第八十話 南征軍方針

1592年七月、京からの行軍を終えて姫路に立ち寄った軍勢は、それぞれの家臣と軍勢を率いて国許に戻り、そこで兵をまとめて薩摩に集結したあと渡海を予定している。

 軍勢が姫路についたのは日も沈んだ後だったので、諸大名たちは姫路の城で行われる宴に参加してから、明日出立することになった。


「皆、京からご苦労であった。明日からも苦労をかけるが、今夜は足軽に至るまで浴びることの出来るほど酒を用意しておる。無論肴も食べ切れぬ程用意させた。楽しんでもらえると嬉しい」

 そういった後「だが、官軍となったからには羽目を外しすぎて狼藉などないようにな。それと明日は船というものも多くいよう。酔いを残して船から落ちたとなれば子々孫々までの恥となると兵たちにも言い聞かせよ」と言って宴は始まった。


 しばらくは何事もなく時間が進んでいたが、これ程の大名たちが集まると目端の利くものもいて、初めに声を上げたのは長宗我部元親であった。

 嫡子を九州征伐で失い覇気を失ったなどと言われてもいたが、一時は四国を統一するほどの勢いを見せ、総見院様や父上とも張り合っただけの事はあり「公方様、長宗我部の家は朝敵を尽く討ち果す所存、何なりと下知を賜りたく」と酔いに任せて吠えたかのように宣言した。


 それを聞いて怒り心頭といった表情で勝蔵様が「わしの言葉を取るでないわ土佐侍従」と言って一瞬険悪な雰囲気漂う。

 だが姉の娘婿であり、その縁で交流もある島津豊久が「しっかし帝と関白殿下それに公方様の命とあれば血がたぎって仕方なか、公方様先駆けは島津にまかせたもんせ」と言うと皆が先陣を争うことになり、長宗我部と森の対立といった雰囲気は吹き飛んだ。

 勝蔵様は「播磨公方が戦に出れば先陣は森と決まっておる」と相変わらずの主張をすると、立花や小早川といった者たちも先陣を競う様に願い出て次第に喧騒は大きくなっていく。


 その様子を見ながらどの様に収めたものかと困った顔をしていると、それを見た官兵衛が「公方様、先陣争いもどの様な戦をするか分からぬから起こっている部分もございましょう」と言って地図を広げ、それに皆が注目して場が一気に静まる。

 地図は大まかに東南アジアを書いたものと、フィリピンを描いたものの二種類が用意されていた。

 官兵衛の「公方様ご説明を」との言葉を受けて説明を始める。


「戦の細かいことについては後にするが、この戦の目標は呂宋とその南にある香辛料諸島と南蛮人が呼ぶ島々を日本のものにするのを目標としている。その他に攻め込むかは戦況次第である」

 それを聞いた南蛮のことに詳しい大友義統からは「マカオやゴアには攻め込まないのですか?」との質問をされた。

「マカオやゴアは南蛮人の領地でなく唐天竺の者が南蛮人に貸しているものと聞いている、攻め落としても唐天竺との交渉になろうし、攻め込んで明や天竺に何かと口を挟まれるのも面倒である。あくまで南蛮と日本の戦としたい」

 実際のところは、ヨーロッパと中国の接続まで断てばヨーロッパ諸国と、後々戦になりかねないという判断からだった。

 アジアから完全に叩き出せば必ず取り戻そうとするだろうが、権益を残しておけばそれを失わないために共存することも可能だろうとの考えだ。


「また南方は毒を持つ虫が多くいるとの話も聞く、暑い地ではあるが足軽に至るまで、長い衣服をまとい肌を見せて毒にて死ぬことのないように、戦については官兵衛から説明させる」

 そういうと官兵衛がフィリピンの地図を指し示し説明を始めた。

「先に渡海をしております真田率いる軍勢は呂宋の北部に上陸し砦の建設を行いまする。これは囮でございまする。十年ほど前この地に攻め込んだ倭寇の軍勢が南蛮の兵と争い敗走しており、それを繰り返そうと兵を向けるであろうと考えています」

 大筋はカガヤンの戦いの再現を狙うスペイン軍を引き付けて、その間にマニラを落とす作戦となっている。

 当然倭寇のようにスペイン軍に負けるなど微塵も考えていない。


「真田が引き付けている間、公方様の本隊と肥後の諸侯を合わせた一万五千がマニラに攻め込み占領いたしまする。以降南方作戦の指揮をその地で取られます。先陣は武蔵守殿にお願いしたい」

 自分のもとに置いておかねば暴走しかねないからという判断であったが、満面の得意顔で「流石は餅あいや公方様じゃ」と喜んでいる。


「島津殿にはその南方の島に攻め込み、大友殿と長宗我部殿には南西のこの島を、立花小早川の両名はその周辺にある島々の占領をお願い致します。日向勢はマニラ南部のこの地に攻め込んで頂きたい」

 官兵衛が指し示したのは、ミンドロ島とパナイ島で、日向勢にバタンガスを落とさせるもので基本的に奇策を用いず正面から攻め込む策を取っている。

「占領すれば奉行と守備兵を送り込み統治を始めまする。呂宋と香辛料諸島を得るまでに三年から四年を予定しておりますが前後することもございましょう」

 そう官兵衛が締めると続けて自分が言葉を続ける。


「見ての通り島々で別れており、大軍を率いて一つを攻めるより軍を分けて攻めるのが良いと考えたが、その分伝令を密に取らねば兵糧を送るのもままならぬ。マニラが落ちればすぐに高砂や日の本から兵糧を運びこむ手筈ではあるが、勝手に動けば飢えたまま戦をする事になろう、また知らぬ地でもあり、兵糧が遅れることもあり得る」

 さらに続けて「そこで、高砂討伐と同じくまず攻め込んで占領したあと、そこに人と兵糧を送って拠点にする間に南方の情報を集め、戦の用意をしてまた攻め込むというのを繰り返していくこととする。初戦を終えたあとは彼の地の整備や気候になれるため一年ほどは次の攻撃まで空くことになろう」と諸侯に話す。


 島津豊久などは「なんとも雄大な戦でごわすなぁ」と感想を述べる。

 豊臣の経済力があるからできる戦とも言えるが、できれば損害を減らして勝ちたいという思いも大きかった。

 当然有利な形での和平も視野に入れている。

 香辛料を握れば、必ず貿易と和平を求めてくるだろう。

 スペインとの香辛料貿易で新大陸からの富を日本が手に入れる事ができれば、南方開発の大きな助けになり自然と移民も増えるはずだ。


「皆のもの長い戦とはなるが、日の本のために力を尽くして欲しい」

 その言葉に皆が頷き、そして夜はふけていく。

 自分が日本をそして播磨を離れる日も近づいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る