第七十八話 征蛮大将軍

 1592年五月父上への文を出して上洛への準備を整えてすぐ京へと向かう。

 同行するのは黒田官兵衛で、官兵衛へも明かしておらずに完全に独断で行ったことなので何度か真意を聞かれる結果となった。

 父上に送った文には全ての官位を返上し、藤吉郎の名を継ぎたいという内容だった。


 父上に面会するなり「どういうつもりじゃ」との問いがなされる。

「南征となれば日の本には居れず、内大臣の任を果たせません。それでは天子様に余りに申し訳なく」

 そうは言ってみるが「そんな建前はええ、本心を申せ、そちは関白を継ぐ気はないのか」との言葉が続けざまにかけられる。

「藤吉郎の名を希望するのは豊家を継ぎ、関白を継ぐことの覚悟を示したつもりでございます。関白になることに不満はございません。されどまずは南征に専念したく思っております。また官位を返上することは南征への覚悟と朝廷への忠誠を示せるよい機であると」

「関白はどうする?」

「南征を終えて日の本に戻った時に考えさせて頂きたく、まずは南征に集中したく思います」


 父上は少し考えたあと「官兵衛そちの入れ知恵か」と声を上げたが官兵衛は平然と父上の問いを無視して「殿下は後何年生きるつもりでございますか?」と問いかける。

「そちは相変わらずじゃ、そのような物言いをするから大領を与えられんと分からんか」

「まあ、隠居の身でございますから今更領土も望みませんし、気楽なものですな」

 官兵衛がそういうと「小一郎もそちも隠居すれば何を言ってもいいと思うておるのではなかろうな」と言いながらも「わしも年じゃ五年か十年と言ったところじゃろう」と父上は答える。


「ならばいいではございませんか、今すぐ譲る必要もございますまい。どのみち子は一人なのですから何も言わずとも誰もが次は誰か分かっておりましょう。関白の任が面倒であれば殿下も関白を返上して、そのまま開けておけばよろしゅうございます」

 父上は「わしを隠居さす気はないのか」というが「南方片付くまでは、関白でも太閤でもよろしゅうございますが、日の本を治めてもらわねば困りますな」と官兵衛は答える。

「わしを道具にしおってからに、よいわ策をいえ」

 父上の言葉にも動じることなく、官兵衛は策を述べる。

 幾度と繰り返された光景なのだろう、父上が官兵衛を遠ざけたくなる気持ちもわかる。


「たいした策はございません。このことを喧伝し豊臣は朝廷に忠誠を誓い、豊臣の世継ぎは天子様を敬い、朝廷は豊臣を信頼していることを天下に示すことでしょうか」

「おぬしのことじゃそれだけではあるまい」

 父上がそういうと「豊家の世を百年二百年と続けるためには、公家に手を加える必要が出て参りましょう。その時に天子様に認められ官軍を率いたという事実は役に立ちまする。天子様の御為と言うこともできましょう」と朝廷改革について官兵衛は言及する。

「掟を課して公家の力を弱めるつもりか」父上がそういうと官兵衛は「それもございますが、殿下が関白になり公家どもは内心面白く思うておりません。殿下亡き後必ずや豊家に抵抗を見せましょう。その時のための声望でございます」と言い放った。

「誰もが口を閉ざすことをずけずけと、じゃがそちのいいたい事は分かったわ」

 不機嫌そうに父上は言ったが、この事が父上に受け入れられたことは分かった。


「まずは参内致し官位を返上致します」

 そういうと父上は「分かったわ。無冠のうちは藤吉郎を名乗るがよい。官兵衛噂を流すのは任せる。佐吉よ今出川に文を出せや、相談したきことがあるゆえご足労願いたいとな」と矢継ぎ早に指示を出す。

 そしてなにかに気がついたかの様に「官位を返上したとはいえ軍を率いるとなれば何もなしではよくなかろうの」と言うと父上は意地の悪い笑みを見せる。

 官兵衛はそれを聞いて何かを察し、とぼけた様に「まあ、軍を率いるのは古来より将軍でしょうな」答えた。

 二人の言葉を聞き、父上たちが何を閃いたのかを察して口を開く。

「私は南蛮と東夷に上下はないと思っております」

 その言葉に父上が「確かに上も下もないわ」と笑い豊臣の方針が決められた。

 朝廷に忠誠を示し、南征への決意を見せようというつもりであったが思わぬ方向に話が進んでしまった。


 父上との話を終えて木下勝俊のいる、京の屋敷に向かう途中官兵衛より声がかけられる。

「殿下にはあの様に申しましたが、それだけではございませんでしょう」と問われた。

 何も答えずにいると「南方に世継ぎが出陣し、しかも関白を継いでおらぬとなれば、不満を持つものは動きたくなるでしょうな」と独り言の様に呟く。

「紀之介が東国を見てくれると言ったのでな」

 官兵衛は笑いを堪えられぬといった様子で「なるほど、見極めるにはよい機会ですな。当然真田も動かすつもりなのでしょうな」と一人納得していた。

 それ以上は官兵衛と話さず、その日は勝俊と参内の打ち合わせを行ってから眠りについた。



 参内は六月一日に行われることが正式に決まり、京では官兵衛の流した噂が少しづつ広がっている。

 噂は初め「豊臣の世継ぎが内大臣の職を辞して南方での戦に専念する」というものであったが既に「内大臣の職を果たせぬこと天子様に申し訳ないと殿下に返上を申し出た」やら「涙ながらに南蛮を討ち果たすことを誓い、大臣ではなく日の本を守る武士として南方へ向かいたいと申し出た」などという内容になっており、官兵衛の暗躍が伺われる。

 父上は父上で「餅丸は南方に赴けば内府の任は果たせぬと言ってきよった。日の本の為に南方に向かう我が息に、なにかしてやれる事はないかのう」と今出川晴季を呼んで涙を流して相談したというから、流石は豊臣秀吉といったところだ。

 勝俊も公家衆の対応に大あらわの様で「誰もが餅丸様の真意を知ろうと私にまで公家衆の面会要望が絶えません。どうすればよいですか」と聞いてくる。

「といっても勝手に大任を辞するのに、要望を申すわけにもな」と言ってごまかしたが、父上が動いているのだから悪い結果にはならないだろうという思いがあった。


 そうこうしている間に参内の日となり、正式に内大臣を辞することを朝廷に伝える日を迎える。

 当然の様に下問がなされたが「南蛮の国と日の本が戦をすることに成りましたので、ことごとく討ち果たすべく南方へ攻め入る所存でございます。元寇の例を出すまでもなく、武家は日の本を守るのが役目でございまする。されど遠方にございますれば日の本の事もすぐには分からず、大事があっても参内も満足に行えぬとあっては内大臣の任を満足に果たせるとはとても申せません。任を果たせぬこと誠に申し訳なく思いまするが、任を果たせぬものがそのまま任についていては国の乱れる元となりましょう。それ故内大臣を返上致したく参上した次第にございます」と述べて返上を認めさせた。


 参内を終えるとそのまま播磨に戻ったが、朝廷の混乱は続いているようであった。

 父上の言葉は朝廷に対する脅しとして機能し、何かを与えねば関白が納得しないのではないかという雰囲気を作り上げていた。

 父上はこうなるのを待って「征蛮に節刀賜りたく」と朝廷に伝えた。

 朝廷より任務を与えられ遠征する将軍に刀を授ける例は古来よりあってその点では問題なかったが、将軍の位を授けるか、そして授けるのであればとその名をどうするかで紛糾した。

 将軍の位を与えるとなれば、坂上田村麻呂に蝦夷討伐を任じて、節刀と征夷大将軍を与えた故事と余りにも重なりすぎていた。


 豊臣政権に近しい公家たちは、豊臣が南方征伐という言葉を使わず、征蛮や南蛮征伐と表現を変えていることから、秀吉の思いを推し量って征蛮大将軍に任じるべきと言い始めている。

「関白に加えて武家の棟梁の座も豊臣に与えるべきではない」との意見も出たが、豊臣におもねる公家たちの「南蛮討伐任じるのであればやはり征蛮の名が適当であろう」や「征夷大将軍を武家の棟梁とするのは鎌倉以来の伝統があってのことでおじゃりましょう、新設となる征蛮にそのような伝統はおじゃらぬ」との意見にも頷けるものがあった。


 何より、豊臣に逆らってはという意識は根強く、京都所司代である前田玄以が「殿下は前内府様に天子様よりの節刀を希望したと聞き及びましたが、長く絶えていたことにて、その儀を行うためにはどれほどの費用かかるのでございましょうか」と献金を匂わすとその勢いは決定的となった。

 六月下旬には新たに征蛮大将軍を新設して任じるつもりであることが朝廷から示され、七月初旬には遠征する諸大名を集めた上で節刀の儀を行い、征蛮大将軍への任官を経て官軍として薩摩へ向かう事が決定された。


 節刀の儀に参加した諸大名たちはそのまま兵を率いて京の町を進み、大坂へと行軍して船に乗り込むという壮大なものとなっている。

 参加人数も五千を数える予定であり、膨大な予算をかけた一大事業となるが、豊臣こそが朝廷の兵であることをこれ以上ない程に印象付けることになるだろう。

 そしてこれは、関白任官に続く豊臣の政治的な勝利となるだろう。

 朝廷は武家の棟梁たる資格すら豊臣に与えたのだから。

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