第七十六話 パルマ公

 1592年二月関白と呼ばれる日本の王から送られた回答期限を半年程残し、スペイン王の代理としてパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼは日本の地を踏んだ。

 この頃には日本に残った南蛮人から、彼がスペイン国王の甥であることも知られていたから、堺に寄港するなり通訳を伴った役人がやってきて「まずは旅の疲れを癒やして下され」と宿泊先に案内され「何かあればお申し付け下さい」とそのまま役人がつけられた。

 イシダと名乗った役人が言うにはここから一日もかからない距離に王の住まいがあるらしく、歓迎の用意が整うまでここで過ごしてほしいとのことだった。


 数日の間堺という町に滞在したが、人も多くヨーロッパの都市にも見劣りしない姿に、一部のものが言っていた蛮族の地という言葉は全くの虚言であることが分かった。

 そして短い堺での滞在を終えて向かった大坂の城はあまりに巨大で、日本の力を見せつけるように豪華絢爛な城であった。

 かつて少なくとも十万の兵がこの国を侵略するためには必要だと王に話したが、十万の兵でこの国を侵略することなど不可能だと感じさせずにいない、そのような城であった。


 自分がこの国の王と謁見を果たしたのはこれもまた大きな部屋であり、一段高い場にいる老いた小柄な男が左右に男女を従え、そこから一段低い場に重臣と思われる数十人ほどの男たちが左右に分かれて座っていた。

 その中には堺で自分を案内したイシダもいて、この国の王が重臣にわざわざ案内をさせたのだと分かった。


 自分には椅子が用意されていて、礼を行い座ると何やら王が大声で話し、隣りにいたまだ若い女性が「お互いヨーロッパの礼も日本の礼も分からないので、礼など考えずお互い本心を話そうと殿下は仰っております」と見事なスペイン語で言ってきた。

「また、紹介をせよとも申しておりました。中央にいるのが殿下で書状の送り主であらせられます。そしてその隣にいるのが嫡子の豊臣秀持殿です。紹介のためお許し頂きましたがこの国では名を呼ぶことが大変失礼と考えられています。殿下には宰相殿、ご嫡子には大臣殿と言っていただければ助かります。こちらからはパルマ公とお呼びいたします」

 なるほど色々な風習があるものだなとこの時は思ったが、後々考えるとこの日が初めて豊臣秀持の名を知った日となるのであった。



「してパルマ公とやら、そちはイスパニア王からの伝言を持って参ったと聞いておるが話を聞かせよ」

 自己紹介が終わると早速父上はそう言って言葉を急がせた。

「スペイン国王フェリペ二世陛下は、我が国には侵略の意図はなく、両国の友好を望んでおります。関白殿下からも使者をお送りくだされば直接言葉を伝えられましょう。とのお言葉でした」

 父上はその言葉を聞き興味がなくなったとばかりに「話にならんのう、使者を送らせて時を稼ぐつもりか」と静かに言った。

「そのような事はございません。我が王は両国の友好を願っております」


 その言葉を聞いて父上は烈火の如く怒り出し「たわけた事を抜かすな。知っておるぞ本国では南蛮の国同士で戦となっておるそうではないか、おみゃあらが戦を仕掛けおいて都合が悪くなれば友好などとたわけた事を抜かすのも大概にせい」と怒鳴った。

 それでもパルマ公は表情も変えずに「我が王は友好を願っております」ともう一度繰り返す。


 このままでは埒が明かないと思い問答に口を挟むこととした。

「その友好のため贈り物などはないと考えてよろしいのですか?」

「大臣殿贈り物とは?」

「ゴアでもマカオでも呂宋でも、そのような贈り物はないと考えてよろしいのですね」

 そう問うと「我が国は領土を贈り物にはいたしません」と堂々と答える。

「父上」

 それだけで意図は伝わった様だ。


「期限の日を待って、イスパニアとポルトガルに戦を行う。これより後は和平交渉以外の使者は不要である。パルマ公は戻り戦支度をするがよい」

 その言葉にも態度を変えずに「残念ではございますが、次は戦場にて」と言って見事な礼をした後堂々と大坂城を去っていった。

「わしの配下に欲しい男であったな」

 父上が居並ぶ家臣たちにそう呟いたのが印象的だった。



 パルマ公は城を出ると、先程なぜ虚言を弄して開戦を引き伸ばすことを選択しなかったのか考えていた。

 与えられた兵の数は、広大な植民地を守るには余りにも少なすぎ、攻勢をかけるなどは夢のまた夢という状態であり援軍も期待できない。

 引き伸ばしたところで、アジアに満足な軍勢を送り込むことができる状況など訪れはしない。

 それでも日本が蛮族でなくこれ程の都市を築き上げている事を知った今であれば、少しでも時間を稼ぐことは正解であったはずだ。


 当然良きカトリック教徒として教育された事がそれを許せなかった部分もあるし、誇り高い軍人であろうとの意識がそれを許さなかったのかもしれない。

 ただ国と国との外交を任されたものとしては失敗であっただろう。

 結果戦端は開かれ、幾多の同胞たちの血が流されることになった。

 軍人であるからにはそれ以上の代償をこの国に支払ってもらうつもりではあったが、それにしても正直過ぎたとの思いが強い。

 そんな時に通訳を伴ってイシダという役人に呼び止められた。


 彼は「内府殿からの言伝です」といった後「次は戦場で、その次は友として相まみえましょう」と伝えて礼をした後去っていった。

 それを聞いて今までの思いはどこかに消え去った。

 自分はスペイン王の代理として策を弄するより、若き王子を友人にすることが国の利益となると感じ、それを実行したのだと理解することができたからだった。

 その選択は、南方作戦を入念に準備し、もはや戦を止めることなどできなくなったこの国に対しては決して間違いではなかった。

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