第八十三話 高砂の日々

 薩摩を出航した南征軍は、自分が出航したあとも次々と薩摩から船団を送り出し、1592年十一月ともなると全軍が高砂に集結して開戦の日を待ちわびているようであった。

 ここに到着するまでの間、各地に寄港して歓待を受ける事になった船団は、まず最初に琉球で亀井茲矩の歓待を受ける事となった。


 琉球では、農学校による農業改革が行われており、明より持ち込んだサツマイモとサトウキビが、農業生産力の低かった琉球において前者は主食として、後者は経済作物として有望であると茲矩も感じているらしく、今後の発展に大きな自信をのぞかせている。

「日の本への忠誠は問題ないか?」と問うと日に焼けて黒くなった体を揺らし「若お任せ下され。豊かになればすぐに日の本に忠誠を誓いましょう。そしてそうなる日も近うございまする」と言って茲矩は豪快に笑った。

 そして「今はまだ領内で手一杯ではございますが、高砂や日の本でなにかあれば新十郎が槍を担いで参ることもすぐにできるようになりましょう。若の晴れ舞台に槍働きできぬのは無念でございますが、琉球のことは何も心配いりませぬ」との心強い言葉をもらい琉球を後にした。


 しばしの航海のあと高砂の北部にある尼子領へと到着する。

 そこでは、久しぶりに尼子秀久とそして長年共に暮らした秀久の正室で叔父上と柊様の娘桐殿と再会することができた。

 尼子領は入植が始まって数年と間もないこともあり、活気と喧騒にあふれた地という印象を持った。

 まだまだ全てが出来ておらず、真新しい道や建物と建設途中のものが混じり合ったかのような町並みだった。

 なんとか城は完成していたが、港はさらに拡張する様子で多くの人夫たちが働いている。


「まだまだあれもこれも足りずに、家臣たちと動き回っているだけで日が過ぎていきます」と秀久は楽しそうに口にした。

 母上からの手紙を渡すと桐殿は「このように北政所様からの文を見ると少し日の本が懐かしく感じますが、普段はそのようなことなど考える暇もありません。ですが桐は楽しく夫と共に暮らしております」と今の生活に全く不満はないようだった。

「田畑も広がり、町もでき、人も増えております。殿下への大恩返すのはまだまだ先となりましょうが、必ずやこの地を豊臣の地としてみせます」と秀久は言った。

 数日滞在して、桐殿と思い出話などして過ごした後、船団はさらに南下して一柳領へと入る。


 ここは明との係争地となっている豊湖諸島と近いことから、尼子領よりも防衛に力を入れているように見えた。

 ただ港には数隻のジャンク船の姿も見え、細々とではあるが明との交易も行っている様子が見て取れる。

 一柳直末の話では現在の所、明との関係は良好のようで定期的に学僧や商人を送り込みながら情報収集を行っているが、大きな動きは見られないようだ。

 父上からも学僧たちが送られてきており、特に曲直瀬道三を始めとした医者たちの要望を聞き入れる形で、病の新たな治療法を求めて多くの者が高砂に送られて来ていると話してくれた。

 一柳家は父上から自分に与えられた家臣であり、主に自分や妙田たちの要望を受けて農業技術の獲得に動いてくれているようだが、父上によって高砂に送り込まれた寺沢家には父上の要望に従って畿内から多くの者が来ているらしい。


 ただ父上らしく、儒学などの中華の思想や仏教の経典などには興味を示さず、現在は道三たちが要求する医療技術と父上が求めている明の陶磁器の技術を得るのが主な目的になっているようだ。

 父上が求めるものは、今後の日本にとっても重要な技術でその流れを止める必要はないと感じた。

 防衛に関しては、陸上の備えは一柳家と寺沢家が、海上防衛は心得のある松浦家が主に担っていて、明との海戦の後、築かれた城や砦を中心に守っていると聞かされた。

 当然、まだまだ高砂で賄える兵力は大きなものではなく、何かあれば援軍を求めることになるが、それでも兵力は増え続けており、十年もすれば高砂の兵だけでかなりの持久が図れるだろうと自信を覗かせていた。

 

 そして、一柳領を後にすると遂に目的地である加藤清正の領地に船団は到着する。

 そこには、前線基地として流石は清正と言いたくなる立派な城が建てられており、巨大な港には豊臣と真田の旗が掲げられた船が出陣を今か今かと待っていた。

 自分を迎えたのは領主である加藤清正と、先に高砂に入っていた義兄真田信繁、そして小西行長だった。

 清正は自分の姿を見て泣き、母上の手紙を見て泣きといったところで、全く話のできる様子ではなかった。

 兄上は嫡男が生まれたことを伝えられると「これで思い残すことはございません」と言うので「これからも支えてもらわねば困る」と困り果てて伝えるのが精一杯だった。


 小西行長は相変わらずの態度で「で次はどこに港を作ればいいんでっか、神戸代官と聞いとりましたが、余りにも無理がありまへんか?」と疲れた顔で聞いてくる、これには清正が「餅丸様に何たる口の聞き方じゃ」と怒っている。やはり相性は良くないようだ。

「安心せよ弥九郎、神戸代官はそちの兄に任せてきた。これからは南方奉行として、南方軍の兵糧の指揮とマニラの整備を任せる」

 そう言うとを心底嫌そうな顔をして「うけたまわります」と行長が答えると清正はいい気味じゃといった表情であったので「それと虎には日の本からの物資の輸送任せる。佐吉や紀ノ介と相談しながら必要なものをここに集めて弥九郎に送り届けよ」と命じると今度は行長がいい気味じゃといった表情をして、清正は行長を睨んでいる。やはり相性は良くないようだ。


 城に入ると一室を用いて作戦会議が行われる。

 参加者は官兵衛を加えた五名で、内容は姫路でのものとほとんど変わりない。

「兄上には呂宋の北に上陸して敵を引き付ける役割をお願い致します。南蛮の大筒は日の本の物より強力と聞きます。砦などを作り被害が大きくならないよう注意して下され」

 そう言うと、真田信繁は大きくうなずく。

 その後も姫路で諸大名に説明した計画と同じ話を伝えた。


 質問をしてきたのは小西行長だった。

「呂宋南方の島を目標としとりますが、そんなに価値があるんでっか?」

「マンショから聞いたのだが、このあたりの島で栽培しておるものが、南蛮ではたいそう価値のあるものらしい。彼らが食べる肉を保存するのに使うらしく、我らの交易の品とすることで、南蛮から大量の金銀を得ることもできるであろうと思っておる」

 香辛料諸島を支配して、欧州との有利な貿易と和平を得るのが自分の考えた基本方針だ。

「確かに金銀はいくらあっても困ることありまへんな。でもそれだけではおまへんのでっしゃろ」

 そう言いながら行長は笑っている。

「まあ、そうなのだが、戦が上手く行けばの話でどうなるかは分からん」

 その話までは聞き出そうとせずに「楽しみにしておきますわ」と言って行長はこの話を切った。


 そして、占領地の統治や出陣の日などの確認が行われていく。

 その結果真田の出陣は十二月一日、その後正月一日を目処に本隊がマニラに向けて出陣し、順次各隊が出陣していくことが決められた。

 後は出陣を待つばかりとなった十二月、日の本からの知らせが届く。

 内容はなかのお祖母様がなくなったというものであった。

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