚楽第に戻る様に催促にやってきた。

「じゃがのう、子が生まれたばかりの更級の体が心配でのう」と殿下は抵抗したが「母上から宗乙坊の所や厳十郎殿の所にも御台所を連れ回していたと聞きましたが」と言われて言葉を失った。


 それでも未だ決心のつかない殿下に「殿下、夫は南に戦に出ておりますゆえ、ややこの名をどう決めようか思案しておりましたが、よく世話もしていただきましたし、せっかくですから殿下に決めてもらいたく思います」と提案すると「ねねよ、すぐさま畿内の名僧を集めよと佐吉に申し伝えよ」と大声で命じる。

 ため息交じりに「お前様、聚楽第にお戻りになるのですか?」と聞かれると「たわけが、又左や佐吉が苦労しているというではないか、戻らぬわけにはいくまい」と先程までのことを忘れて何を当然のことをといった風に答える。


 流石の北政所様も余りの変化に呆れて「何度か文を送ったと聞いておりますが」と言うが「そうであったのか、文を見ておればすぐさま舞い戻ったのじゃが」と全く悪びれる様子もなく殿下は言い放つ。

「又左様にもそうお伝えくださいまし」と怒った風に北政所様は言ったが、きっと又左様は怒ることなどせずに「おお藤吉郎姫路は楽しかったか」などと言って姫路での話を楽しげに聞くのだろうなとも思った。

 ならば私がここは灸を据えてやらねばと決心した北政所は、怒った顔を作りいざ口を開くかという段になって、それを察した殿下に「そうじゃねねも孫たちとしばし過ごすがよいわ、正月までに戻ってくればよい」と機先を制される事になった。

 孫と過ごしてよいと殿下に言われると、先程までの怒った表情はなくなり、しょうがないですねと今にも言いそうな雰囲気となっている。

 二人して孫に弱いのは同じらしい。


 結局数日してから殿下が京に戻った後は、北政所様が滞在することになり、子どもたちは大いに喜んだ。

 赤子の名は殿下が散々悩んだらしく、思った以上に時間がかかったが、日寿丸とせよと文が届いた。

 聞くところによると、名を考えた者が「殿下は日輪の加護を受けておられると聞き及び、また瑞雲丸様は豊家の吉兆であると名付けられ、正寿様は元寇を成敗した当時の執権から取って、琉球と高砂の征伐成功を祈念したものと聞いております」と話し始め。

「日の字は日輪から取り、また日の本にも通じておりまする。それに寿を加え新たな男子の誕生は日の本の喜びであることを表し、また此度の南征が日の本にとってめでたきものとなるよう祈念したものでございまする」と説明したらしい。

 他にも名高き僧が様々な名を提案し、殿下をさんざん悩ませたが最終的にこの名を選んだようだ。


 このように日寿丸と決められたことや、殿下と北政所様の姫路での様子などしたためて南方への文とした。

 きっと大喜びで返事の文を書くように命じて、笑円が呆れた様子で付き合う様を想像して笑みが溢れる。

 そして淀城から更級を大きく喜ばす文が届く日も近づいていた。

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