第八十六話 初戦のあと

 1593年二月も半ばを過ぎると、送り込んだ別動隊からも次々と報告が届けられていた。

 まず最も早く呂宋に上陸した真田信繁だが、カガヤンに上陸した後砦を築いて、上陸してきたスペイン軍を伏兵で打ち破ると、その地を木下重堅に兵二千を預けて任せマニラの本隊に合流した。

 途中海岸沿いに船を進めて、いくつかの町を攻め落として、配下に兵を分けて占領を行いながらの移動を行ったので、マニラに着いたときには五千ほどに兵を減らしての合流だった。

 しかしながら北部呂宋を支配するために必要だと考えていたサンフェルナンドを、清水政勝に兵千五百を与えて占領しているなど要地を得ての合流であり、作戦を練っている官兵衛や補給を任された行長を大いに喜ばせた。

 合流後はマニラ周辺を支配下に置くために、同じ任務を任された森長可率いる肥後勢とともに、それぞれ五千の兵を率いて各地で暴れている。


 バタンガスに攻め込んだ日向勢は兵力が少ないこともあり攻め落とすことに多少の苦戦はしたが、ミンドロ島の占領を行っていた島津に援軍を求めた結果、増援としてやってきた島津兵が到着すると、その力も借りて占領を成功させている。

 今は、島津兵を戻して日向勢でバタンガスの慰撫に努めていると聞いている。


 諸島占領を任された立花と小早川は、流石というべきか、ろくな敵がいないこともあり、次々と島を占領していき立花宗虎(宗茂)は既にマスバテ島にあり、小早川秀包はバラワン島の侵攻のために調査を始めていると報告があった。

 あまりに早い侵攻に慌てて、立花軍にはマスバテ島占領後は守りを固める様に指示を出し、小早川軍には調査に留めて、侵攻は命令があってからとするように文を送った程だった。


 唯一誤算であったのは、バナイ島へ送った大友と長宗我部の連合軍だった。

 途中、スペインの軍船と遭遇して長宗我部軍は交戦。

 別働隊として動いている大友へ援軍を頼んだが、どこでどう情報が錯綜したのか、長宗我部元親殿が討ち死にし敗北したと信じた大友義統は高砂に撤退してしまった。

 実際は長宗我部軍はスペインの軍船を退け、そのままバナイ島へ侵攻、作戦目標であったカピスを占領してその後もスペインの拠点を落とし続けていた。

 大きく名を挙げた長宗我部とは逆に大友義統は大きく名を下げる結果となり、おそらく父上の逆鱗に触れ改易となるだろうと考えている。


 朝鮮から呂宋に場所を変えても同じようなことが起こるのは歴史の皮肉としか言いようがないが、大友の家臣たちも少なくとも減封は避けられないだろうと感じていているようだ。

 官兵衛からは「減封となれば大友に恩を売る好機にございます」との進言も受けている。

 既に大友義統と関係が悪くなっており、名将と名高い志賀親次に対して、直臣として取り立てると伝えてもいた。

 後の話となるが、予想通り大友家は改易され多くの者が所領を失うこととなる。

 たがそれも南征軍に大きな混乱をもたらさなかった。

 高砂の加藤清正のもとで蟄居の処分を受けていた大友義統は、既に兵権を取り上げられて、大友の兵たちは既に各軍に派遣されていたからだ。

 大友の旧臣たちは軍功をたてて、自らの所領を回復させるべく働いたし、誰かの目にとまり家臣の誘いを得るべく必死に働くことになる。

 とはいえこれは未来の事で、今の南征軍にとっては預かり知らぬ事だった。



 マニラ政庁の一室で南征軍の首脳が集められ、今後についての密儀が行われようとしていた。

 とはいっても、将たちの多くはいまだ占領地の統治にかかりきりで、さらには真田や森といったマニラにいるはずの将でさえ出陣中であり、総大将である自分と官兵衛それに小西行長といういつもと変わらないものであった。

 真っ先に口を開いた官兵衛が「ほぼ無傷でここを制圧できたこと誠に奇貨でございましたな。イスパニアの文や地図など多くが残り、マンショ殿のおかげで南蛮のこと手に取るようにわかりますわ」と言ったが、誰しもが反論する気すら起きない程残された物は役に立っている。


「あの程度の兵が主力であったとは拍子抜けでんな」

 小西行長の言葉であったが、自分も含めマニラに千程の兵しかいなかったことに驚いているというのが実際のところだった。

 パルマ公程の人物を送ったからには万単位での増援があると考えていたが、少なくとも呂宋には振り分けられていないようだった。

「宣教師たちは父上から唐攻めのことを多く聞いていたはず、マカオに兵を集めたやもしれん」

「ありえんことではございまへんな。高砂にも気ぃつけるよう文を送ってくだされ」

 そう言うと行長は話を変えて「で日の本からの民はいつ頃になりそうでっか」と聞いてくる。

 内政を行うことになる行長にとっては、最も気になることであるはずだ。


「父上には戦勝の知らせを送ったが、父上から民が届くのは数ヶ月先となろう、それからとなれば年が明けてからということもありえる。たが紀之介に命じて呂宋が落ちねば高砂の移民にすればよいと、人を集め姫路より送るように伝えておる。数は多くないがそれならば後少しで到着するであろう」

 それを聞いて満面の笑みを浮かべた後、難しい顔をして「しかし武蔵守殿はやりすぎですわ、あれほど明の商人を相手に暴れるなど、当分寄り付きまへんで」と言う。


 やりすぎぬようにとの言葉を受けたはずの森長可ではあったが、嫌がる官兵衛が重い腰を上げて現場に向かい到着したときには、すでに女子供問わず打ち捨てて血の海が広がっていた。

「これはどういう」と聞く官兵衛に森長可は「おう、やっと来たか官兵衛殿。確かに餅の言う通りやりすぎはよくないと思うてな。燃やすのはやめておいた。溜め込んだものを売れば軍資金の足しになるし、売れずとも民や兵に分け与えても良い。屋敷があれば最悪兵どもが雨風をしのげよう」と満足気に全く悪びれず答えたという。

「まあ、程なく日の本の商人がやって来よう。明の商人に利益を与えるより、日の本の商人の利益が増えて良かったと思うことにしよう」

 とは言ったものの、根切りにするほど暴れまわるとは予想外ではないがするとは思わず、反抗的な者は皆黙ったが、少しやりすぎだとは思っている。

 皆の反応も概ね同じで、事が起きてしまえばまあ武蔵守殿であればと妙な納得感で受け入れていた。


「武蔵守殿のことはさておき、次でございますな。さらに南に向かえば伴天連とはまた違う神を敬う者たちの国があるようにございますな」

 官兵衛は行われることがないであろう、武蔵守の処罰を棚上げして話題を変えた。

 秀持はイスラム国家があることは知識としては知っていたが、この時点であれば大きな影響力を持たせず日本化できるとも思っていたからさほど気にすることなく答える。

「いずれ日の本に帰属するか戦をするか選ばせることになるが、まずは使者を送り友好的に接する」

「残念ではございますが、今年いっぱいは手に入れた領土の整備で新たな戦もままなりますまい。使者を送るしかできることもありませんな」

 その官兵衛の言葉には皆頷くしかなかった。


「とりあえずは、人が来るまで今あるもんでやるしかなさそうでんな。イスパニアとは違うと少し色つけますさかい金はかかりますが堪忍してくだされ」

 行長の言葉に「ああ」と答えた後「こんなところか」と言って大きく息を吐く。

 そう言った後、二人から特に意見は出なかったので解散となった。

 ふと、今日の本はどうなっているのであろうかと思ったが、時折送られて来る文以外に知るすべはなく、すぐに呂宋の統治をどうするかに意識を傾けた。

 しかしその頃、主人のいない姫路の城に大きな知らせが届いていた。

 姫路に届いた文の内容は茶々の懐妊を知らせるものであった。

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