第四十九話 対明外交
伴天連の追放を行なった1587年も終わりに近づいてきている。
今起きている問題といえば、佐々成政の政策に反発した国人一揆が、肥後の農民たちも加わって拡大し、国主に任命した佐々成政だけでは対応が難しくなり、九州の大名たちを援軍として送り鎮圧に乗り出すという大事になっている。
この様な事態になった事に父上は、怒りをあらわにしていて、鎮圧後佐々成政の改易は確実と見られていた。
ただ豊臣の家としては吉報が続いている。
更級が先月産んだ男子は伴天連のこともあり、蒙古からの侵略に抵抗した北条時宗にあやかって正寿丸と名付けた。
あいかわらず父上は仕事を放り出して姫路に入り、そのせいで大坂城に詰めることとなった小一郎叔父は、たまたま産まれる日の近かった孫の誕生を見逃すことになった。
これを聞いたなかのお祖母様は怒り心頭で「いつも苦労かけとるに、こげな時ぐらい好き勝手せず小一郎こと考えんか」と父上を一喝したらしい。
さすがに父上も反省したのか叔父上に謝罪したと聞いている。
産まれた子は父の幼名である松丸を継いですくすくと育っているらしく、柊様からも喜びの文が送られてきていた。
また、国内に残る大勢力は北条のみとなったことから、家康を豊臣に引き入れるため、長浜時代に夫と離縁をして長らく独り身であった、父上の妹旭様が家康の後妻として入ることと決まり、着々と小田原征伐の準備を行っているように見える。
その間自分が何をしていたかというと、いつもどおりの内政で、市松と交渉して今治に造船所を作ったり、養蚕に努めてもらったりしていた。
南蛮の海軍技術の吸収は船の実物があり、実際に動かしていた者を多数捕らえていることから、予想以上の速度となり来年初めには国産の南蛮船が就航する予定となっている。
これにはカタリナの力も大きく、侍女を勤める傍ら南蛮の言葉の辞書を作成したり、南蛮書物の翻訳、果ては長崎の教会に頼まれて日本語聖書の作成まで行なっているようだ。
特にポルトガル語の本格的な辞書を作るついでに作られた、日用会話や船や商売のことのみに特化した簡単な辞書が職人や奉行の間で必需品の様になっており、瞬く間に有名人になってしまった。
父上が調子に乗って「かの者が男子であれば百万石を与えたであろう」などと言ったのが噂となり、最近では内府に過ぎたるものと言われ始めている。
当の本人は、侍女の仕事と翻訳の仕事であまり城を出ることもなく、少し時間があれば更級に仕えてすぐに生まれた正寿丸の世話を精力的にしているからそんな噂など知らずに過ごしているようだ。
そんな折、安国寺恵瓊が姫路へ報告に寄ってくれた。
彼は伴天連追放の書状を渡すために、正使を西笑承兌、副使は大内家打倒後しばらくは明と交易を行っていた毛利から安国寺恵瓊が選ばれて、つい先日まで明の都に赴いていたのだった。
贈り物もなども持っていったが、ひとまず顔つなぎということで、役人や有力者を中心に配り皇帝への面会は求めなかった。
追放の書状も礼部という外交を司る役所に渡し、父上からの伝言も西笑承兌の書状で伝えるという形にして、これも礼部に渡すに留めた。
内容は、九州を制したので海賊禁止令を出した、以降は倭寇の対策に力を入れる。程度の内容だ。
そこまでは予定として聞いていたので、それ以外の感想が聞きたかった。
「御坊、明の都はどうであった?」
「噂に聞くとおり大きな都でありました。されど国が興りて二百年、腐敗は蔓延し民は圧政に苦しんでおりました」
やはり自分の知識どおりの状態のようだ。
「皇帝の評判は?」
「寵姫にうつつを抜かして、政治に興味を失っておるとの噂です。今は朝議にも滅多に顔を出さず、宦官と役人の対立激しくとも何も手を打っておりませぬ」
「ならば琉球は予定通りでよさそうですね」
「はい、それでよいと存じまする」
来年には琉球攻めを行う予定であったが変更はなしだ。
「しかし大明国の朝貢国に攻め入るのは肝が冷えまする」
「とはいえ南方に攻め入るのであれば琉球は必ず必要ですから仕方ありません」
「戦となりますかな?」
倭寇の跳梁からこのかた防衛を指向している明が渡海作戦を行う可能性は低いと感じながらも、唐入りに海軍を派遣したことから防衛に軍を派遣する可能性も捨てられずにいた。
「五分と思うております。少しでも戦を避けるためにまた明へ御坊に赴いていただくことになるやもしれません。また戦となれば毛利にも援軍お願いする事態となることもありえます。来年の上洛の折にもお願いするやもしれませんが、御坊からもお伝えして頂きとうございます」
毛利の当主輝元は来年上洛する予定となっていた。
「分かり申した。伝えておきまする」
「それと、御坊よりお話のあった宮松丸殿(毛利秀元)のことですが、真田の父上の娘を豊臣の養女することになりました。弟のできる日を楽しみにしております」
柊様が叔父上に嫁いだ影響で、毛利秀元の正室大善院は生まれていないのでその代わりとなる。
「おおお、毛利に吉報が伝えられまする」
それを伝えて安国寺恵瓊との話は終わりとなった。
その後すぐ恵瓊坊は上方に、自分もしばらくして上方に行く予定となっている。
小一郎叔父の娘柚と島津豊久の婚儀に参加するためで、そこで島津と琉球について話をしなくてはならない。
*
島津豊久と柚殿の婚儀はつつがなく行われている。
叔父上は上機嫌であるし、豊久殿は初めて見たがまさに薩摩武士といった佇まいで、叔父上が一目見て気に入ったのも納得だった。
「内府どんには、こん婚儀に骨折りまっこと感謝でごわした」
豊久から言葉をかけられたので少し話をすることとする。
近くで見るとその筋骨隆々の体と巨体で顔に笑みを携えているが流石に迫力がある。
「いえ私は関白殿下にただ話を伝えたまで、ただ感謝してもらえるのであれば、柚殿は長くともに暮らして妹と同じと思っていますので、不幸にせずよろしくお頼み申したく思います」
「分かっておりもす。きしと無下には致しもはん」
柚殿に対しては、あこ様の家が男ばかりだったこともあり、しかも年が離れていたから本当の妹以上に可愛がっていた。
その柚殿を大切にしてくれそうで、本当によかったと思っている。
「叔父上から琉球んこっ聞きもした、まずは戦にてこん大恩お返ししもんそ」
「島津の槍、頼りにしております」
そう言って、お互い笑顔で話を終えた。
ふと、柊様の方を見ると笑顔ではあるが、いつもより少し暗い印象を受けた。
そのこと気になっていたが、婚儀の後内々にと柊様からの呼び出しを受けることとなり、何かが起きているのだと覚悟した。
*
婚儀が終わり、柊様のもとを尋ねると叔父上すらおらずただ一人柊様だけが自分を待っていた。
「お呼び立てして、申し訳ございませぬ内府殿」
どこか力なく見えたので努めて明るく言葉を返した。
「柊様は母上と同じでございます。お気になさらず、それに誰もおりません餅丸でようございます」
「ありがとうございます餅丸殿」
自分は好印象だったが、豊久殿が気に入らなかったのかとも思い聞いてみた。
「こたびの婚儀何かございましたか?」
「そのようなことはございません。婿殿もまさに薩摩の兵といった雰囲気でありながら、優しく柚を気遣ってくれておりました。豊臣にとっても柚にとってもよき婚儀と思うております」
「婚儀中柊様の気分が優れないように見えておりましたので安心いたしました」
そういうと少し間が空いて、柊様が悩みについて話をし始めた。
「やはり餅丸殿には分かるのですね。本当に婚儀については何もありません。ただ夫のことで最近私には調子が悪いように見えるのです。ですが大丈夫と医師にもまともに見て貰わず相変わらずの働き詰めで、今日は餅丸殿から言ってもらえないかとお呼びした次第です」
そうか、すでに1588年までほとんど日がない。
叔父上がなくなるのは1591年の一月だから後三年程となる、この頃から何か兆候が出ていてもおかしくない。
「分かりました。私からも播磨へ帰る前に叔父上と話をしておきます。また父上や母上にも申してよき医者を大和に遣わすように致します。松丸の仕事は多くなると思いますが柊様も支えて下され」
柊様は安心したようで、少し表情が和らいでいる。
「餅丸殿に言うてよかったわ、これで少しでも体に気を使ってくれれば」
確かにそうだ一年でも二年でもいい、少しでも長生きして欲しい。
それは豊臣の家のためではなく、ただの甥としての願いだった。
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