第五十話 兄と弟と
1588年となり、肥後の一揆は鎮圧され予想されていたとおり佐々成政は改易処分となり、父上より切腹が命じられた。
空いた肥後には勝蔵殿と中川秀政が入ることとなり、肥後40万石は阿蘇を中心に中川秀政が十万石、残りを森家が支配する形となる。
森の旧領である美濃五郡には増田長盛が入り、信濃二郡は山内一豊に与えられた。
成政の切腹によって大名の配置が変化したが、豊臣家にとって一番の変化となったのは叔父上である大納言秀長の隠居だった。
昨年末、柊様より相談を受けてすぐさま父上に報告すると、父上はすぐさま名医と名高い曲直瀬道三を大和に派遣して、自らも大和へ向かった。
自分も、放って播磨に戻ることなどできるはずもなく、父上とともに大和に向かうこととした。
陽気なはずの父上が、終始無言で急ぎ大和へ向かっていたのが印象的だった。
大和に着き、叔父上と柊様、そして嫡子の持長殿と曲直瀬道三の居る部屋に通されたが、そこは重い空気が漂っており何かを予感させるには十分な雰囲気であった。
「おお小一郎、餅丸が言うから来てみたが元気そうではないか。心配させるでない」
父上は重い空気から目を背けるように明るく言葉を発する。
「兄さすまん」
「なんじゃ、そうかこう元気では確かに無駄足だったわ、後で餅丸にも柊殿にも詫びてもらわねばならんの。じゃが久方ぶりに小一郎と長話をするのもよかろう、気にするでない」
「兄さすまん」
何度も同じ言葉を繰り返す叔父上に、声を少し荒げて父上が問う。
「もう許したではないか小一郎、何を謝る事があるんじゃ」
「兄さわしは家督を譲るわ」
「な、何を言っておるのじゃ小一郎、見てみよ松丸を、悪い話は聞かぬがまだまだ若い。家督を譲るはまだ先でよかろう」
それを見て曲直瀬道三が叔父上の状態について説明を始めた。
「殿下、大納言様ですが病がひどうございます。このままではもって三年、少しでも体を休めねばなりませぬ」
それを聞いて父上は震えだして、怒りを曲直瀬道三にぶつけた。
「見間違えじゃ、当代一などと聞いておったがそのような痴れ言を申すとは、すぐさま素っ首刎ねてくれるわ」
そう言いながらも、父上は涙を溜めている。
「殿下申し訳ございませぬ。されど見立ては変わりませぬ」
「こ、この」
父上が何かをいいそうになったが叔父上が遮った。
「もうやめてくれや兄さ。わしはそれを聞いて納得したわ、兄さの隣ではできんようなったが、できるだけ長くおるようにするわ、それで堪忍してくれや」
「後少しなんじゃぞ小一郎、それにわしがおらんようになった後、誰が餅を支えるんじゃ。半兵衛も小六もおらんのじゃぞ」
父上は涙ながらに叔父上に訴える。
「すまん兄さ」
叔父上も涙を流して何も言えないようだった。
「家督は分かったわ、道三よ関白の命じゃ例え一日であっても永らえさせよ、柊殿小一郎を頼む」
柊様も涙ながらに「はい」と答えた。
「小一郎よそちは戦はもうええわ。ゆるりと松丸に教えながらわしの相談にのってくれや」
小一郎叔父は「ああ、すまん兄さ」と言って涙を流している。
「五年じゃ、働かぬのであれば道三の見立てよりも生きてもらわねば困る。それより長く生きよ」
そういうと、父上は「厠じゃ」と言って部屋を出ていった。
多分どこかで泣くのであろう。
「叔父上」
「すまんな餅丸、わしの仕事のうち西のことはかなり任せることとなると思う、もう少し支えたかったがここまでの様じゃ」
「そのようなことはありません。何もせずとも叔父上が居てくれるだけでも随分と違います」
「ならば少しでも長く生きよう」
「そうしてください。ただ私も文にて頼ることはお許しください」
「いきなり休めと言われてもどうしたらいいかわからんわ、少しは働かせてくれたほうが助かる」
叔父上は働きすぎていたそれも本音なのだろう。
「何事も柊様に相談してほどほどに、私も文は柊様に出すことして叔父上の耳に入れるかは柊様にお任せいたします」
「厳しい甥じゃの」
柊様がその言葉に無理に笑って言った。
「まずは新しく産まれた松丸の世話ですね。松丸も桐も柚も全て私が育てたのですから、よい機会です」
「嫁も厳しいわ」
その言葉を受けて皆が笑い、少しでも雰囲気を和らげようとしていた。
「すまんな餅丸、豊臣を頼むわ」
「分かっています。小牧からずっと私の家です。必ず豊臣を守ります」
豊臣は自分の家だ必ず守る。
例えどの様な手を使ってでも……
*
大和からの帰りもやはり無言が続いていた。
父上はすっかり気落ちして食事も満足に取っていなかった。
そして時折叔父上の事を考えて涙する、それを繰り返しながら帰路は進んでいった。
このまま何も話すことなく、大坂へ戻るのかと考えていた時に父上から話しかけられた。
「のう、餅よわしはどうすればよいのかのう。小一郎がおらんようなるなど全く考えておらなんだわ。いつも愚痴をいいつつなんでもやれる小一郎がおらんようなれば誰を頼ればよいのじゃのうな。わしがいくらえろうなっても藤吉郎のままであった小六も、戦のこと以外は何もできぬ半兵衛ももうおらぬ。次は小一郎までも餅に残すことができんようじゃ、わしは誰にそちのこと任せればいいんじゃ」
そう言ってまた涙を流している。
「前田の父も真田の父も、それに鹿之介もおりまする。豊臣を決して裏切らず支えてくれましょう」
「おおそうじゃな、又左は律義者よ、安房守も策士の割に忠義者じゃ、それに鹿之介の忠義は見事なものよ」
そういう父ではあったが、それで納得している様子ではなかった。
たがその話を続ける前に、父上が叔父上のことを思い出しまた涙した。
「小一郎よわしの小一郎が、先に逝くことになるのかのう」
そう言う父上にこれ以上話すことも出来ずに結局父上と別れることになってしまった。
そしてこの日何も言えなかったことを後悔する日が来ることも予想していなかった。
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