第四十二話 西国取次

 妻更級が男子を産んだ1586年も過ぎていこうとしている。

 父親としては嬉しいことに母子ともに健康で、更級は「やっと思う存分体を動かせます」と子を見る傍ら、弓や軽い乗馬なども楽しんでいる。


 乳母にはなんと、山中鹿之介の妻で市松(福島正則)の姉である結殿がなってくれた。

 十九で鹿之介に嫁いだ結殿は、今年二十六となっておりその間に二男一女を産んでいた。

 昨年末に娘を産んだ結殿は、父上や母上にも市松を通して、夫の恩に奉じるためと言って乳母になることを希望した。


 父上にとっては血の繋がりのある結殿であれば信用できるし、母上にとっても鹿之助の妻としてよく知っており、自分を慕う市松の姉ということもあって反対する理由はなかった。

 自分としても、重臣となっている山中家が息子の乳母の家として支えてくれるのはありがたいし、更級にとっても結殿は元々庶民の出なので格式張ったところがなく付き合いやすい相手だった。

 結局誰から反対されることもなく、すんなりと乳母の座を射止めたのであった。


 結殿は乳母になることが決まると、早速出石から姫路に息子二人を連れだって、縁者である商人の吉和義兼の屋敷に入ると、師匠虎哉宗乙のもとで息子たちを学ばせ始めた。


「乳母になれてよかったわ、出石じゃとなかなか子たちの学問の師も見つけられん。これで堂々と姫路で学ばせられるわ」とは後に更級から聞いた結殿の言葉である。

 これを聞いて、子の教育のためであったのかと、逆に安心した事を覚えている。


 天下人の孫の乳母という立場は、どの様な思惑の者が来てもおかしくないもので、この程度の思惑であったならかわいいものだった。

 今のところ、更級やあこ様、朝日様との関係も良好でよい乳母が選ばれたと思っている。


 

 領内の発展は相変わらず著しい、その原動力となっているのが領内で作られた絹織物で、羽柴の世継ぎの立場を利用して公家や大阪の奥に売り込んだ結果驚くほどの利益をあげている。

 飛ぶように売れるので、領内だけでは生産が間に合わず原材料を得るための養蚕を宇喜多領や三好領にまで拡大して、領内では織物職人の育成に力を入れて生産拡大中だ。


 神戸の港も稼働したので、そこに領内や宇喜多領の産物や讃岐の産物を集積したところ南蛮人も立ち寄るようになり、こちらも大きな利益をあげている。

 特に備前の刀剣や焼物、備中の漆器などは南蛮人にも好評のようだ。

 そこから得られた大量の資金は、領内や備中までの街道の整備や、日本海側にも港が欲しくなったことから、鳥取港の開港資金に使っている。


 さらには、現状食肉として扱うことには抵抗が強いが、やはり神戸や但馬といえば牛だろうと、牛の増産にも資金を回している。

 姫路には皮革職人も多く、その原材料の確保のみならず、農業でも使えることから無駄にはならないだろうという判断だ。


 造船所の方も、一部を神戸や丸亀へと移転させて、軍船の製造開発は姫路、商船は神戸、小型船や漁船は丸亀といった形を取ろうとしている。

 このように領内の経営は順調で、細かいことはいつも通り小西行長や大谷吉継などの奉行に任せているが、それでも最近は自分も忙しく動き回っている。


 原因は自分に任されている九州の取次が九州征伐を控え、非常に忙しくなったことだった。

 そんな中でも、亡くなった弟秀勝の旧臣のうち高田治忠と渡辺勘兵衛をそれぞれ一万石で家臣として雇い、軍の強化を進めたりしてもいる。


 高田治忠は父上が直臣にしようとしていたので、その調整をしたり、渡辺勘兵衛は気位が高そうであったので、書状を出して播磨に招いてから彼のもとに直接訪ねて家臣とした。


 槍の勘兵衛と呼ばれる程の豪傑で、初めは自分が訪ねても憮然としていたが「三千石のものを万石で雇うのは過分と言われることはそちも分かっていると思う。だがそちならば働きで示してくれような」と声をかけ「期待している」と指していた刀を渡した所「生涯の忠義を捧げまする」と言ってくれた。

 高田治忠も渡辺勘兵衛もともに近江のものだ。


 親近感はあるし、よい結果を出してくれるはずだと、この登用には満足だった。

 ただいつの間にか、四国、中国も含めた西国取次に任命されてさらに仕事は増え続けていることは勘弁してほしかった。



 今日は長い付き合いになってしまった安国寺恵瓊との会談だ。

 このところ恵瓊坊か、父上の直接の出馬を求める大友宗麟との会談ばかりだが、その内容を大坂の父上に相談する必要が出てきたりと本当に忙しい。


 ただ毛利には既に九州へ出陣してもらっていて、黒田官兵衛殿をつけて北九州に上陸済みであり、島津との戦闘に入っているので一時期に比べると楽にはなっている。

 恵瓊坊とは始め出兵の話であったが、毛利が出陣すると戦後処理についての話が中心となり、それも終わったので明日には姫路をたって毛利へと戻るらしく、その挨拶に来たようだ。


 大友への援軍は、父上の判断で長宗我部と仙石の兵五千程度がとりあえず送られた。

 自分からも仙石には何度も守りを固めるようにとの文は送っているが、まともな返事は返って来ていない。

 小牧長久手の戦いにしても、ただ信濃に兵を進めただけで何もしていないと軽く見ているのであろう。


「大納言殿いかがいたしましたか?」

 恵瓊坊からの言葉だ、顔に出ていたのであろうか。

「申し訳ございませぬ。考えごとをしておりました。していかようなお話でしたかな?」

「いえいえお気になさらずに、ただの世間話でございまする」

「なれば、私のからも世間話を御坊は聞き流していただければ。父上は自らのご出陣をお決めになりました。正月の席で諸大名に兵を集めるようお下知がございます」


 突然の発言に驚いている。

「誠でございますか?」

「御坊は何も聞いておらぬはずでございます」

 そう言って笑う。

「そうでございましたな。では拙僧からも世間話を、肥前での伴天連どもの行い、眉をしかめるものとの噂にございまする」

 やはりあの程度の警告では変わらなかったか。

 これを機会として動くべきであろうか。

「御坊とのお話はいつも楽しゅうございまする。明日以降は急かす大友との話ばかりとなりそうで気が重うて、大阪にでも逃げようかと思案しております」

 御坊は笑いながら「心苦しゅうございますが、君命にてお暇いたしまする」と言って帰っていった。



 恵瓊殿との会談を終えたあと、ずっと考えているのは伴天連への対応だった。

「どうかなさいましたか?難しい顔をして」

 いつの間にか考えこんでいたようだ。

「いやいつかの話が本当になりそうで迷っていた」


 更級は口を尖らせて不満を漏らす。

「色んな話をしてますゆえ何の話か分かりません」

 確かにそうだと思い説明しようかと思ったところ、さらに言葉を重ねてきた。

「でも好きなようにすればよろしゅうございます。私のすることは変わりませぬ」


「私が鬼と呼ばれてもか?」

 不思議そうな顔をして更級は答える。

「私のお祖父様の事はご存知でしょう?もうすでに鬼の血が入っている身でございます。鬼の妻となっても余り変わりませぬ」

 更級の言葉に思わず笑ってしまった。

「鬼になっても付いてきてくれるか?」

 またも不思議そうな顔をして更級は言う。

「今更すぎませぬか?鬼になっても何も変わりません。私だけでなく、兄や虎たちも同じですよ」

「では好きにする」

 そういうと更級は「はい」と満足気に答えた。

 そしてこの瞬間伴天連たちの運命が決まった。

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