第五十七話 王の決断
秀吉は息子から提案された法についてどうしたものかなと考えている。
一つ目の法は奴隷禁止令だ。
わしとて奴隷となったものを憐れと思うていて、九州でも同じ法を出した。
この法を出すことは問題ない。
問題はそれと同じく出して欲しいと言っていた人買令だった。
秀吉はこれを息子から提案された時のことを思い出す。
「なんじゃこれは、そちは関白に人買をしろと申すのか」
頭に血がのぼり語気を強めて問いかけるが、何処吹く風といった様子で返答が行われる。
「はい父上、高砂ではいくらでも人がいります。それに呂宋を攻めることとなればさらに、人はいくらいても足りません」
秀吉は息子が臆することもなく平然と答えたことで冷静となった。
「それは分かるが、あまりに人聞きが悪い」
「なれば、救民令と名を変えて下さい」
彼の息子が出したのは、豊臣が米と引き換えに人を買うという法だった。
「父上なればいくらで日の本の奴隷商人が買っているか知っておりましょう。値を吊り上げねばなくなりません」
原案では働く事のできる成人男性であれば二石、成人女性は一石五斗、成人していない男子は一石二斗、女子は一石で買うとされていた。
多くの場合家族を売る決意をするときは、不作や戦で生活が成り立たなくなったときであろうし、その時は米の値も上がっているから下手に金で買われるよりも価値があるだろう。
「買う人数を決め飢餓や戦の時に、人数を増やすものでも構いません。一家揃って飢え死にしたり、子を二束三文で売るよりは民のためになりましょう」
「分かったわ、じゃが少し考えさせよ。皆の意見も聞きたい」
息子の言いたいことも分かるが、どう民に捉えられるのか予測できずに秀吉は迷い即答を避けた。
何より考える時間が欲しいと思い、息子との話を終わらせた。
又左や小一郎果てはねねやなかにも相談したが、結局は秀吉に決断は任された。
ただなかは、この法に大賛成で秀吉に進める様に促した。
「わしは藤吉郎や小一郎が山程人を殺してること知っとるわ。老い先短かぁでな、どう神仏に謝ろうか考えておったわ。中村でも子を売ることあったわ、苦しんでるのにつけ込んで二束三文よ。子を売っても一月も生きれん、その後は親から残された田を売ってなんとかよ。子を売って米もらえるなら何人救われるか分からんわ。神仏が殺生ばかりの子を産みよってと、地獄に落とそうとも、おみゃらにいくら祈っても救いもせんかった者共をわしの子は救ったわと言って喜んで地獄に行けるわ。藤吉郎頼むわ農民を救ってやってくれや」
そういって秀吉に懇願した。
それでも秀吉は迷っていたが、やがて腹は決まった。
「佐吉よ。餅の法の触れを出す。文面を作らせよ」
法に名はつけず、奴隷禁止令の中に含める事としたがそれでも発令されたことに変わりはなかった。
凶作や困窮で涙ながらに悪しき奴隷商に子や家族を売るのであれば、日の本の子として天子に扱いを委ねるがよい。豊臣家は関白として堪忍料を遣わすこととする。
との文言で公布された法が、やがて多くの民を救うことにつながることとなる。
秀吉は敵対者から人買い関白などと言われたが、なにもしないものより、高値で買ってくれる人買いの方が民にとっては有難かった。
*
マドリードに秀吉の書状が届いたのはすでに昨年となった1588年のことであった。
フィリピン総督が重大性を鑑みて、自身の意見とともに太平洋経由で書状を送ってきたため第一報は日本側の予想よりも早く着くことになった。
その後、ゴアからもイエズス会の宣教師とともに書状が着いて、ゴア総督からのイエズス会に対する罵倒にまみれた意見書も届いていた。
フェリペ二世とその大臣などスペインの首脳に、日本の事を説明したのはペドロ・ゴメスという追放まで日本にいたイエズス会宣教師だった。
今、フェリペ二世はいくつもの書類に囲まれた彼の私室に極限られた重臣を招いて、東の果てにある国についての対応を決めるべく話し合いを行っている。
真っ先に言葉を発したのは老境に入り白髪の目立つ、世界を制する王だった。
「この豊臣秀吉という者は、神聖ローマ帝国の様にいくつもの諸侯に別れている異教の国に現れた新たな王ということで間違いないか?」
自らも宣教師から日本の話を聞いていた重臣の一人は「戦争を繰り返して、首都を含む三分の二以上を支配下に置き、残すは辺境の地が大半と聞いておりますから、そのような認識で間違いないと思われます」と答えた。
「その王が最近征服した諸侯の中に、カトリックを信じてイエズス会に領土を寄進した者がいて、イエズス会は土地を受け取り、その者達に異教の教会の破壊を依頼していた。それも間違いないか」
重臣は「報告を読む限りは」と短く答える。
「また布教資金を得るために、ポルトガル商人と癒着して商人はいつものように奴隷を買い付けを行っていた。それもあっておるか」
先程の重臣が「大きな間違いはないかと」と溜息混じりに発言し、おおよそのことが他の重臣にも伝わる。
「ああ、イエズス会から何度か征服のために海軍を送って欲しいという要請は受けていた。さて今まで話した事が、日本の王に侵略と見られた理由となる」
ある重臣が話題を変えようと兵力について質問した。
「ゴアからの報告では少なくとも二十五万の陸軍に十万程の鉄砲があるらしいぞ、海軍はガレーが中心のようだがポルトガルの船が多数拿捕されて、かの国には多くの造船所がすでにあると送ってきている」
フェリペ二世は一息入れて「どう対応するか皆の意見を聞きたい」と言った。
誰からも声は上がらなかった。
「急なことで考えがすぐにまとまるものではないな、部屋を出てよい。考えがまとまればいつでもこの部屋を訪ねて来るといい歓迎しよう」
そう言われて重臣たちは、一人また一人と部屋を後にしていく。
最後まで残ったのはパルマ公アレッサンドロでフェリペ二世を見据え続けていた。
彼の母はカール五世の娘であり、カール五世を父に持つフェリペ二世にとっては甥にあたる人物となる、軍人としても名高く王が最も信頼する人物だった。
「どうしたアレッサンドロ」
先程までの言葉よりも砕けた印象のする言葉で、他のものの目がない時には、お互いこの様なもの言いをすることもあった。
「実際のところはどうするおつもりなのですか?」
その言葉に苛立ちを隠すことなくフェリペ二世は答えた。
「どうするもなにも、どうすることもできないのは分かっているだろう」
「はい」
「王立海軍は昨年のイングランドとの戦争で、大損害を受けて動かすことはできない。フランスもネーデルランドも憎きプロテスタント勢力との争いでどうなるか分からない。アジアに兵を送る余裕などありはしない事は分かるであろう」
「それはそうですが」
フェリペ二世は口にしなかったが、スペインは増加し続ける軍事費により財政は破綻と言っていい状態になっており、新たな戦争をする余裕はどこにもなかった。
「ではアレッサンドロ、日本を占領するためにどれほどの兵が必要だ」
「ゴアからの報告がどれほど正確かは分かりませんが、少なくとも十万は」
「イングランドとの戦争の前であっても不可能だな」
フェリペ二世は力なく呟いた。
「だが気が変わった。アレッサンドロ、全ての権限を与える。ゴアの副王として対応に当たれ」
アレッサンドロは耳を疑った。
先程まで、兵を送る余裕がないと言っていたのではなかったか。
「兵は二千程で船も軍船は大型のものは十も渡せない。ただアジアの全てを失ってもよい。その代わり被害を抑える努力をしてほしい」
「援助はどれほどいただけるのですか?」
「なにも送れないと思ってくれ」
なんという任務だろうか。
「それは王としての命ですか?」
例え王命といえど、死ねと言うに等しい命令に自らの兵の命をかけるわけにはいかなかった。
「そちの叔父たるフェリペの願いだアレッサンドロ」
だがなぜかそれならば仕方が無いとアレッサンドロは思ってしまった。
「拝命いたします我が王よ」
「ああ、すまないアレッサンドロ。だがこれで納得はできる」
「きっと何もできませんよ」
いつも以上に砕けた言葉だった。
「それでもだアレッサンドロ。お前がいてよかった」
「次があるのなら百万の兵と千の軍船を与えて下さい」
「ああ、望むもの全てを与えよう」
四百年経ってもなお、スペインが叶えることのできない約束をかわしてアレッサンドロはアジアへ向かった。
そして二年の後、終生関わることとなる若き異国の王子と相まみえることになるのだった。
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