第六十一話 筑前宰相

 大和で叔父上と九州国替えの話を終えて聚楽第に戻り、父上に大和でのことを報告を行なっている。

 父上への報告の内容であるが自分が叔父上に頼んだ役目と、官兵衛殿のことを話した。

「叔父上には嫌な役目を願い。また頼ってしまいました」

 そう気落ちする自分に、父上は「わしのやることにあれこれ言えるのが小一郎じゃわ。それに餅の言うこと間違っとらん」と優しく言ってくれ、少しは気が楽になったが、病を得た叔父に役目を願わなくてはならない事は辛かった。


「それにの餅よ、小一郎を頼ってやれや、無理なら柊が怒ってくるわ。病じゃからといって頼りにされぬのは堪えるわ。小一郎の事ゆえ役目ができて喜んでいたであろう。わしはそれでいいと思うておる」

 その言葉を聞いて涙が溢れ「はい」と言うのが精一杯だった。


「後は官兵衛か、どうしてもか」

 父上は落ち着くまで時間を空けてから問うてきた。

「いて頂ければ心強いと思っております」

 そう答えると「それはそうじゃ、戦となれば半兵衛の方が強かろう、じゃが半兵衛は国を治めることできん。官兵衛はなんでも出来るわ」と父上は言った。

「父上がそう仰るのであれば是非にと思います」

 そう訴えたが「考えておくわ」と言われ回答は得られなかった。


 こうして父上への報告を終えて、恵瓊坊からの大坂にて小早川隆景との会談の用意ができたとの言伝を受け取り大坂へ向かうこととなった。



 大坂に着くとすぐに恵瓊坊が参り「大坂の毛利屋敷で宰相様お待ちでございます」と言われて急ぎ赴く事となった。

 これほど毛利とは長い付き合いであるのに、小早川隆景と直接会話したことはほとんどない。

 毛利との交渉は恵瓊坊を通して行っていたし、ともに 戦った四国や九州では別部隊として戦った事から接点は少なく、論功行賞の際に挨拶をした程度であった。


 此度は毛利のこと相談したいと伝えていたので、毛利屋敷にて場が設けられたのであろうが、すでに吉川元春は亡くなっているので、小早川隆景こそが事実上毛利であったから何の違和感もなかった。 

 見事な庭園の見える部屋に通され、そこにいた白髪混じりの老人こそが小早川隆景であった。

 風流人のような佇まいで、今の日本の名将といえば?と問えば五指のうちに名が挙がるであろう武士とはとても思えぬが、間違いなく記憶通りの姿だった。


「内府殿、本来であれば私が赴かねばならぬところを、お呼びだてして申し訳ございませんでした」

「いえ急に宰相殿に会いたいとご無理申したのは私の方でございます。ありがたく思っております」

 そのような話から始まった会談であったが、その後すぐに隆景殿が「委細承知しております。九州の地を殿下にお返しすること毛利としては何の不満もございません」と言ったことに驚いた。


 この様に簡単に進むと思っておらず「本当によろしいのですか」と聞いてしまったが「元々殿下には私には荷が勝つ役目であると申しておりました。それでもと殿下が仰っしゃられましたので、預かっていたと思うております。大和大納言様の家であれば何も言うことはございません。殿下にお返し致します」と平然と答えられた。

「しかし毛利の家としては、大きく領土が減りまする。不満に思われませんか?」と聞いてみても「そのような不心得者は毛利にはおりません。もしいれば安芸宰相が成敗しております」と主をたてつつ忠誠を示し、全く不満を見せなかった。


「藤四郎殿(小早川秀包)の領土もお返しいただきますが、毛利の家に対して伯耆の国を堪忍料としてお渡しいたしますので、藤四郎殿にご配慮お願いいたします」

「毛利への気遣いありがたくお受けいたします」

「そういえば安芸宰相殿は実子がおらぬと聞いておりますが世継ぎは如何にするおつもりでしょうか?」

 この問いにやっと隆景殿は表情を変え「弟の子の宮松丸を養子として迎えております」と答えた。

「毛利の忠に対する私ができるせめてもの返礼にございます。毛利の世継ぎは宮松丸殿、小早川の世継ぎは藤四郎殿であると内府が認めると一筆書かせてくださいませんか?」

 そういって、自らの手で書状を書き、印を押して届けることを約束した。


 両家とも嫡子がおらず、世継ぎに関して横槍を入れられる可能性を考えていた隆景にとって、この提案は何よりも価値のあるものであった。

「お心遣い有難く、重ねて豊家に忠誠誓いまする」

 そう言われて、この国替えについては問題ないなと感じた。

 であれば折角の機会であるし、毛利の南方への協力にも話を通しておいたほうがよいと考え、相談を持ちかけた。


「宰相殿にご相談がございます。ご存知の通り私は南方について父上より任されておりますが、高砂を占領し播磨の者だけでは手が足りなくなっております。毛利からも力添え願えませんでしょうか?」

 そういうと隆景殿は「それでは小早川の家をお使いください。小早川の家は譲り藤四郎に差配させますので、いかようにでも」

 知る歴史と少し形は違うが、小早川の家を差し出して毛利を守ろうということか。

「藤四郎殿は武勇の誉れ高いと聞いております。頼りにさせていただきます。また三原に毛利が希望されるのであれば姫路の船大工を派遣いたしますので、南蛮の技術を取り入れた船を知って頂ければと思います」

 船は足りていない。

 この際だ、毛利の金で船を造らせて増やすのも手だと考えた。


 なにかの間違いで関ヶ原が起きたとしても、毛利は最悪でも中立で敵になる決断はしないだろう。

 ならば、毛利の水軍を強化して日本の海軍力を高めても問題ないはずだ。

 とはいえ叔父上が九州に移れば、博多などにも造船所を作って海軍の強化を進め、毛利以上の海軍力を豊臣が常に持ち続ける必要はある。

 このまま知る歴史の通りいけば来年小田原を攻めて、その後国替えが行われる。

 それに合わせて、計画を練るべきか……


「内府殿、なにかお考えですか?」

 隆景殿の言葉で思考から引き戻された。

「思いもかけず、小早川の家の助力をこれほど早く頂けることになりましたので、どのような役目を果たして頂くか考えておりました」

 隆景殿は笑みを浮かべて「如何様にもお申し付けください」と言ってくれた。

「ご無理ばかり申し上げたにも関わらず、毛利の家には感謝しかございません。何かございますれば私のできることであれば必ずや力添えいたします」

「恵瓊坊は変わらず姫路に参ります。相談したきことあれば恵瓊を通してお伝えいたしまする」

 そういって、これまでと変わらぬ関係を続ける事を示してくれた。

 大仕事になるかと考えていた毛利の説得は、予想外なことにあまりに早く簡単に終わってしまった。

 この様な態度を示してくれる毛利に感謝して、毛利の屋敷を後にした。


「この様に簡単によろしかったのですか?もう少し領土を得ることもできましたでしょう」

 恵瓊からの言葉に隆景は「あの者に欲を見せれば毛利のためとはなりません。豊臣に振り回されはしましたが紀州からの功で伯耆を取り戻せたと納得いたしましょう。それに毛利を守るためには豊臣に逆らうわけには参りません。豊臣に恩も売れました。これからも世継ぎとの繋ぎはおまかせします」と言ったきりだった。

 恵瓊としても長く内府と接していただけに、欲を見せればという言葉には納得できた。

 そして、時間をかけずに従ったことに大きな恩を感じたであろうことも想像できた。

 毛利としては悪くない取引だったやもしれぬと、恵瓊は感じていた。

 

 一方毛利が予想外に早く片付き、南方への助力の約束まで得られたことに秀持は上機嫌であった。

 毛利への印象も良くなっており、徐々に水軍の力をつけさせて毛利の力を伸ばしてもよいと考えてすらいた。

 だが徐々に強化すればよいと考えていた秀持にとって、そう悠長にも言ってられない報告を聞くことになる。

 その知らせは高砂からやってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る