第六十話 黒田孝高

 父上の叔父上転封の言葉を受けて、父上が聚楽第に戻ってすぐ上洛していた恵瓊坊に小早川隆景殿との取次をお願いして、同じく上洛していた大和豊臣家の当主持長、そして叔父上に九州の事を話して貰おうと黒田官兵衛殿も伴って叔父上と会うために大和に向かった。

 大和では、近く当主の正室に子が産まれる事をもあって、城内の雰囲気は明るかった。

 叔父上も、病魔に侵されているとはいえ、養生の成果か見た目には健康そうであり、知っているよりも長生き出来そうだと安堵することになった。


 だが柊様に寄り添われて、我々を迎えてくれた叔父上は面々を見て悟ったのか酷く悲しげな表情をした。

「そうか、兄さは決めたのじゃな。自分で言い出した事ではあるが、いざそうなると兄さにいらぬと言われたようで堪えるものじゃな」

 その言葉は強く否定したかった。

「まだまだ叔父上の力は必要にございます。それにこの話を聞いた時にもしお受けになるのであれば、九州にと申したのは私でございます。鎮西の要として、明との窓口として豊臣の者を九州に願ったのは私でございまする」

 叔父上は「そうかそいで官兵衛殿か」と呟いた後「どこに行くこととなるのじゃ」と聞いてきた。


「父上は筑前と豊前の二カ国を考えておる様子でございます。どちらも九州の要にて叔父上への信任は些かも揺るいでおりません」

「すまぬな官兵衛殿、わしの我儘で苦労をかける」と叔父上はいったが、官兵衛殿は「小一郎殿とはそのような小さきことを気にせねばならぬ仲ではありますまい。殿下から加増もぎ取って見せますわ」と明るく答えている。

「とはいえ家臣のうちいくらかは減らさねばなるまいな。佐吉が島左近をくれぬかと申していたが、義父の尾藤と合わせて佐吉にやるとするか、餅は誰ぞおるか?」

「杉若越後守は水軍に明るいと聞いております」

「じゃあやるわ。で九州で何してほしいんじゃ。餅が九州に押したからにはそれだけではあるまい」

 色々してほしいことは思い浮かんだが、一番に願っていることのみを伝えることにした。


「嘘偽りなく、父上にお伝え下され。勘気を恐れずにお伝え出来るのは叔父上しかおりませぬ。明や朝鮮は日の本を下に見ております。無礼な事を申しましょうが誤魔化して伝えれば大きな過ちに繋がります」

「兄さを唐土の帝のように耳触りのよい言葉だけにせぬ役目か……確かにわしがせねばならぬことかもしれんの」

 そういって、叔父上はしばし沈黙した。

「分かったわ餅丸、すまぬが毛利との調整任せる。わしは九州でわしの仕事をしてみせるわ」



 官兵衛殿には叔父上に九州の様子を話してもらうために別れることとなっていたが、大和を経つ直前に思い切って仕官を誘ってみた。

「官兵衛殿はご隠居されたと聞いております。播磨にてお力を貸しては頂けませんか?」

 突然の話に官兵衛殿も驚いたようで、真意を確認するために言葉を発した

「それはいかなる意味でございましょうか?黒田の家を与力にしたいとの思し召しなればとても私の一存では決められません」

「あくまで官兵衛殿のみでございます。甲斐守殿(黒田長政)は父上の直臣でございますから私の一存で決められません。それに黒田に見合った領土も持ち合わせておりません。お恥ずかしい話でございますが戦は苦手で、隣に官兵衛殿がいてくだされば心強いと思っただけにございます」

 偽らざる思いだった。


「三河殿相手に勝ちを得た内府殿のお言葉とは思えません」そう口では言いつつも官兵衛にはその意味が想像できていた。

 そういえば戦いはしているが方針を決める総大将の戦ばかりで、自ら率いた軍で敵軍と戦かった事は多くなかったはずだ。

「私が率いれば三河殿どころか、その配下の誰にも勝てません。後ろで決めることはできますが、矢面に立てば引くも攻めるも分かりません。良き将と信じたものに任せてその者に従うだけにございます」

「なぜ私なのですか?」

「兄上も鹿之介も万を率いるのには天下のいかなるものにも引けを取らないと信頼しておりますが、十万となれば分かりません。官兵衛殿であれば十万でも一万でもお任せできそうで、側にいて欲しいと思ったのです」

 その言葉を聞いて官兵衛殿は思案顔となり、次いで待遇について聞いてきた。


「私の領土はご存知の通りでございますから、お渡しできるのは播磨のうち数万石が精々といったところで加増などもできません。されど南蛮の者たちや唐土の者たちとの知恵比べを存分にしていただいて構いません。お渡しできるのは隠居後の楽しみのみにございます」

 官兵衛殿は大笑いして「内府殿は殿下に似て人たらしでございますな。心動かされそうになりましたわ。してわしが頂くものは倅のものとなるのですかな」と聞いてきた。


「官兵衛殿のお好きに使って頂ければようございます。甲斐守殿にといえば甲斐守殿に、熊之助殿に別家をというのであればそれでもようございます。家臣の者へと言われればそれに従いましょう」

 またも思案顔になった官兵衛殿は「内府殿のお話嬉しきものでしたが、殿下や倅とも話さねばなりますまい。ご返答はまた後日としていただきとうございます」と回答を避けた。

「父上には官兵衛殿お誘いしたこと伝えておきます。官兵衛殿は隠居したとはいえ父上の家臣。勝手に来てもらうわけにもまいりません」

 そう官兵衛殿に伝えると、突然この様な話をした無礼を詫びて、小早川隆景殿と会うために大和から出立した。


 大和に残された官兵衛は、豊臣の世継ぎから突然伝えられた仕官話がこの後どうなるかを考えていた。

 まず浮かんだのはともに戦場を駆けた関白秀吉のことで、自分の力を示すために殿下のもとで能力を見せ、天下への道を作ったことに後悔はないが、その結果殿下に警戒されて第一線からは退けられている。

 殿下としては例え二十万石に届かない領土であろうと、倅と引き離したいと思うかもしれぬ。

 そうなった時に不満は抱くのだろうかと考えて、倅には十分なものを残した、わしは残りの命でほどほどに楽しめればそれでよいようじゃと自分を推し量る。


 面白ければ天下を掻き回してもよいが、殿下がいる間はきっと決心できないだろうとも思う。

 ならば殿下に決断は委ねようと思った。

 そのままでも多少は楽しめる機会はあるであろうし、播磨へ行くことになればそれはそれで楽しそうだった。

 ただふと内府殿は倅には懸念を持っているのではと、なぜだか感じた。

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