第五十九話 弟の誕生

 五月の中旬に茶々殿の子がいつ産まれてもおかしくないとの知らせを受けて、更級とカタリナを伴って上洛をした。

 更級が生んだ娘の名前は、更級やたまたま城に来ていた師匠の虎哉宗乙も交えて、あれやこれやと考えたが、更級が信濃で古くから詠まれる名所から取られたので、播磨の名所からとってはどうかという意見が出て、明石と名付けた。

 燈火とともに詠われる事から、豊臣のこれからを照らしてくれるだろうと、すでに自覚ができる親馬鹿となっている。


 師匠といえば、姫路で寺を開山し今まで通り縁者や家臣の子らの学問の師として働いてもらっていたが、長男の瑞雲丸もそろそろ師匠のもとに通わせるかと言ってみたところ、宮部継潤から「流石に若君を通わすわけには参りません」と反対された。

「我が師匠に不足があると申すのか」とつい声を荒げてしまったが「殿が幼き頃より宗乙坊のもとへ通っていた事は知っておりますが今とは立場が違いまする。いかに姫路の町といえど殿下の孫を通わすのはとても」とよく考えれば当然の事を言われてしまった。


 とはいえ師匠も今年で六十、毎日城まで来てもらうのも気が引ける。

 その時大阪城の事を思い出した。

 確か豊国神社は大阪城にあったではないか、姫路の城の中で開山してもらえば自分も師匠のところに通えるし良いことずくめではないだろうか。

 そうと決まれば、早速師匠のもとに参らねばと飛び出すように向かった。

 歳のせいか引っ越しを渋る師匠をなんとか説伏せて、流石に本丸のある内堀の中とは行かなかったが、二の丸のある武家屋敷なども並ぶ外堀の中に敷地を確保して、設計に取り掛かった。


 皆忙しそうにしていたので、師匠のためと思い設計は自分が行なった。

 良い出来と思っていたが数日後、師匠が継潤を伴って修正を求めにやってきた。

「学問所が大きく、僧たちの宿坊も広く、浴場や食堂、書院まで造って頂けるようですが、本堂が見当たりませぬ。あいも変わらず仏事に興味はないよいですな」

 師匠にため息混じりに指摘された。

「あ、いや忘れておっただけでございます」

 師匠は再び深いため息だ。


 師匠が言葉を無くした後は継潤の番だった。

「なんですかな、この学問所にほど近い離れの部屋は、それになぜ兵練のための施設があるのですか?」

「おお、我が子が通うようになれば学ぶ様子が見たいと思うてな。私の部屋も作っておいた。忙しい時に師匠のもとに逃げることもできる。兵練は更級がどうしてもと言ってな」

 継潤もため息混じりに「殿の間を作るのは良いとしても逃げないでいただきたい。それにこの際でございます。京より吉岡の者に来て頂き道場を開いてもらえばよいではありませんか、寺にその様なもの作るより若政所様も満足いたしましょう」と言ってきた。


「おおそれは名案だな。早速手直しを致そう」

 自信満々に机に向かおうとしたところ継潤が「御坊、後はお任せ下され、ここで見張って良き寺となるよう指南致します」と師匠に申し出た。

 師匠も「善祥坊殿のみが頼りでございます。よくよくご指南お願い致します」とすがるように頼んでいる。

 この様な不可解なことはあったが、無事師匠の寺の案も決定し、心置きなく上洛することが出来ている。



 京に入ると早く茶々殿に会いたいという更級を、淀城にカタリナとともに向かわせ、自分は吉岡憲法殿に道場のことを頼んだ後聚楽第に入った。

 父上は今か今かと待ちわびて政務も手につかない様子で顔を見るなり「餅丸任せるわ」と言われて佐吉をつけられ父上の仕事を代行することとなり、父上は全てを自分に任せて淀城へ向かった。

 四苦八苦しながらも、聚楽第に入っている前田の父上やつけられた佐吉の力を借りながら、父の代わりを行っている。


 聚楽第には有力な大名が新しい豊臣の子を祝うべく集まっており、流石に小一郎叔父は来ていないが、大和からは身重の摩阿殿を残して当主自ら上洛していたし、讃岐からは秀次と秀勝の兄弟が国許のことは筆頭家老の田中吉政に任せて上洛していた。

 備前からも八郎と豪が来ていたし、九州からは勝蔵殿の代理として弟の忠政殿、島津は豊久夫妻、当然前田の夫妻も上洛している。

 北条と睨み合っている甲信からも真田の母上や浅野からはやや様が来るなどちょっとした一門の集まりになっていた。


 諸大名も北条に備える必要のある東国のものは別として、美濃より西の者たちは当主自らもしくは代理を立てて上洛しているので、いかに関心が高いかが分かるというものだ。

 それだけ集まれば、自然と秀吉の子のことだけでなく、北条や高砂の話題にもなり、諸大名たちは今後いかにするか決めるために情報収集に余念がない。

 大名の間にも北条攻めの風聞は聞えており、上洛がなければ来年にも戦となるだろうというのが共通認識の様だ。


 聚楽第に集まった諸大名の歓待が主な仕事だが、それだけに要望も聞くこととなった。

 小大名を中心に、南方作戦へ参加したいという要望もあった。

 これまでの所、日の本の領土を没収されて南方領へ転封されている。

 それでも亀井茲矩の様に石高が増えている者もいるし、多大な援助をもらいながら領土開発に勤しめばそれが手に入るとなれば今の立場を一時捨ててでもと思うのだろう。

 豊臣の世継ぎとの関係を作れるというのも要因かもしれない。


 逆にある程度の領土を持つ大名からは、協力を申し出る者が多かった。

 今の立場は捨てたくないが、南方の権益に加わりたいといったところだろう。

 そんな要望など聞きながら、大名たちとの関係を作っていると、知っている歴史通り男子が産まれ棄丸と名がつけられたことを知らさせた。


 使者によると父上と更級は大喜びで、抱き合って弟の誕生を喜んだと誕生時の様子も伝えられた。

 さらに更級は茶々殿に「餅丸殿は子に学問ばかり学ばせようとしていけません。この様に元気なのですから武芸も学問学ばせて立派な大将になってもらいましょう」と言って父上を大いに喜ばせたという。

 父上も「豊臣の子なれば立派な大将になってもらわねばな」と意気投合して茶々殿の隣であれやこれやと二人で計画を練っていたそうだ。


 他にも何か言っているはずだと、聚楽第に戻ってきた父上に更級のことを聞いてみると、その予感は的中していた。

 更級は「茶々殿も部屋の中ばかりでは気も晴れぬでしょう、今度上洛した時には茶々殿に馬術をお教えいたします。侍女のカタリナにも教えたのですよ。いつでも播磨にこれる様に鍛えて差し上げます」と茶々殿と約束をしたらしく、茶々殿は無邪気に喜んで「いいですか殿下?」と父上を大いに困らせたらしい。

 返答に困った父上は「まずは城内で訓練できるようにすれば、お棄にも茶々にもよかろう」となんとか二人して城外を駆け回るのだけは阻止したと言っていた。


 だが父上の表情を見ると、決して不満気でなくそれすら喜んでいるようで、更級を連れて来た事は間違いではなかったと思えた。

 よい結果となったことに油断していたのか、その後の父上の言葉に衝撃を受けることとなった。

「小一郎の言葉受け入れることとした。筑前と豊前とする。毛利との調整任せるわ」

 しばらくの間、ここで決めたかという思いが心の中を支配した後、播磨へは当分帰れないなと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る