第八十一話 一時の別れ

 昨日の大騒ぎから一夜明け、多くの大名が国許へと兵をまとめに戻ると、姫路はいつもの姿を取り戻していた。

 とはいえ、南方作戦の本隊となる播磨勢の出陣が控えているので、完全にいつもの姿に戻ったわけではないが、ここ数年は移民や軍事物資の輸送で港が大騒ぎとなっているのは日常茶飯事なので、姫路の人々にとってはいつもの姿といってよかった。

 秀持はいつものように、兵の動員や戦の準備などは配下の者たちに任せているので、数日後に出陣を控えているにも関わらず時間を持て余している。

 今は奥で出産を控えて少しお腹が大きくなってきた更級に膝枕をしてもらいながら時間を過ごしていた。


「どのくらい戦はかかりそうなのですか?」

「三年から四年といったところかな、無理に攻めて兵を失いたくはない。慎重に攻める予定にしたから」

「そんなにも。寂しいですね」

「うん寂しい」

 そういうと更級は少し笑ってまた言葉をかけてきた。

「播磨にきた時も同じことを言ってました」

「十年たっても変わってないのか」

「もう十分に幸せにしてもらいました。変わってもいいんですよ」

「更級でいいし更級がいい」

「ほんとに変わってないですね」

 その言葉からお互い無言の時間が流れる。

 それを中断させたのは、最近更級の親衛隊長のような役割になっている吉岡奈古だった。


 姫路の奥は更級を中心としているが、事実上の運営はあこ様が担っていて、更級の仕事の大半はカタリナが担っている。

 更級は侍女たちに武芸の稽古をつけたり、子どもをカタリナとともに面倒をみたり個人的に親しい茶々殿や母上や柊様、豪や柚などともに暮らした者と手紙を交わしたりといった事をして過ごしており奥の経営にはあまり関わっていない。

 更級に鍛えられた侍女たちは奈古を中心として遠出の際の護衛として働き、奥の警備も彼女たちの役目となっている。

 確かに武家の侍女らしいといえばらしいが、大坂の奥とは全く違う奥が姫路では生まれていた。


 事実上の責任者であるあこ様や相談役のような役割になっている朝日様は「更級様らしくていいではないですか」と全く問題にしないし、カタリナも「私たちの護衛に城の皆様の手を煩わせるのも」と言って問題にしない。

 一応の抵抗として奈古殿に縁談を勧めているが、更級は「カタリナのように奈古にもずっといてもらえる相手がいいですね」と狙いとは全く違う方向で縁談が進みそうであった。

 そんな奈古殿が「公方様、御台様、北政所様が参っております」と知らせてきた。


「母上が」とすぐに立ち上がり更級とともに母上のもとに向かう、出陣前に会いたいと思っていたこともありつい足早となっていた。



 更級とともに姫路の謁見の間に到着すると既に母上は謁見の間で座っていた。

「殿下より出陣に際しての品とお言葉を伝えに参りました。殿下は日の本の将軍として戦果を期待しておると申しておりました」

 父上から出陣の餞として送られたのは、立派な刀で「足利家伝来の刀でかつて鬼を切ったとの謂れのある一振りじゃ、京では南蛮人は鬼であると噂されたこともある。南征に向かう将軍が持つにふさわしかろう」と文が添えてあった。

 気丈に話す母上に「関白殿下からのお言葉ありがたく、必ずや南蛮を平定してご覧にいれますと関白殿下にお伝え下され」と答えたが気丈な対応ができたのはここまでだった。


「母上の見送りありがたく、豊臣の子として立派に戦って参ります。父上を更級をどうかお頼み申します」

 涙ながらに母上に伝えると、母上も涙ながらに「一目別れを申したいと殿下には無理を言って参りました。何よりも無事に戻って来ることを祈っております」との母上の言葉に「必ずや」と言うのが精一杯だった。


 更級が「義母上様いつまで姫路にいてくださるのですか?」と聞くと「あまり長くは居れません。出産の頃にはおまつ様とまた参りますが、出陣を見送ったあとはすぐに戻らねばなりません」と母上は答える。

「ではそれまで、奥でお過ごしください。朝日様もあこ様もいらっしゃいますし、義姉上や小屋様も呼んで、そうだ義姉上たちには母上の世話を命じましょう。大丈夫です姫路の奥の事は私に任せて下さい」と明るくいうと母上の腕をつかんで強引に連れていく。

「奈古、竹中様のもとに行って小屋様を、カタリナはすぐに姉上を連れてきて下さい」と言いながら奥に消えていった。


 急な展開であったが正直更級に助けられたという思いが強い。

 あのままであれば涙ながらに母上との別れをする事になっただろうが、共に笑いながら出陣を迎えられそうだった。

 奥に戻ろうかと思案していると、あいかわらず楽しそうに「よかったですね餅丸様」とあこ様が話しかけてきた。


「更級様は更級様ですね。ねね様もお心少しは晴れるでしょう」

 そういうあこ様に「あこ様、更級のことよろしくお願いします」というと「いいですよ。知ってましたか?私、餅丸様と更級様のこと自分の子どもの様に思っているのですよ」といつも通りの態度で請負ってくれた。

「知っていました。知っていましたか?あこ様のこと母上の様に思っていること」と自分が言うとあこ様は「知っていましたが、餅丸様にはもう少し孝行を学んで欲しいですね」とあいかわらずの態度を見せる。

 ため息混じりに「そういう事を言うからですよ」と言ったが全く聞いていない様子で「更級様のことは任されました。その代わりなにか珍しい物を持って帰ってくださいね」と言ってその場から離れていった。

 またため息が出そうになるが、正直この様な態度に助けられているとも感じていた。


 それからの数日は、昔に戻ったのように皆の笑い声に包まれる日々を過ごした。

 小屋殿は昔を懐かしむように母上の世話をして、母上は母上で娘の様に二人を扱っていた。

 更級やあこ様は朝日様に小言を言われるのを楽しんでいたし、途中岡山から八郎と豪が来ると明石に「父上母上と呼んでくれぬか」と豪は言ったが、明石は更級に縋る様にして「母しゃまは母しゃまだけ」と言って泣くとそれもまた皆を笑顔にさせた。

 そして瞬く間に日々は過ぎ出陣の時を迎えた。



 出陣の日は、またもや盛大なものとなっている。

 母上や更級たちとは既に別れを済ませ、母上からは「御身大事に」という言葉と「桐殿と虎に」と言って手紙を預かっていた。

 官兵衛には「官兵衛殿お願い致します」と何度も言葉をかけたようで、小牧長久手の戦を思い出させた。


 更級からは「身重でなければ付いて行ったのに」といつも通りの言葉と「必ず帰ってきてください」という言葉をかけられた。

 八郎は「兄上、宇喜多はいつでも出陣できまする」と力強い言葉を伝えてくれた。

 大勢の民に見送られ船に乗り込み薩摩へ向かう。

 日本を立つ日は間近に迫っていた。

 そして、母上がすぐに戻らなければと言った意味も、南方への準備に気を取られ考えることはなかった。

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