第七十三話 南蛮の文
1591年十月父上と別れ播磨に戻ってくると、間も開かずに父上からまた呼び出される事となった。
ただ奇妙なことにカタリナを連れてくるよう厳命されており、更には久しく名を聞かなかった伊東マンショまで呼び出されたと聞いて、南蛮で何かが起こったのだと分かった。
彼は少年使節団の処罰があったあと、伊東家でしばらくの間何もせずに過ごしていたらしいが、旅の目的の一つに印刷技術の取得があったことを思い出し、旅に同行した少年を探し出して、伊東祐兵の力を借りて印刷機を手に入れ、万葉集などの日本の文学作品を印刷するために悪戦苦闘の日々を過ごしていたと聞いている。
棄教まではしていないが、長崎の教会とも距離をおいているようで、豊臣に反抗する姿勢も全く見せていない。
この呼び出しがなければ、政治に一切関わることなく印刷技師や印刷技術で商売するといった将来に進む気だったとすら思える行動だった。
上洛してすぐ父上に挨拶を行い、その場で要件を聞いてみたが「急ぐことでない、九州よりマンショが参ってからでええわ」と言われて、要件は聞けなかった。
ただ佐吉からは「内容はわかりませんが、イスパニアより書状が届いたと聞いております」という話だけは聞けた。
三日ほど京で過ごしていると、マンショが京に着いたという事が伝えられ、翌日面会の運びとなった。
「ようきた。マンショも九州からの呼び出しに驚いたであろう。呼んだのは南蛮に赴いたそちに聞きたいことがあっての、イスパニアの商船から届けられた文なんじゃが読んでみるがよい」
そうして近習から文がカタリナに手渡されそれを読みあげていく『イスパニア王及びポルトガル王たるフェリペ二世の代理として、来年には日本に伺い、日本の皇帝の代理たる関白殿との会談を希望し、我が王フェリペ二世殿下のお言葉を伝えたく思っております。パルマ公及びイスパニア王国アジア総督 アレッサンドロ・ファルネーゼ』その文の内容を聞いて、未来を知る自分も驚きに包まれた。
「わしの用意させたものの話とカタリナの話に大きな違いはない。じゃが分からんことだらけじゃ、マンショよいくつか聞かせてくれんかの。ポルトガルとイスパニアは違う国ではないんか」
「いくつもの国が南蛮にあり言葉も風習も違いますが、南蛮では婚儀や戦によっていくつか王を兼ねるというのが頻繁に行われております」
「なるほどのう、しかしそれではポルトガルのみ貿易をせぬと言ったとて効果がなかったかもしれんの」
イスパニアとの貿易を停止するのは避けたかったこともあり、少し口を挟もうかとも思ったが次の父上の言葉を聞いて控えることにする。
「まあええわ、戦となれば結局一緒だわ。そのままでよかろう。そちはこの王と会ったと聞いたがどんな人物じゃ」
「年の頃は殿下より上に見え、信仰篤く政に熱心な名君であると宣教師達は申しておりました。会えたのは少しの間でしたので宣教師の言葉が確かなものとは言えませんが、王としての威厳を持ち聡明な方であったと感じました」
「少なくとも馬鹿ではなさそうじゃな」
自分もフェリペ二世についてはそこまで詳しい訳ではない。
認識としては父上と同じ程度と言ってよかった。
「この書を送って来たものについて何か分かることはあるか?」
「南蛮を無理矢理日の本に例えると、伴天連の法主がいるローマを京とすれば、パルマは畿内の大きな町、大坂や奈良の様なものでございますから、その地を領する程のかなりの高位の貴族であると思われまする。アジア総督というのはわかりませんが、ゴアはポルトガルの呂宋はイスパニアの力の強い地ではございますが、その全てを統べる者としての名であると考えまする。そう考えれば王の信頼する高位の貴族が日の本の対応を任されたのではないでしょうか?」
父上はマンショの説明に納得したのか「なるほどのう」と答えた。
「それほどの者であれば、南蛮人水夫や日の本に残った南蛮の者たちの中には詳しいことを知っているものがおるやもしれません。私も播磨に使いを出し聞いてみることにいたします」
内心なぜこれほどの大物がアジアに来ているのかという驚きを隠しながらも父上に言った。
「確かにの、そしてこの者が来た時にはわしの言葉も伝えねばなるまい。知らせを送るゆえその時は上洛して参れ」
当然パルマ公に対する対応には興味がありそのつもりであった。
「マンショよ関白の命である。そちの南蛮の知識捨て置くことできん。御伽衆としてニ百石与える豊臣に仕えよ」
流石に断ることなど出来ずにマンショは了承の意を伝えた。
「父上、南方侵攻の際には与力としてお与えくださいませ。聞きたいことが多く出てきましょう。それとマンショ殿、南蛮の技術を今広めようとされているとか、私からも援助させて下され」
この言葉にもマンショは「有り難くお受けいたします」と全く逆らう様子すら見せずに答えた。
「してそちが、広めようとしているのはどのようなものじゃ」
父上の言葉に、すぐにマンショが答える。
「同じ文を何枚も作る仕掛けにございます。今は日の本の書物を作ろうとしておりましたが文字の種類が多くなかなか苦労しておりまする」
正直この技術には全く期待していなかった。
技術が進み印刷が高速化した後ならともかく、膨大な文字種のある日本では今の技術で活版印刷は不向きだと考えている。
ただ、印刷技術が向上すること自体は悪いことではないし、最悪民への布告に使えればいいか程度の期待は持っている。
父上との話が終わり、聚楽第を後にした自分が考えていることはパルマ公のことばかりだった。
母は庶子とはいえ正式に認められたカール五世の娘でつまりフェリペ二世の甥であり、しかも妻はポルトガル王の孫であったはずだ。
フェリペ二世がパルマ公を送るほどアジアを重視しているのは予想外で、思った以上に南方侵攻は厳しいものになる事を予感させるに十分なものだった。
さらに軍を厚くする必要があるのではないか。
パルマ公の人事を聞いてそう考えた秀持が、これがフェリペ二世の個人的な納得のための配置だったと知ることは終生なかった。
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