第七十一話 伊達政宗

 年の開けた1591年東北での一揆は広がりを見せていた。

 一揆の起きた主な要因は、奥州仕置への不満と豊臣政権に支配者が変わった事による急激な変化であったが、木村吉清のように領地政策の誤りから一揆を招いた者もおり、武力での鎮圧を決意せざる得ない規模となっている。

 さらには、伊達による一揆扇動の疑いも報告され東北情勢は混沌を増していた。

「餅よ東北の一揆いかがする」

 明から農業を学んだ者たちの報告をまとめ、父上に渡すために聚楽第を訪れていた自分に父上からの問いが飛ぶ。


「扇動したとの噂のある伊達に上洛を求め説明を求めねばなりません。またそのような疑惑を持たれるだけで罪にございます。前線は伊達に任せ、徳川の兵を派遣して鎮圧に当たらせるべきと存じます」

「上方よりの援軍はいかが考えておるのじゃ」

「関東取次の江戸大納言殿が、必要と申せば検討いたせばよいと思いまする。一揆を起こされた領主が求めればこれも同じでございます。八郎と相談いたし宇喜多勢と合わせて一万は姫路より軍船でいつでも動かせるようにしておりまする」

 それを聞いて父上は頷いたあと「播磨にて知らせを待っておれ」と自分を播磨に戻した。


 

 それからしばらくの間は平穏に過ごせたが、二月に入り父上からの文が播磨に届いて事態は一変する。

 文には千利休を追放する旨が書かれていた。

 全く茶の湯に興味がないので、会ったことは殆どないがアクの強そうな御仁だなという印象は持っていた。

 何かと叔父上が擁護していたので今まで問題にならなかったが、叔父上が九州へ下向したことで父上との関係が悪化したのだろう。


 茶の湯を通じて慕うものも多いと聞く、追放程度に留めておくのが良いだろうと考えて、官兵衛を呼び意見を聞いてみることにした。

「殿下のことなれば、多くのものが処分の撤回を求めれば、利休の影響の大きさを感じて死を求める結果になりましょう。追放を公表し罪人を受け入れる者を求めれば、殿下を恐れ名乗り出るものは多くはありますまい。殿下は安心し、ただ追放でよいと思われることでしょう」

 成る程と思い、すぐに父上に会うべく上洛することにした。



「なんじゃ文を出してすぐに来よってからに、そちも利休の罪を許せと言うのか」

 父上は、何度も求められる利休の処分への嘆願に相当怒りが湧いているようだった。

「父上も知っての通り、茶の湯には全く興味はありませんし、利休殿とも親しくはございませんから、罪を犯したのであれば処分なさればよいと思っております」

「では何用じゃ」

「せっかく処分するのであれば、利休殿は追放と聞きましたので、豊家より罪人とされたものを受け入れ庇い立てするものはおるかと諸侯に聞いてみるのもよいかと思いまして、本気で父上より茶坊主を取るものがいるのか興味がありまする」

「そのようなものおるはずがなかろう」

 父上は当たり前といった様子で言った。


「まあそうでございましょう。権限と財産を取り上げ、上方の文化に興味があるそうですから、伊達にでも追放すればよろしかろうと思いまする。前田の父上程の者でも追放されれば人が離れていったと申しておりました。利休を尊敬すると言っている者たちも次第に離れていきましょう」

「うるさい者どもを黙らすために、少し脅してやってもよかろうな。しかし餅よ利休を茶坊主とそれほど茶の湯に興味がないならわしに茶碗ゆずれや」

「茶に全く興味はございませんが、総見院様から婚儀の祝いにもらった品でございますから、更級との思い出の品でございます。いかに父上といえどお断りいたします」

 そう言うのが分かっていたようで「まあええわ」と言ってから「でなんで来た」と問い直した。


「正直に言いますと、多くの嘆願でお怒りになり、なら利休めは切腹致せとなりそうでございましたので、茶坊主ごときにそこまでするのもと思い参りました」

「また茶坊主かそちには敵わぬわ」と父上は大笑いしている。

 こうして利休は畿内を追放され、陸奥に向かうこととなった。

 それからも利休は五年程生きるが滅多に客も訪れず、葬儀も寂しいものだったと伝わっている。



 政宗が一揆扇動の釈明のために上洛していた頃、豊臣の嫡子が上洛してきたとの話を聞いて、面会を求めたのは興味という他なかった。

 自分と同い年の豊臣の嫡子には一度会ってみたいと思っていたし、何よりも自分の目で見定めてみたいという思いが強かった。

 世間の噂ではかなりの出来物と言われているが、あくまで世間の噂であり、暗愚であることも十分考えられる。

 まずは自分の目で確かめる。

 どうするかはそれから考えればよいそう思っていた。


 彼が宿泊先としている京の木下勝俊の屋敷を訪れると、背の高い屈強な男が現れた。

 彼は渡辺勘兵衛と名乗り、政宗を一室に案内する。

 大小を預け、部屋に入ると細身の若者が部屋で待っていた。

「お初にお目にかかります。陸奥での勇名は聞き及んでおります。今後よしなにお願いいたします」

 初めての印象は拍子抜けと言ったところだった。

 全く威圧感がなく、武士というより公家の子であるまいかと思った程だったが、慌てて礼を取る。

「伊達左京大夫にございまする。急な来訪にも関わらず内府殿との面会が叶いましたこと。望外の喜びでございます」

「私も東北の麒麟児と名高い伊達殿に会ってみたいと思っておりました」

 そう言って笑みを浮かべる姿に、全く恐れを抱くことはなかった。


「父上への忠義、息子としてありがたく思っております。これからもよろしくお願い致しまする」

 もしや何故自分が上洛したのかわかっていないのではないかとすら思ったが「父上が許したのであれば忠義を認められたのでございましょう」とそうではないことを伝えてきた。

「誤解はありましたが、殿下に認められたからには不肖左京大夫身命を賭して忠勤に励みまする」

 内府殿は笑みを崩さず頷いて「お願いいたします」とだけ答えた。


「ははっ、まずは東北に蔓延る殿下に背く者どもを手打ちにいたす所存。内府殿もご覧くだされ」

 そう言うと「頼りにしております」と先程と同じ様に答えると意外な質問をされた。

「そういえば南蛮に興味はおありですか?」と聞かれたのだった。

 南方の戦のこともあり警戒しながら「田舎者ゆえ南蛮の者を見たこともございません。いつか見てみたいものです」と答えると「来年には東北も落ち着いておりましょう。春頃にでも姫路を訪れてくだされ、南蛮の船や作物など色々お見せいたしましょう」と招待を受ける事になってしまった。

 断るわけにもいかず「姫路にてお会いできる日を楽しみにいたします」と約束を交わす。


 その後は、陸奥のことを聞きたいと言われて、景色や名所、民の暮らしの様子など話をしているうちに時が経ち、屋敷を出た頃には日も沈み始めていた。

 話しやすく、相槌の内容から知識も豊富なことは分かった。

 物腰も柔らかく恐らく家臣たちから慕われているという噂は本当だろうと思えた。

 戦に関してはどうであろうか?案内をした渡辺勘兵衛もそうであるが、名高いものを揃えているようだ。

 最近では北条旧臣の取り込みも行っており、侮ることはできないだろう。

 少なくとも暗愚であるという期待はできないなと思った。

 意図はしていなかったが、また会う約束を結ぶこともできた。


 今回はこれで十分と思い、次の機会に見極めればよいだろうと考える。

 政宗の生涯に大きく関わる者との初めての邂逅は、政宗に大きな印象を残すことなく、何事もないまま終わったのだった。

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