第五十四話 側室たち
更級は夫が語る話に飽きていた。
いつも夫の話は楽しく、いくら話を聞いても飽きないと思ってはいたが、こうも同じ話を繰り返されれば飽きるのだなと少し眠くなった頭で考えていた。
夫が語る話題は、宇喜多秀家と豪の婚儀のことだった。
いつもは着物などに興味のないはずが、足繁く播磨でも一番の腕を持つと言われる職人のもとへ通って、播磨の絹で花嫁衣装を作らせた。
さらに昨今貿易が途絶えて、さらに高級品となった南蛮渡来の装飾品も買い求め妹に祝いとして送ってもいた。
私や朝日様、カタリナなどにも着物を作って貰えたのは嬉しく思えたが、それにしても見たことのない様な力の入れようで、婚儀から帰ってくるなりこの調子である。
婚儀を終えてすぐ、花嫁となった豪殿が美しく、また八郎殿も凛々しく見えたことから「豪殿は静御前の様に美しゅうございました」と感想を言ったところ「確かにそうであったが、八郎を九郎判官にはせぬ。八郎は大切な弟よ」
などと返ってきて、その時は妹と義弟を思う気持ちに嬉しくなったものだが、こうも続くとその様な気持ちも何処かへ行ってしまった。
カタリナは仕事を装い机に向かっているし、あこ様は最近こうなるとわかって近寄る事を避けている。
しばらくは我慢するしかないかと、婚姻して始めて諦めの気持ちを抱いた。
*
北政所ねねは正室として関白秀吉の奥を取り仕切り、秀吉唯一の子である息子も後継者として着実に声望を高めている事もあってその立場は盤石であった。
ただ立場が盤石であるからといって、奥に派閥が存在しない訳ではなく、小さないざこざは起きていたし、水面下で女の戦いは繰り返されていた。
今最も秀吉からの寵愛を受けているのが、京極殿と呼ばれている者で、名の通り近江守護である京極家の出身の者だった。
彼女の前の夫は本能寺の変の後明智光秀について丹羽長秀に殺された武田元明、兄は本能寺の変の後長浜城を攻めて討ち死にした京極高次と、その立場すら疑われかねない出身であったが、それ故に北政所の対して忠誠を示しており、北政所の派閥に属さない者たちの受け皿となって、北政所に協力し共に奥を仕切っていると考えられていた。
最近秀吉からの寵を失っていると噂されている山名豊国の娘南の局を同じく室町の名家という縁から保護していていることもその証拠と捉えられている。
南の局と同じく最近寵を失っていると噂されている織田信包の娘姫路殿は、その妹が木下利房に嫁いだ縁からねねが保護している。
そしてもう一人の側室である蒲生氏郷の妹の三条殿は、北政所と京極殿のいずれの派閥にも属さず独自の立場を取ってはいたが、何かの考えがあったわけではなく奥の権力に興味がないのが理由であり、そのため派閥と言える程の勢力も持っていなかった。
ただ、北政所の筆頭女房である孝蔵主が蒲生の家臣の娘であったので親近感を持っていたし、北政所に対抗意識も持っていなかったので、近い立場を取ってはいた。
浅井の娘である茶々が、奥に入ったのはそのような状況の時であった。
彼女とその妹たちは、北ノ庄城落城後織田信雄の元に預けられたが、小牧長久手の戦いの後は秀吉に保護されることとなり、その運命も委ねられた。
末の妹である江は秀吉によって離縁させられ、讃岐の三好秀次の弟三好秀勝に嫁ぐ事となった。
すぐ下の妹である初はまだ婚姻相手が決まっていなかったが、運命は豊臣に委ねられていた。
茶々は妹に少しでもよい縁組をと思っていたし、そのためにはここで生きていくしかないと考えている。
そして私達姉妹は母に見捨てられたのだから、姉の私が妹を守らなければとも思っている。
茶々の記憶にある母はいつも苦しんでいた。
私達が失敗すると口癖の様に「そなた達の父より娘を立派に育ててくれと託されました」と言って叱られたが、父の話ばかりする母を見ていると、あなた達さえいなければ共に死ねたのにという呪詛の様に聞こえた。
毎日の様に、母は父がいかに素晴らしい人物だったか語って聞かせてくれたが、子供心にそれほどの人物ならなぜあっけなく叔父上に殺されたのか不思議に思ってもいた。
それに母以外の誰からも父のことを聞いたことはなかった。
そして、母が北ノ庄で死を選んだ時、今までの母の言葉が全て嘘であったと悟った、江はまだ十一の子どもだった。
母は私たちなどどうでもよかった、ずっと父と死にたかっただけだ。
そして父のもとに行く機会を見つけると、あっさりと自分達を見捨てたのだ。
残ったのは、父も母も失った生きる術を知らない三人の娘。
そして私は姉であった。
年を重ねていく度に娘は女となって、妹たちを守るすべを理解していく。
簡単なことだった、自分で守れないなら誰かに守って貰えばいい。
そして、守って貰うのであれば強い者の方がいい。
運良く私は最も強いものに保護されていた。
ためらうことはなかった、どの様な手を使っても守って貰わなければならない。
そのために今使える物は女だということだけだった。
茶々が奥に迎えられた日は、北政所様が来られぬということで孝蔵主様より奥での暮らし方や心得について聞かされた。
その後は、従姉妹である京極殿に連れられて様々な説明を受けた。
京極殿は最後に悲しげな表情で「私はもう三十となります。殿下のお子を産みとうございましたが、これからは難しくなりましょう。茶々様にはぜひとも殿下のお子を産んでくださいまし」と茶々に語りかけた。
茶々としては当然そのつもりであったが、なぜこの様な事を京極殿から言われたのか不思議でならなかった。
彼女とは従姉妹同士であるから何かの目論見があってそのように言ったのだろうか?
ただ、親しき者もおらず孤立無援となる覚悟であった茶々にとって、奥の有力者である彼女の期待は、有り難いものだった。
茶々は頼れるものを見つけた少女の様に、満面の笑みで京極殿に感謝を述べた。
京極殿もそれに答えて「姉と思うてくださいまし」と彼女を守る意思を示した。
その日の二人の会話はそれで終わったが、奥での茶々の教育係として京極殿が指名されると、二人の距離は近づいていった。
二人の目的は全く違うものであったが、共にお互いを必要としていた。
こうして、奥に新たな種が撒かれた。
そして多くの者に気づかれることなく少しづつ根を張り、花開く日を待ち続けるのだった。
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