第七十九話 将軍の仕事

 1592年七月、京の町を進む軍勢とそれをひと目見ようと大通りに殺到する民を見ながら、豊臣秀吉は「なんとたわけた決断をしたものよ」と言う言葉を吐き出していた。

 その言葉の先は、禁裏に巣食う公家たちに向けられている。


 京を堂々と進む自らの息子が率いる軍勢は、数刻前に征蛮大将軍なる役目を与えられて、官軍として南方に向かうための行軍を京の民に見せつけていた。

 薩摩の者どもは飾り気の全くない、今ここで戦となろうともそのまま敵陣に突撃できそうな古強者の雰囲気を漂わせて進んでいるし、同じく戦になれば突撃しそうな雰囲気を漂わせる森の兵たちは、黒い衣装に統一されていてどこか都会的な雰囲気も漂わせていた。

 播磨の兵たちはそれぞれが鉄砲を持ち、いくつもの大筒と進む姿は新しい戦の形を表しているかの様であった。


 そしてこれらの軍勢を率いる彼の息子が、征蛮大将軍の任を与えられると知った時に最初に聞いてきたのが「尼子を高砂探題としてよろしいでしょうか?」であったことも公家たちをたわけだと秀吉に言わせる一因となっている。

 息子が将軍に任じられた意味を理解していると分かったからだ。

 少し公家どもはこの程度のこともわからぬのかと思ったが、分かっていながら豊臣へ媚を売るために動いた者たちも多かろうと思い直す。

 だがその代償は、公家たちが安易に考えたものよりも大きいものとなるだろう。

 かつて渋った官兵衛の播磨への転属も、今このときは心強いものとなっていた。

 奴であれば、もし足りぬ部分があれば意見するであろうし、先日見た二人の印象であれば息子はそれを受け入れるであろう。

 結果多くの公家が、この様なはずではなかったと言うであろうから、やはりたわけであることは間違いないなと結論付けた。

 そしてたわけが相手ならばもう少し要求を加えてもよかろうと、秀吉は前田玄以を呼ぶようにと近習に命じて思案を続けるのだった。


 前田玄以が来るまでに秀吉が考えていたのは征蛮大将軍をどう扱うかであった。

 秀吉は息子に与えられた新設された将軍位を、征夷大将軍と同格であり、武家の棟梁として豊臣家が認められたものと認識している。

 秀吉は同格で無いことは承知しているし、武家の棟梁という意味を含んだものでないこともわかっている。

 だが、征夷が征蛮となっただけで、東夷を征する役職と南蛮を征する役職を同格ということは十分に可能だ。

 ならば、武家の棟梁というものさえも含ませればいいだけだった。


「唐土では鹿を馬と皆に言わせたそうじゃが」

 それが、犬と狼ほどの違いであればより簡単であろう、豊臣の今の力であれば容易いことだと秀吉は知っていた。

 少し先の見える者であれば、秀吉が何も言わずとも彼の息子を新たな公方として扱おうとするであろうし、先の見えぬものもそれを見て追従することになる。

 その光景は誰もが武家の棟梁と認められた者の姿と変わりなく、自然と皆が武家の棟梁だと認めていくに違いない。

 おっ、玄以めがきよったようじゃ。

 ただ時に任せるだけもよいが、それでは芸はなかろうと、秀吉は朝廷工作を命ずる腹積もりあった。



 前田玄以は殿下の近習より要件も聞かされないまま「殿下がお呼びでございまする」とだけ聞かされて、大急ぎでやってきたこともあり、額には汗が浮かんでいた。

「すまぬのう、急かすつもりはなかったのじゃが」

 そう言って気遣う様子を見せた殿下は、京都所司代である自分に、今日の行軍を見た者たちの様子や反応を質問しては答えるたびに頷いている。

 これを聞くために呼ばれたのかと、思い始めたのも束の間、殿下から本題となるであろう言葉がかけられた。


「そういえば餅は瑞の嫁に公家の娘を希望しておったの、大蔵めが動いておったはずじゃ、公方となった祝いにわしも手助けしてやらねばの」

 独り言の様に零した言葉に、固唾を飲んで次の言葉を待つ。

 殿下はまたもや独り言の様に「摂家に降嫁するはよくあることよな」と言ってから自分を見つめる。

 殿下の言葉に「はっ」と答えて、そのために何をすべきかをすぐさま思い描く。

 朝廷は逆らうことなどできずに、多少時間はかかるだろうが頷くであろうと思われた。

 ただ、いつか朝廷の反発と恨みが形となって豊臣に向けられるのではと前田玄以は懸念を抱かずにはいられなかった。



 新たな将軍は我らこそが官軍であると示すように堂々と進む軍勢を率いて大坂へと行軍を行っている。

 大坂では住吉神社に立ち寄り、新たな外敵の討伐と航海の安全を祈願したあと、大坂の港から姫路に移動する予定となっている。

 瑞雲丸が産まれた際に母上が参拝して以降、この神社は豊臣政権にとって縁の深いものとなっている。

 嫡孫が産まれた事を吉例として、一族の者が子を産むと聞くたびに父上は祈祷を行わせているし、母上も参拝を行っている。

 また航海の神として、住吉三神への祈祷も琉球、高砂と続いた戦の前に行われ、無事に終わったことからますます信頼を深めている。

 その結果、豊臣からの寄進が盛んに行われており、特に定められていない豊臣の氏神の立場を得るのではとも言われていた。


 その道中不意に官兵衛から声をかけられる。

「大将軍をいかに使うつもりですか?」

「父上は征夷大将軍のように扱い豊臣の権威を高めるつもりであろうから、尼子を高砂探題に任命しようとは思っているが、後は父上が許せば西国の一門衆に屋形号を与えるのもよいかと考えてはいる」

 官兵衛は興味深そうに「守護職は?」と聞いてくる。

「父上も総見院様も守護を置くことしておらぬから、父上は守護を用いるつもりはなかろう。自分が与えては混乱のもとになりかねん」

 官兵衛も「まあそうでしょうな」とその程度は分かっていたかという顔をした。


「先程西国の一門にと言っておりましたが東には手を出さないのでございますか?」

 悩みどころはあるが、西国は自分、東国は父上という認識を持っていて手を出しづらい。

「官兵衛は手を出すべきと考えているのか?」

 そう問うと「渡海して手を出せなくなる前に、手を出しておきたいところではありますな」と答える。

「とはいえ関東のことは父上の領分で、不在の間の事は真田の父と紀之介に任せてある。渡海も間近で何もできることはあるまい」と答えるが稀代の軍師にとってはそうではなかったらしい。


 それを聞くと官兵衛は「いつかは蝦夷地を得るために準備をしていると思うておりました。南方の次は蝦夷と知れば東北の者はそれだけで豊臣に近くなりましょう」と進言を行う。

「今は蝦夷で育つ作物を探している所で、寒い冬の凌ぎ方も分からず当分先になると考えているのだがな」と言うと官兵衛は「それでも東北の希望となりましょう、高砂に注ぎ込まれた金銀の事を知らぬものはおりますまい」と言ってその効果を示す。

「ならばまずは噂だけ撒いておくか。噂だけなら損になることはなさそうだ」との言葉に「姫路で農学校を見た伊達などはすぐに動きましょうな、そうなればただの噂も力を持ちましょう」と言う官兵衛を見て、やはり父上に官兵衛を配下にしたいと言ったとこは間違いで無かったと思った。


「南部に東北の乱の時、鹿之介と宇喜多の兵を送った事今考えるとよい手であった」と言うと官兵衛は「同じ事をすればそれだけで東北は動けなくなりましょうな、わしとて鹿之介殿が後ろにいて上方や関東に進むなど流石にできませぬ」と笑った。

 南蛮船の訓練をした水軍を止める手段など東国にあるはずもなく好きな場所に兵を送り込むことができるだろう。

 そして、南部や津軽など蝦夷に近い者は蝦夷地開拓の利益を想像して敵対を躊躇い、海に面しているだけで援軍が期待できるとあれば、周りが豊臣に反旗を翻しても繋ぎ止めることも十分に可能だ。

 それが噂だけで得られるのであれば十分な成果だと考え官兵衛に仔細を任せる。

 それに蝦夷地開拓は嘘ではない、少なくとも十年以上先のことだと考えていたとしても。

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