第七十四話 姫路の町

 1592年一月、伊達政宗は少し早くなったが豊臣の世継ぎとの約束を果たすべく上洛し、新年の挨拶を関白の元で行った後、神戸を訪れていた。

 神戸代官をしている小西行長殿は今だ高砂の地にいるということで、兄である小西如清殿の案内を受けることになった。

 特に印象的だったのは東国では見ることのない、巨大な船の数々で、如清殿の説明によれば高砂の地に物資を運ぶために最近では商船も駆り出されているという話だった。

 呂宋攻めの話は皆の噂になっていて、最近では九州勢と播磨勢そして小早川と長宗我部の家が兵を出すとなっていたものが、宇喜多や三好にも兵を出すよう求めたという話や商人に軍資金を出すように命じているとの話が出てきており、予定より兵力を増やしての侵攻になるのではと言われている。

 そのために商船まで用いて兵糧を運んでいるのではとも思ったが、あくまで想像でしかなかった。


 政宗は戦国大名らしく、町を巡りながらも自らがここに攻め込む時のことを考え、容易に占領できると結論付けた。

 この神戸という町は全く防衛というものを考えておらず、道は広く直線で城どころか防衛拠点となるものが殆どない驚くべき町であったからだ。

 この様な町では民も不安に思うのではと考えたが、町の者たちはそのようなこと全く気にする様子もなく関白様と内府様の港に誰が攻めてくるのだとすら考えていそうであった。

 とはいえ実際にここが落ちるような状況は、豊臣の滅亡と同じであろうし、守ったところで変わらぬと納得するしかない。


 たがそれとは別に、巨大な港を見ていると豊臣という家はこれほどのものかと恐れを抱く。

 船に幾千の人夫たちが積荷を運び、船が出航していく様子を見るのは一日中見ていても飽きることはなさそうだったが、この港からどれほどの兵と兵糧を送ることができるのかと考えると伊達との力の差を感じずにはいられなかった。

 そして、神戸を後にした我々を待っていたのはさらなる衝撃であった。


 港に居並ぶ多数の軍船もそうであったし、造船所として案内された場所は想像を超えるほど巨大だった。

 農学校という場所を案内され、いくつもの見たこともない作物の数々に圧倒された。

 その場所を取り仕切っているという学僧の男は「いつか東北でも育つ良き作物を見つけ、豊かな地としたいものです」と言っていたが、豊かにするために作物を探すなどということは全く考えてもいないことだった。


 そのまま姫路の城に入ったが、此度は大小を護衛としてついてきた片倉小十郎以下三名の者たちすら預けることなく謁見の間に通されることになった。

 城での案内を任された、以前にも会った渡辺勘兵衛に預けずともよいのか聞いてみると「若政所様がおりますから、流石に私でも刀を抜くことはできません」と笑って答えられた。

「よく来てくれました侍従殿。招きに答えて頂き感謝しております。姫路の町は楽しめましたか?」

「東国では見ることもできぬものばかりで、豊臣の力を思い知りました」

 そういいながら周りを見渡す。

 豊臣の跡継ぎは大小すら持っていないが、最も近くにいる大小を指したおなごが噂の若政所であろう。

 他にも何人か武装したおなごが見えるが、この中に噂の吉岡の娘もいるのであろうな。

 側には黒田官兵衛殿の姿も見えたが、播磨勢が小田原に参陣していなかったこともあり知らない顔も多かった。


「本来であれば自ら案内して侍従殿との縁を結ぼうと思っていたのですが、そうもいかなくなりまして申し訳なく思っております」

「そのようなお気遣いまで考えて頂き光栄でございますが、上方に何かあったのでございますか?」

 聞かせるための言葉だとは分かっていたが、聞かないわけにもいかず問いを口にした。

「ああ、新たに南蛮の大将となったものが予想以上の人物のようで、兵力を増やすべく動いておりまして、そうだ侍従殿もご助力願えませんか?」

 そのための言葉であったかと苦々しく思ったが、送れぬと簡単に断るわけにもいかずいくつかの理由を述べる。

「お力になりたいと思いますが、とはいえ東北には南蛮に兵を送る術がございません。また兵糧や船まで内府殿の世話になっては上方で兵を集めるより手間となりましょう」

 豊臣の世継ぎは残念そうに「確かにそうであるな」と呟いた後「遠き国ゆえ確かに兵を求めることは出来そうにないな」と呟く。


 ほっと安心したところ黒田官兵衛が「それなら兵糧をお願いすることは出来ませんか、決して多くは求めません。万石あたり百石で十分でございまする。伊達侍従殿でしたら六千石程でしょうか。それを神戸に送ってくだされば有り難く思いまする」と言ってきた。

 兵を送るのに比べれば大した負担ではなく頷こうとしたところ「官兵衛よ遠国より兵糧を運ぶは大きな負担となろう、半分でよい。それであれば侍従殿は僅か三千石と負担も少なくて済む」と内府殿が言葉を挟んだ。

「僅か三千石で内府殿のお力になれるのであれば、すぐにでもお送りいたします」

 全く欲のない御仁で助かった。

「侍従殿感謝いたします」

 満面の笑みで感謝の言葉を述べる姿に安心し、姫路を後にしたが大きな間違いだった。


 このことが噂となり、まず前田や真田といった者たちが兵糧を送り、次第に豊臣に忠義を示すためには送らねばならぬという空気が生まれて東国の者たちで兵糧を送らぬものはいなくなった。

 ただ兵を送った西国と違い、兵糧を送ることが大きな功になるわけもなく、送られる兵糧はただ豊臣に忠誠を示すためだけに送られたものであった。

 利益に繋がらないとしても、他の東国のものが送っている以上、送ることを辞めるわけにはいかなかった。

 それではと、さらなる忠誠を示そうと数倍の兵糧を送ったものもいたが「伊達様を始め前田様や真田様からも決められた兵糧以外は受け取っておりません」と受け取りを拒否され、結局神戸の商人に残りの兵糧を売って帰る事となったらしい。


 そして何より、僅かと思っていた兵糧も家臣に負担を求めるわけにもいかず、予想以上の負担となっていた。

 おそらくあそこにいた黒田官兵衛の策であったのだろう、豊臣は南方の戦が終わるまでたいした恩賞を払う必要のない数万石の兵糧を手に入れ続けることとなった。

 此度は素直に負けを認めるしかなさそうだった。



「本当にあの程度の負担でよろしいのですか?もっと絞れたでありましょうに」

 意地悪く聞いてくる官兵衛に答える。

「百万石の五千石と聞けば大した事のないように思えるが、実際には税が半分なら五十万石が大名の取り分よ。家臣に領地を与えているから実際の収入はさらに少ない。自由に使えるものとなればもっとよ。五千石でも十分な負担となるし、恨みを買いたい訳では無い」

「いくら送られたからとはいえ、命じたわけでもなく皆がしていることで加増は出来ませんな」

 官兵衛はとぼけた声で言ってきたが、この策を話した時東国全体を巻き込むよう言ったのは官兵衛だった。


「前田と真田の父を巻き込んで、送らざる得ない様にしたのはそちであろう」

 不機嫌そうに呟くと「この程度の道連れならよかろうと思いましてな」と官兵衛は笑った。

「しかし甲斐守殿も巻き込まれたが良いのですか」と聞くと「わしは内府殿に倅を道連れとせぬようには願っておりませんでな。当主となったからにはこの程度の事で恨むのは筋違いですな」と笑う。

 ああ、なんとなくだが父上が自分につけることを渋った理由がわかった気がした。

 確かに能力は高く、素晴らしい策を献じるが、良い軍師ではないなと思った。


 平気で悪辣な策も吹き込むことから、父上が自分への悪影響を心配しても仕方がないとは思う。

 ただ悪影響云々に関しては、官兵衛からすれば自分のせいではなく元々こうであったと言いたい事であって、自分のせいであるとは全く思っていなかった。

 そしてなぜか若き豊臣の後継ぎと悪い軍師との気が合うのも事実だった。

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