第五十五話 茶々の子
1588年も年の瀬となっているが、豊臣家にとっての吉報は続いている。
まずは、側室として入った茶々の妊娠が発覚し、父上は久方ぶりの自分の子に、当然大きな期待を寄せているようだ。
祝いを述べるべく聚楽第にいったが、茶々殿も子ができたことに喜んでおり、この後産まれる子どもの運命を知っているので、いたたまれない気持ちになってしまった。
更級と摩阿殿の妊娠も父上は喜んでいたので、それが慰めになることを祈るばかりだ。
そして、初めて話した茶々殿の印象は、一方的に持っていた印象とは全く違い、明るくて社交的な女性という印象だった。
自分の知る歴史での行動は、周りに流されたり子を守るため彼女なりに考えた結果が裏目に出ただけだったと自然に思えた。
彼女とであれば、彼女が命をかけてでも守ろうとする者に手を出さなければ、弟の母として付き合っていくこともできそうだとそう思ったのだった。
「私の妻も初めての子を産んだ時には、不安になったものです。茶々殿とは家族になるのですから何かあれば申しつけ下さい。また妻の更級より茶々殿に文を送ってもよろしゅうございますか?おなご同士なら話し易い事もありましょうし、茶々殿と話してみて更級と茶々殿が、母上と加賀のおまつ殿の様に仲良くなって欲しいと思いました」
茶々殿はより一層表情を明るくして「家族、それに若政所様と、嬉しゅうございます」と言ってくれた。
その言葉を聞いて自分も嬉しくなってしまう。
今日ここに来て、茶々殿と会って本当によかった。
*
殿下の嫡子である内府殿が、私に懐妊の祝いを伝えたいと面会を求めてきた。
噂は聞いているが、今まで遠目でしか見たことしかなく、話したことなどなかった。
乳母である大蔵卿局からは「決してご機嫌を損ねる事なきよう」と何度も釘を差された事もあり、不安と緊張で前の日などはなかなか寝付けなかった。
豊臣家の後継ぎとなる者、妹のためにもそして何より腹の中にいる子のためにも、どうしても気に入られる必要のある人物だった。
初めて、近くで見た印象は、殿下より背が高く武士だというのに荒々しさが全くないのだなというもので、恐ろしい人物であったらという不安はすぐになくなった。
実際に話して見ても言葉は優しかった。
子ができた事を喜んでいるという話をした時には悲しそうな顔をしたので、私に子ができる事を喜んでいないのではとも思ってしまったが、その後話をしてそうではなかったと納得できた。
若政所様が瑞雲丸様をお産みになられた際に不安に思われていた事を思い出して、私が無理をしているのではと考えられたようだった。
その後も優しい言葉をかけられて嬉しくなってしまった。
懐妊してからは毎日の様に様子を見にきてくれる殿下にもこの話を余りに嬉しくて話してしまった。
殿下もこの話を聞くと喜んで「そうかそういっておったか、更級はおもしろきおなごじゃ、茶々も気が休まろう、しかしそういっておったか」と何度も「そういっておったか」と繰り返していた。
茶々を心配していた大蔵卿局も、この話を聞いて安心したのか喜んでくれた。
同じく乳母で仕えてくれている饗庭局は、まだ難しい顔をしていたが、茶々にとっては皆がこれほどまでに喜んでくれる事が嬉しかった。
早く子を産んで本当に家族になるのだと、そして自分を暖かく迎え入れてくれる未来を想像していた。
*
小一郎が病を得て一線を退いてからもうすぐ一年となる。
初めは孫の世話など、したこともないことの連続で、もしかしたら働いておるより忙しいのではと思ったものだが、一月もすれば慣れて今ではゆったりとした日々を過ごしていた。
時には息子や兄や甥の相談に乗りながら、息子が徐々に大名として成長する姿を間近で見ることを楽しみ、最近では息子の嫁である摩阿が懐妊したのでその様子に一喜一憂する日々だ。
夜になり柊から三通の文が渡される。
一線を退いてから、わし宛の文は柊を通すことになっていて一年を過ぎてもそれは変わりがない。
「兄さやおっかあからの文ぐらいはええじゃろう」とたまに言ってみるが変わる様子は全く無い。
とはいえ、そのあたりの文は止められている様子もなく、そう口には出すが不満はないし、柊もわしの愚痴を言う癖が出ているだけだと見破られているだろう。
たが、今日は柊が難しい顔をしている。
「殿下と餅丸殿それに讃岐宰相殿からです」
まずは兄さの文を見る。
側室の茶々が懐妊したから子が産まれたら久しぶりに上洛せぬかと誘われていた文に、今回は摩阿が子を産むのを見てからじゃと返していたが、『まだその事を言うか小一郎、じゃがわしもねねもおっかあも待っておる。日が決まればすぐ知らせよ』と何の問題もない文だった。
「柊も久しぶりに姉さに会うのもよかろう。上洛が決まれば共に参るか」
柊は表情を柔らかくして「そうですね。お前様だけで行くと断れず殿下に連れ回されて、疲れ果てて帰って来そうですし」と言った、どうやら柊としてもこの文は気になっていないようだ。
次に餅丸からの文を見る。
どうやら来年予定している高砂遠征についての相談のようだった。
高砂は今までタカサン国(高山)と読んでいたのが呼びにくいとタカサゴと播磨の者たちが言い出したのが広まったもので、今では皆がこちらを使っている。
内容は遠征が成功した後、尼子を高砂に入れたいが良いだろうかというものだった。
「与力ゆえ好きにすればよいものを餅丸は律儀じゃの」
そう言いながらも、高砂の位置を思い浮かべ血縁の者を入れたくなるのも分かるなと思った。
南蛮人や琉球の者、そして琉球にいる水軍が調べた情報を元に作られた地図では明にほど近いことが示されていて、今は何もない所と聞いているが人が多くなれば明との貿易の拠点となる場所であった。
また、今後南蛮と戦となるのであれば、呂宋を攻める拠点としても使われるはずで信頼出来るものを置きたいのは道理と言えた。
「なかなか桐と会えぬようになるのは寂しいことじゃが、仕方なかろうな」
柊も「そうですね」と納得はできている。
となればこれかと秀次からの文を読んだが、文を読んで頭が痛くなった。
そして柊の表情にも納得できてしまった。
そこには、弟の秀勝が最近所領が少ないことに不満を言うようになり、茶々の懐妊を知ってからは妻が茶々の妹であることから頻繁になっていること、もし男子を産めばどうやって抑えたらよいかと書かれていた。
秀勝は伊予に一郡を与えられ二万石程の領土を持ち、秀次の家臣として働いている。
小一郎はしばらく考えたが良い案は浮かばなかった。
何せ秀勝に功と言えるものは何もなく、ただ一門であるだけであったからだ。
同じ一門でも、あこ殿の子である二人は領地が与えられておらず、木下勝俊は五千石、木下利房は二千石の待遇となっているが、それぞれ京での取次、来客への取次と役目があり未来は明るい。
たが秀勝にはそれもなくこのままではという思いもあるのであろう。
「たわけが、姉さには子を叱ってもらわねばならんわ。宰相にも決して哀れに思うなと文を出す」
兄さの耳に入ればどうなるかわからんのかと何度目かの頭痛を感じ、宰相まで巻き込まれかねん、わしが動かねばならぬかもしれんなとまで思った。
「はい。それがよろしいかと」
柊は餅丸はこの様な者を嫌うであろうな。
耳に入れば、未来はないなと思った。
「それと松丸をここへ、わしが死んだ後の事よくよく言い聞かせねばならぬ」
後回しにしてきたが、いつまでも畿内に大領を持ち続けてはと思うてもいた。
「わしは兄さに領地を返すわ。どう思う?」
小一郎は柊にそう言って意見を求めた。
「それもよいかと思いまする」
柊からの反対はなかった。
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