第六十二話 澎湖諸島

 小早川隆景との会談を終え、聚楽第にて父上に毛利との交渉の結果を伝えた後姫路に戻っていた。

 父上に毛利に感謝して、自分の名で毛利と小早川の世継ぎを認めると書状を書いたことも報告しており、父上は「毛利の忠誠には応えねばならんの、わしも認める書状を書くわ」と言っていた。

 これで、小早川秀秋が生まれる事はなくなったが、小早川の九州領が豊臣のものとなったことから、小早川を無理に継ぐ必要もないと考えている。

 酒の影響からも引き離され、順調に育っていることから適当な大名の養子にしてもよいし、どこかに領土を与えてもいいとも考えているがあこ様とも相談しなくてはならない。

 ただまだ幼いので、当分後の話になるだろう。


 高砂を守るために派遣している加藤嘉明から知らせが届いたのは、姫路に到着して十日程が経った頃であった。

 そこには明の軍船二十隻程が、豊湖諸島(澎から同音の豊に豊臣の名を受けて改名されている)に上陸しようとしたために、日本の領土であると使者を送ったが聞き入れられず、戦闘に発展して明水軍を打ち破り退却させたとの経過が伝えられている。

 さらには、明水軍から千ほどの捕虜を得て、五隻の船を拿捕したが、こちらもニ隻の船に損害が出て百程の死者を出したと双方の被害が示されていた。


 初めての本格的な海戦で、混乱したことから船に乗り込まれて死者を出すことになったが、海戦自体は船に備え付けられた大筒や鉄砲、練度の差もあって終始優位に進んだと戦闘の状況も書かれており、明の水軍に対しては多少の差があろうとも勝つことができましょうとの自信に溢れた言葉も付け加えられている。


 豊湖諸島は高砂占領の際、倭寇勢力の根拠地となっていて、古くから中華の領土としていたが実効支配しているわけではなく、時折役人を送っていたという状況であった。

 倭寇が根拠地として使うようになってからは、それも途絶えていたので、日本の領土として加えていた。

 事実上漁業しかない土地ではあったが、将来の事も考え日本人漁師も入れ、役人も派遣して日本領として経営している。

 高砂の食料供給に一定の成果も出しており、何よりも防衛上どうしても渡すわけにいかない土地であった。


 明との戦闘となった事は、勝利したとはいえ豊臣政権に衝撃を与えた。

 高砂防衛のために、得居通幸を援軍として二千の水軍を率いて高砂に向かわせたし、父上は予定を前倒しして寺沢広高に三千の兵を与えて豊湖諸島の対岸に城を作り開発を進めるようにと命じた。

 叔父上を九州に移すと決めた後、唐津も叔父上に与えようと考え、唐津に入れていた寺沢広高を高砂に転封させる計画を父上と進めてはいたが、防衛強化のために急遽命じた形だ。

 さらに父上は叔父上の家臣となっていた桑山重晴に豊湖諸島を防衛するようにと五百の兵と軍船を与えて、前線基地を作らせることとした。


 当然予想外の攻撃と、援軍による補給計画の見直しで播磨は大わらわで、父上からは毛利水軍への技術提供を一刻も早く進めよと命じられて、先日考えていた計画など吹き飛んだ。

 急遽明へ外交使節を派遣することにもなったし、情報収集の結果、明の皇帝の命でなく福建を任されていた者が功名のために暴発したと分かってからも警戒は続けられた。

 この結果、明との間で領土の交渉が行なわれ、引き続き豊湖諸島は係争地とはなったが、高砂については化外の地で明の預り知らない地であるとの言葉を引き出せた事は大きな成果であったし、福建での捕虜返還交渉で福建の地元有力者と繋がりができたことも成果ではあった。



 万暦帝は自らの知らないところで、東夷と戦いとなったことにまたも呆れる思いを抱いていた。

 少なくとも東夷どもは以前伝えてきた倭寇を取り締まるということに関しては本気らしく、倭寇の根拠地であった化外の地に兵を進めていたし、属国である朝鮮からは『倭人どもが済州島が倭寇の拠点であるといいがかりをつけて攻めるように命じてきています。傲慢な者どもを誅してください』と送られてきているようだ。

 ただ明からも朝鮮には済州島の倭寇を征伐するよう命じていて、その事が分かっていないのかと不思議に思っている。


 少なくとも、豊臣という東夷の王が倭寇を取り締まると宣言してから倭寇の被害は大幅に減少しており、我らの富が奪われないのであれば、東夷どもの好きにすればよいとすら思い始めていた。

 彼は政治に興味を失っていたし、平和の中で育ったことから皇帝としては能天気といってよかった。

 ただ常に感じている臣下への不満は、今回の件で大きくなっている。


 ある者が「慣れぬ化外の地での戦いで負けはしましたが、陛下のために東夷を討たんとした事は忠誠からにございます。軍船の整備を行い東夷を討たねばなりません」と此度のことを庇い、そして金を得ようと船の建造を求めてきた。

「東夷を討つ討たぬは、朕と朝廷の意であると思うていたが、福建の者が決めることであったのだな」と言うと何も言い返す事が出来ず、後日この者と福建の者の首が届けられたそうであるが、見る気にもなれなかった。

 何も変わらない国に嫌気が差し、後宮に籠もる日が増えている事は自分でも分かっていたが、改める気にはならない。


 今回の事で、東夷を討つ準備として進められていた軍船の整備も、皇帝の意が示されていないとの理由で中止となり、その分後宮への予算が増えていることに満足している。

 噂では、東夷との交渉が始まり臣下の者たちに金銀が配られているらしい。

 いずれは自ら徳を示して、それも朕の物とせねばならないなと万暦帝は考えていた。

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