第五十三話 少年使節

 聚楽第から播磨に戻ってきてからは、また内政の日々に戻っていた。

 琉球の功で加増はあったが、元々大きな領地を得ていることもあり少し領地が増えただけに留まった。

 新たに領地となったのは、神戸の港を作るために一部得ていた摂津の菟原郡と有馬郡の二郡で、併せて三万石程の加増となった。

 琉球を任せた亀井茲矩の旧領である因幡領は与力である尼子の領土としたため、あまり変化は感じられない。


 何より来年に予定されている台湾への出兵計画の作成と、南蛮船の技術を取り入れた新型船の計画、あいかわらず減らない来客の対応といったことに追われていた。

 そんな中ヨーロッパへ赴いた少年たちの処分が決まったとの文が届いたのであった。



 伊東マンショはこの一年程の間に我が身に起こった事を振り返っていた。

 昨年の四月ヨーロッパの各地をまわりゴアに戻ってきた自分たちを待っていたのは、戦で勝利を収めた者に贈られる様な歓迎だった。

 ヨーロッパの地でも、明のさらに東からやってきた自分たちに対して多くの者たちが歓迎の意を示してくれたが、それに負けることのないものに思えた。


 それに感激した原マルチノなどは、ゴアのコレジオで長い旅の間いかに神の教えが力を与えてくれたのかを朗々と演説し喝采を受けたものであった。

 ヴァリニャーノ殿にも、早く九州の者たちにヨーロッパの事を伝えて欲しいと言われ、すぐさま帰国の計画が立てられていった。

 ただ九州で戦となっているらしく、それが落ち着いてからでもよいのではとの意見もあり、ひとまずコエリョ殿からの報告を待ってから決めようという結論になった。


 全てが変わったのはその数ヶ月後の事で、詳細は聞けなかったがフロイス殿やオルガンティノ殿たちがゴアに戻り、時折教会内でも怒号が聞こえるなど何かが起こったことを感じていた。

 しばらくすると、フロイス殿やオルガンティノ殿たちの姿が見えなくなり、ヴァリニャーノ殿に聞いてもヨーロッパに戻った以外のことは何も言わなかった。


 そして、ある日教会に総督から役人と兵士が派遣されて、我々四人は総督のもとに連れていかれることとなる。

 説明を求めた我々に、総督は忌々しげに一枚の書状を渡し、やっと自らの身に起きていることを理解した。

 そこには、関白となった豊臣秀吉という人物が、日本にいたヨーロッパの宣教師たちや商人を非難する言葉がラテン語と祖国の言葉、そして漢文で書かれており、その内容は我々に衝撃を与えるには十分なものであった。


 さらに師であるヴァリニャーノ殿が書いたと思われる報告書には、コエリョ殿を始めとした宣教師が処刑されたこと、さらにそれに協力したとして、有馬と大村の者たちが多数処刑されたことも書かれていた。

 自分以外の他の三名は肥前の出身で、衝撃が大きかったのであろう、声を失い呆然としていた。

 自分も足下が急になくなったような感覚を覚えたので、故郷の者を失った他の者たちの衝撃はもっと大きなものだっただろう。


 そんな我々に総督は「ゴアにいる日本の者は全て返すこととなった。船は用意しているこの者に従うように」と言って一人の役人らしき人物を紹介された。

 何も考えることをできないまま従って、その者の命ですぐさま船に乗り込んだが、そこでも衝撃的なことは続いた。

 あまり思い出したくはないが、多くの日本人奴隷にとって我々は敵だった、ポルトガルの水兵たちがいたので暴力こそ受けることはなかったが、心無い言葉に何度も晒された。


 さらに衝撃を受ける事は続き、航海の途中千々石ミゲルから棄教を決意したと打ち明けられた。

 彼は「伊東殿が自分の考えに一番近いと思って、他の二人には言わないで欲しい、きっと分かって貰えないだろうから」と悲しそうな顔で頼んできた。

 ミゲルは旅の途中ポルトガルの者たちの黒人奴隷の扱いに心を痛めていたし、この航海で神を信じている者たちの事が信じられなくなったのだろう。


 中浦ジュリアンと原マルチノは変わらず神の教えを信じて、豊臣秀吉なるものを悪魔と言い張っている。

 自分はそのどちらでもなく何も決めることができていない。

 ただ以前程神の教えを純粋に信じることはできなくなっていた。

 そして何より同じ道を進んでいけると信じて疑わなかった者と、道を違えたことに心の整理ができなかった。


 そのまま船は祖国に着いてその土を踏んだ。

 少し前までは、神の偉大さを広めるために踏むはずだった土は、何のために踏んでいるのか分からなくなっていた。

 その数日後、聚楽第という教会とは趣の違う豪華さで彩られた場所で豊臣秀吉なる者と面会した後、すぐに何人もの男に囲まれヨーロッパでどのようなことをしてきたのか聞かれることとなった。


 厳しい尋問を覚悟していたがなぜかさほど熱心でなく、すぐに監視付きではあるが一室を与えられそこで過ごすことになった。

 たまに話を聞きたいと役人が訪れることもあったが頻繁なものではなく、時間が有り余っていたこともあり、他の三名のことだけでなく関白との面会の途中長崎にいるはずのカタリナと不意に再会したことについても考えていた。


 あの少女は今、我々をここに連れてきた秀吉の息子の妻の侍女となり、我々を驚かせた書状のうちラテン語の部分は彼女が書いたと聞かされた。

 彼女もまた神の教えの中で生きていくと思っていたが、違う道を選んだのかとそう思った。

 少し何かが違えば同じ道を志したはずの我々はもう二度と同じ道を歩けないだろう。


 しばらくして我々四人の処分も言い渡された。

 ジュリアンとマルチノは何度も豊臣が行なった行動を批判し関白秀吉すら罵倒したために死罪となった。

 ミゲルは自らが信じていたものは間違いであったといったが、罪人として処刑された。

 有馬や大村とあまりに血が近かったのが死罪となった理由だった。

 そして自分は運良く関白の家臣である伊東祐兵を叔父に持つため、叔父に預けられ罪にはとわれない事となった。


 私はかつての同志の死に様を見なければ死ぬまで何もできなくなりそうで、その光景を見に行った。

 ミゲルは武士の子として切腹して果てた。

 それをみた二人は自死を選んだことに驚いた後、彼を罵った。

 自死を選ぶことは、神の教えで禁じられている事であり、彼らにとって背教者は同志ではなかった。

 ただそれも長くは続かなかった。

 彼らの行動を醜いと感じたのか、すぐさま二人の首は刎ねられて、あまりに短い時間で全てが終わった。


 自分は今叔父の元で暮らしている。

 居心地は決して良くないが、今はまだ何もできる気がしなかった。

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