第六十三話 窮虎噛猫

 1589年十一月、真田昌幸は先月起きた北条の侵攻を関白へ報告した後、北条の運命が決まったとの思いを強くしていた。

 今の彼は天下人の後継者である者の義理の父という立場と、二十万石の大名であるという立場から、上方にも顔が利き情報を得るのに苦労しない。

 彼の見る所、豊臣の家は北条に対して厳しい態度を取っていなかったし、戦とならないように寛容な態度を見せ続けていた。


 いかに大領を持ち日の本で圧倒的な兵力と資金力を持つ豊臣とはいえ、彼の婿が始めた南方への侵攻はそのどちらも大量に必要とするもので、多少の妥協をしても戦をせずに関東が手に入るのであれば、それでよいと考えていたに違いなかった。

 北条は強かにそれを利用して外交を行っていたし、その結果世継ぎの義父から一部であれ領土を手に入れる成果すら得ていて、殿下が痺れを切らす直前に上洛を行なう事ができれば、豊臣の政権内で確固たる地位を得ることができただろう。


 ただ、先月名胡桃城を攻めた事は間違いなく失敗であった。

 北条が家臣の統制に失敗したのか、対明戦を考えなくてはいけなくなったこの情勢であれば見逃されると判断したのかは分からない。

 殿下は後方が不安定であることに、恐怖を抱いたであろう。

 幸いにも次々と明が日の本の侵略を意図して行ったものではないと報告が入っている。

 警戒は必要であろうが、今すぐ大戦になることはなさそうだった。

 ならば、殿下は決心したはずだ。

 北条は恐れる虎の尾を踏み、後は怒りのままに噛み殺される運命で、彼のもとに送られてくる知らせもそれを示していた。



 秀吉の心境は真田昌幸が想像した通りのものであった。

 再度元寇が行われるかと考えていた時に、後方で動くことは秀吉にとって許される事ではなかった。

 すぐさま「佐吉を呼べ」と大声で命じて、佐吉が参るなり「春には北条を攻める。兵糧を用意せよ」と怒鳴るように命じた。

 すでに右筆に命じて徳川には上洛するように文を送らせている。

 内容は恫喝すら含んだ荒々しいもので、上洛せぬなら北条とともに攻め滅ぼすとまで書かれていた。


 秀吉は豊臣の陣立を考える。

 明への警戒を解くわけにはいかぬ、餅は動かせられぬな、畿内に入れて留守居じゃ。

 九州も同じじゃわ兵を引き抜けん。

 毛利には水軍は留め置いて一万程を出させるか、となると大半は東国の者どもとなるが、それでも全部で二十万は動かせよう。

 せっかく兵を動かすのであれば、東北までも平らげて憂いをなくしておくのもよかろう。

 関白秀吉が、自らの家臣に兵を集めるよう指示したのは十一月だった。



 家康は焦っていた。

 豊臣の世継ぎの声望は日に日に高まり、逆に自らの手札は次々と無くなり続けている。

 今回の戦で北条は滅びるだろう。

 徳川が生き残るためには、切り捨てるしかない。

 北条との関係があったから、東国の取次を任されたと思えばなんとか納得できる。


 だが、徳川の影響力は確実に低下するだろう、なんとかしなくてはならない。

 少なくとも、あの成り上がりものが死んで、やつに全ての権力が移る前までには、取り潰されないほどの確固たる力が必要だ。

 あの上洛以来豊臣の世継ぎとは会えていない。

 だが長く忍従してきた経験から、豊臣の世継ぎが徳川を嫌っており、将来的に排除しようとしているというのは確信となっている。


 大きな領土を持つものを単純に危険と考えているとは思えなかったので、なぜ敵対心を持たれているのかは全く分からないが、その事を考えるのは二の次でいい。

 無論何もしなかった訳ではなく、関係を築くために娘を側室にと提案した事もあったが『お気遣いありがたいですが正室だけで十分です』と文が返って来た。

 姫路に使者を送ったりと関係改善に努めているが、東国と南方にお互い掛かりきりとなっているため未だ直接会うことは叶っておらず、使者は手厚くもてなされている様だが現状は手詰まりといってよかった。


 側室に関しては世継ぎが正室を大切にしているという噂は聞いており、徳川以外も多くの大名も断られているので納得できるし、会えていない事もお互いの任務のせいだと納得できる。

 徳川を嫌っているというのは、勘のようなものだが家康は自らの勘を信じ、そうであると信じている。


 このままであれば徳川に未来はなく、追い込まれ続けている徳川はいつか成り上がり者の子によって葬り去られるだろう。

 それでも自らの焦燥を押さえつけ、家康は機会を待ち続けていた。

 いつか忍従の日々が終わるその日のために。



 これまで父に対して不満を持つことはなかったが、戦国の世に生まれて初めてと言ってよい父への不満を秀持は抱いていた。

 そして、何よりこの結果をもたらしたのが自分自身の失敗にあったのではとも考えている。

 発端は北条討伐後の国替え、その案を聞いたことだった。


 父上は自分の知る歴史と同じく、家康を関東に入れる気であった。

 将来的に茶々の産んだ子に、家康の領地である三河・遠江・駿府の三カ国を与えて東海道を任せる気であるらしく、その準備も兼ねての転封となる。

 当然小牧長久手の戦いの事もあり、自分の知る歴史程の大領ではないが、それでも息を吹き返しかねない石高だった。

 父上の案では、上野国を真田の父上に与える以外は知る歴史と変わりないものであった。


「二百万石もの大領を与えるおつもりですか」と思わず口にしてしまったものだ。

「されど関東の取次を任せ、そちの後見もしてもらわねばならん。領土は必要となろう」

 そういう父に、なぜ家康を頼る結果になってしまったのかと思いつつも、強く出ることもできないことから「せめて相模に信のおけるものを置いて、万が一徳川が二心を抱いた時の盾を置いてくだされ、小田原なれば多く時を稼げましょう」と諫言した。

「確かにそちの懸念も分かるわ、律義者とはいえ警戒しておいてもよかろう、少し考えてみるわ」

 そうは言っていたが、不安は残る。

 だがこのことについてこれ以上の諫言を行い、それが広まるのも、父上の不興を買うのも避けたかった。


 叔父上の病が分かったあの時、父上は誰に後見を任せるか見失っていた。

 そして叔父上が隠居して、西国取次は自分、東国取次が叔父上という体制が崩れた時、家康がその座を射止め信任を深くしていったのだろう。

 あの時、秀次や持長の名を出せば、何か変わったであろうか?

 せめて、秀次の名を出せばと思い当たる。

 前田には北国の備えとなにかの時にすぐに大坂へ馳せ参じてもらわねばならず、真田は世継ぎの義理の父として十分に加増されている。

 秀次であれば東国に大領を任せてよい親族だったはずだ。

 関東を二人で分け合う様な事にもできたかもしれない。

 諫言を行った事もあり、父上の案より幾分かましになるとは思うが、家康は息を吹き返すだろう。


 結局この手で葬らねばならない。

 今までは念の為に有利を作っておきたい程度の心持ちだった。

 これからは明確に家康を敵と定めて動いていく、必ず豊臣の世継ぎの敵となったことを後悔させるそう決意した。

 家康としては敵になるつもりなど微塵もなく、彼の感情は違う未来を知るからこそ生まれた不当なものであったが、それを知るものは誰もいなかったし、その感情が徳川を敵としていることに気がついてもいなかった。

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