第六十九話 仮面の裏

 聚楽第から播磨に戻り1590年十一月、加増された領土の再編も大方終わり、ゆっくりとした日々を送っていた。

 領土については今まで播磨姫路を本拠に六十万石とされていたが、丹波と丹後の二カ国で四十万石ほどあるので、百万石の大名ということになる。

 この加増に伴って、家臣たちにも加増を行った。


 山中鹿之介は出石六万石から丹波亀山十万石に加増転封、これは京で何かあった時の備えの意味も強い。

 来島通総には播磨の二万石から丹後舞鶴五万石に加増した。

 本人は水軍の長としてまだまだ前線にいてもらう予定だが、息子には将来水軍の将の一人として活躍してもらおうという狙いがある。

 同じく得居通幸にも来島に隣接する形で二万石を丹後に与えたが通幸には子がおらず、後継ぎとして弟の来島通清から一子をもらい得居家を存続させるよう命じた。

 養子に迎えた子は、まだ元服前で名が決まっていなかったので、持の字を与えて通持と名乗らせて元服させることとして長年の忠義に答えたつもりだ。

 来島と同じく水軍を支える家となって欲しい。

 今水軍の教練役として働いてもらっている管達長には因幡の旧亀井茲矩領を与えて一万五千石とした。

 これも来島や得居と同じ思惑だ。


 大谷吉継には鹿之助が領土としていた出石六万石を、家定叔父は播磨明石から丹波に加増なしの一万五千石のまま転封し、播磨明石郡三万石を加藤嘉明に与えている。

 但馬の別所重宗は丹波に一万五千石を与えて、鹿之介の与力に、同じく高田治忠も故郷である丹波への転封を希望したので一万五千石を与えて鹿之介の与力とした。

 別所宗重の但馬一万五千石は渡辺勘兵衛に与えることとなった。

 叔父上より譲り受けた杉若無心殿には赤穂の地に二万石を竹中殿には姫路に程近い佐用郡一万石を与えている。


 新たに家臣とした者として、忍城を守った成田長親に丹後の内陸部に二万石を与え、同じく丹後に下田で数十倍の軍勢を相手によく耐えた清水康英に熊野郡一万石を与えている。

 共に関東からの移転なので、全ての家臣がついてきた訳では無いが、勇名を馳せた者たちが何人も含まれているのできっと力になってくれるだろう。


 さらに領地を持たない家臣として、あこ様の息子二人に三千石づつ、庶長子の俊勝殿には五千石、小西行長は神戸代官ということになっているが今は高砂の地にいて、これからも動き回ってもらう予定なので、領地は与えずに三万石という形になっている。

 義兄真田信繁には領地を与えようかといったが「別家を立てるわけにはまいりません」と言われ、一万石からの加増も断られたので、それでは官位をと言ってみたが「兄より上となるわけには」とそれも断られてしまった。

 ならばと父上からもらった刀を渡したところ、銘を見るなり大いに感激して「家宝といたします」と喜んでくれた。

 総見院様が桶狭間で義元公から手に入れた刀であったからかとも思ったが、元々信玄公から送られたものであったらしく、父親より信玄公の話をよく聞いていた兄には信玄公の刀が与えられたと捉えたようだ。


 そして最後に黒田官兵衛である。

 あくまで隠居地という形であり、父上の手前大きな領土も与えられないが姫路城内に新たに屋敷を作り、姫路に程近い龍野に二万五千石を与えて所領とし、更には姫路城本丸内に部屋まで用意させている。

「この年寄に心づくしの数々誠にありがとうございます。して内府殿はわしに何をお望みでございまするか?」

 その顔には自分を何に使うつもりなのかというのが見て取れ、それを望むのであれば共犯者になってもらうのもよいかと思う。

 少なくとも隠す必要は無いと考えて正直に答える。

「一つは以前もお話いたしましたが、近くにあって兵を扱いを指南していただきたい。また平時であっても何かと相談させていただきたく思っております」

 そこで言葉を区切る。

「そしてもう一つは、武蔵大納言の首。父上は違いますが私は徳川を豊臣の敵と考えております。そのためにお知恵を貸していただきたい」

 官兵衛殿は普段見せることのない顔に驚いていたが、その顔には納得もあった。


「成る程、信濃の折は思いつきでなく何度も考えた策であろうと思っておりましたが、その頃から敵と定めておったのですな。しかしなぜかは聞きたく思います。律儀と評判の方ですからな」

 最後の言葉には家康を馬鹿にする様な声色があった。

「半兵衛様の遺言でございます。京に見舞いに参った際、三河殿に気をつけよとの言葉を頂きました。半兵衛様が信用できぬと思ったものを私は信用いたしません」

「半兵衛殿が……そうであれば納得いたしました。私の分からぬことも半兵衛殿なら分かるやも知れません。それにわざわざ餅丸殿の頃に嘘も申さぬでしょう。しかしなぜ殿下に進言をなさらなかったのでしょうな」

 その事はもう誰もわからないでしょうがと続く様な話し方だったがその答えを自分は持っていた。

「半兵衛殿は父上や総見院様は才に自信がありすぎるゆえ私程度がちょうどいいとおっしゃっておりました」

 父上や総見院様なら自分の目を信じるが、そこまで自信のない自分なら忘れないだろうという意味だと理解している。

 官兵衛も同じ結論に達したのだろう「成る程」と言って話題を次に移した。


「して首は、いつ御前にお届け致せばよろしいですか」

「まあそう急いではおらん、十年かかってもよい。ただしぶとそうな御仁ゆえ、慎重に事を運び豊臣の名を傷つけないようにな。東国のものであれば真田の父とやや様以外なら誰を道連れにしてもよい」

 官兵衛は愉快そうにしてから「伊達が殿下に火遊びを見せたい様子にて、徳川も者たちも眺めるだけでは面白くないでしょう」と言って笑った。

「東国の取次であれば、東国の事は任せねばなるまいな」そういって自分も笑った。

 そしてその日は、東北での反乱でいかに家康を疲弊させるか官兵衛と遅くまで話す事となった。



 豊臣の後継者である殿下の嫡子との話を終えて、屋敷に戻った官兵衛は上機嫌であった。

 長年官兵衛に仕えている栗山善助が「内府殿がお気に召しましたか?」と聞いたが「人とは面白いものじゃな」と官兵衛は答えるだけだった。

 いくつかの功を挙げてはいたが、官兵衛にとってはまだ殿下の小倅という認識でしかなかった。

 殿下にもわしにも悟られず、あれ程の怪物を心に飼っているとは思ってもみなかった。


 いったいどれほどの者があの顔を知っているのであろうか、殿下も小一郎殿も知らぬはずだ。

 小一郎殿と石田の小僧には家康を敵と見ていると伝えたらしいが、わしほどに裏の顔を見せてはおるまい。

 道連れとして良いと言った時の眼など、あれほどの冷たい眼をわしだけが知っていると思うて笑いを我慢することができんかった。

 わしを誘う時に隠居後の楽しみしか渡せるものがないと言っておったが、裏の顔を眺めるだけでも思った以上に楽しめそうじゃと思う。

 こたびの楽しみの返礼は家康の首でよかろう。

 そしてその後に誰の首を欲するかそこまでは見てみたいと思った。

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