第六十五話 北条征伐

 叔父上と佐吉と三人で話をした日から少し遡る1590年三月、父上は聚楽第より兵を率いて出陣し、東海道を通って関東へと兵を進めた。

 主力は父上が率いる東海道から進み、途中で徳川と合流する軍勢ではあるが、前田の父上が率い上杉の軍勢と合流してかつての不識庵公のように北方から関東へと向かう北国勢、真田の父上が率いて甲斐から攻め込む信濃勢、佐竹や宇都宮など北条討伐に呼応した関東勢、そして九鬼水軍を主力とした水軍勢が関東になだれ込んでいる。


 北条は幾度も繰り返された小田原の堅城を頼りに耐え抜いて敵の撤退を待ち、その後逆襲に転じるという伝統の作戦を取ったようだ。

 一部の重要拠点以外には、兵の配置も放棄して小田原の守りを固めたこともあり、次々と落城の知らせが聚楽第にも届いている。

 上方や西国からの軍需品の輸送は佐吉に任せ、強化された海上輸送力を駆使して送っているので、食料弾薬の不足も聞かず、順調に戦は推移していた。


 唯一の問題は、カタリナを連れ回して京を見て回る事も飽き、退屈そうにしていた更級についてどうするかだったがその問題もすぐに解決した。

「茶々殿との約束を果たしたいと思います。少しの間、淀に滞在してよろしゅうございますか?」と更級から突然聞かれたからだ。

 何の話だろうかと一瞬考えたが、そういえば茶々殿の出産の際に、馬術を教えると言う話をしていたなと思い当たり「では茶々殿に伺ってよいか文を出そう」といったが「先日カタリナと淀に行き、茶々殿はいつでもと申しておりました」との言葉が返ってきた。

 これは二人で盛り上がり、茶々殿の侍女たちは何もいえずにあたふたしてたのだろうなとその時の光景が浮かんだが、二人の仲が良いのは悪くないとも思い「では父上にもそのこと伝えて許可をもらおう」と笑円に文を書いてもらい関東へと送ることとした。


「殿下の返事を待つのは退屈です」という更級をなんとか宥め父上の返答を待つ日々を過ごす。

 父上からの返書は以外に早く着き『若政と淀の仲が良いのは豊臣の慶事である。小田原の包囲は長くなりそうゆえ大名どもに妻子を呼ぶことを許し、わしもねねに淀を遣わすよう文を出そうと思うておったが、淀も楽しみとしておったゆえ淀は若政に与えることにした。ねねに京極を遣わすよう申し伝えてくれ』と書いてあった。

 それを見た更級は「では明日淀に参ります」と今にも飛び出していきたいのを必死に我慢していたし、母上に側室を送るようにと伝えるのかと自分は気を重くしていた。



 政宗は自らの才覚を天下を手に入れる事ができる程であると自負していた。

 秀吉の惣無事令を無視して、戦を行った事もその表れで、自身の才覚であればそのようなことは乗り越えることができると考えていた。

 東北を手中に収めいずれは上方へと、思っていたがそれを行うには時間が足りなかった。

 上方は二十万の兵を関東に送り込んでいる。

 いかに自信家といえど、これだけの兵を前に勝利を得られると思えるほどではないし、決して暗愚でない政宗には上方との敵対を決意すれば、伊達の家を守るため家臣が排除に動くだろうことが予想できた、ここが潮時だった。


「上方へ臣下の礼を取りに小田原に参る」

 わしの前の天下人の顔を見るのも面白かろう。

 同い年の関白の後継者は上方で留守居なのが残念だが、いずれ会うこともあろう、その時の楽しみにしておくか。

 彼は悠々と馬を進め小田原へ向かった。



 関白秀吉は天下統一の最後の戦となるであろう、この決して負けようのない戦を楽しんでいた。

 次々と帰順を示すためにやってくる東国の大名たち、かつて武田信玄や上杉謙信をも跳ね返した堅城を高台より眺め、奴らはいつ落ちるのであろうかと気を揉んだのだろうかと思いを馳せる。

 いつまで耐えられるのかのと、気楽に眺めるわしとは大違いじゃとの考えが浮かんで愉快に思う。


 南方のことはあるが、一年でも二年でも戦う用意はしている。

 多少長引いたとしても問題はないことが秀吉を気楽にさせていた。

 それにそう長く持たんじゃろとの思いもある。

 当主親子は領土を拡大しており、外交などをみても有能ではある。

 じゃが先代程傑物ではない。

 この大軍を前に家中は揺らぎ、遠くない未来に耐えれん様になるじゃろう、わしはそれを悠々と待てばよい。


「殿下、伊達家より当主自ら臣下の礼を取りたいと参られました」

 浅野長吉の言葉で現実に引き戻された秀吉は「参るわ本陣に通しておけや」と返してゆっくりと本陣に向かった。

 確か餅と同い年であったの、東北の麒麟児とやらを見るのも楽しみじゃ。



「関白殿下の御成りです」

 近習の誰かが声を上げ、小柄で派手な陣羽織に身を包んだ男が現れた。

「そちが左京大夫か、東北の戦にやっと飽いたか」

「陸奥の片田舎にも殿下の大戦が伝わり、天下の大戦を一目見んと参った次第、この天下の陣容を見て陸奥の戦など些事であったと思い知らされ申した。若輩者の田舎者にございますが、陸奥の案内おまかせくださいませ」

 秀吉は芝居ががった男であるなと印象を持った。


「まあええわ、じゃが遅参は許されんぞ」

 そうはいったが、秀吉に政宗と対決するまで追い詰めるという選択肢を取ろうとは思っていない。

 東北を攻めるつもりで準備をしていれば、耐えられるであろうが流石に準備不足であった。

 政宗は「はっ」と言って平伏し諸侯に臣下の礼を印象づけた。

「追って沙汰致す。しばし謹慎しておけや」

 その言葉にも「はっ」と答え自信溢れる姿のまま政宗は秀吉の陣を後にした。


 政宗が陣を去った後秀吉は大笑いして「まだまだ若いの、あの姿三河殿は三方ヶ原を思い出されたかの、わしは朝倉攻めで総見院様に叱られた事を思い出したわ」

 そういって笑う秀吉に苦々しい思いを抱きながら家康は「失敗を何度か致せば良き将になりましょう」と答えた。

「成る程の、なれば先人として遅参を理由に少し灸をすえてやろうかの」

 そういって笑う秀吉は、関東の後に控えた東北仕置に思いを馳せていた。

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