第四十話 家康上洛

 1585年十月、秀吉は徳川家康に対して使者を送り、上洛を求めた。


 上洛自体は小牧長久手の戦いの和平条件として盛り込まれていたが、その後紀州と四国と征伐して、先の戦で徳川方についたものを攻略している。

 さらに八月には越中の佐々成政を攻めて降伏させ越中を、そして姉小路の飛騨をも平定した上での上洛要求には家康といえども断るすべを持たなかった。



 そんな中にわかに注目を集めているのが、小一郎と柊の娘柚姫がどこに嫁ぐのかという事であった。

 つまりは、徳川と羽柴の縁組はどうなるのであろうかということだ。


 関白殿下からは徳川のものに嫁がせぬかという打診はあったが柊は断った。

「殿下、娘でありますれば私の気に入ったものにしか渡しとうございません。よきと思えば殿下にお許しいただきに参りますので」

 そういうと秀吉はその態度を気にすることもなく大笑いして「柊殿はそうであった。尼子の時なぞわしも小一郎も知らぬまま決まっておったわ、許しを得にくるだけよいと思おう」と楽しげに話した。

「今思えばお恥ずかしいことでございました」


 そうは言ったが、柊が危惧していたのは徳川がどうこうではなく、徳川に対して餅丸がどう思っているかだった。

 殿下は気がついていないであろう、姉上とはこのような話をしたことがないから分からない。

 ただ長くともに暮らしているうちに、滅多には見せないが好き嫌いを出すことと、嫌いなものに驚くほど少しの間だが酷く冷たい目をしていることに気がついた。


 基準は分からない。

 勝蔵には懐いておりその事に嘘は見えないが、戦場で同じような事をする仙石は嫌っているように見える。

 以前大坂で見た時は、同じ奉行衆でありながら、長浜の頃からの増田より、丹羽からきた長束を好んでいるように見えた。

 親族でも、浅野のやや殿は好いているが、その夫や子には冷たい目していると感じた事がある。


 餅丸は優しいが、それをいうならば前右府様や殿下とて優しい、そのようなことは関係ない。

 運良く、三河殿と餅丸も参加する会食に私も呼ばれている。

 その時はよく見なければならぬ。

 娘を不幸にすることは母として許せることではないのだから。



 全てのことは昨日のうちに決まっていた。

 昨日は殿下の弟である参議殿の屋敷に泊まったが、そこに殿下自らやって来たことは驚きであった。


 殿下は今日の対面で、臣下の礼を取ることをわしに求めてきよった。

 今の状況では臣下の礼を取らざる得ないというに、頭を下げるだけで恩が売れるのであればいくらでも下げよう。


「関白殿下、この三河のもとにわざわざ参られるお心遣い感服いたしました。必ずやご恩に奉じ天下泰平に三河の槍を捧げまする」

 そういって涙を流して、関白殿下の手を取った。

「三河殿、よくぞご決心くださり申した。これにて天下は定まったわ。感謝致す」

 そういって、わしの手を握り返して来たのが昨日の事であった。


 そして今大坂の城で、殿下と対面しておる。

 礼をしながら成り上がりものらしく、なんとも派手で下品な城かと思う。

「関白殿下、誠に無礼ではございまするが殿下の陣羽織を所望致したく」

「渡すはよいが、何故じゃ三河殿」

「はっ、これよりこの三河が殿下の敵を悉く討ち果たす所存にて」

「わしが戦に出ずともよいと申すか」

「御意」


 居並ぶ諸将は短い言葉ながら徳川が臣従し、かつて織田に対して徳川がしたように、羽柴に対して徳川が決して裏切らぬ忠義を捧げたと、この光景を見て理解した。

「なんとも頼もしき言葉じゃ、誰ぞ三河殿に陣羽織を持て」

「はっ」

「祝いじゃ、祝いじゃ。天下統一の前祝いじゃ」

 秀吉は上機嫌にそういうと、自ら家康に酌をして喜びを表した。


「三河殿、関東の取次お願い致しまする。そうじゃ真田と池田はともに羽柴の縁者でござる。徳川とも縁を繋げば、徳川と羽柴の縁も深まろう」

 真田は信濃と上野、池田は東尾張に領地を与えられており、共に家康の隣国となることから家康にとってもよき縁談だった。

「ありがたくお受けいたします」

 その答えに秀吉は満足げだ。


「播磨大納言はどうじゃ」

 家康はその言葉で若い男に目を向ける。

 これが信濃を攻めた羽柴の嫡子か、噂通り学問好きそうな体躯をしておるな、血気に逸りそうな性格ではなさそうじゃ。

「父上良き考えと思いまする」

 その答えに、秀吉は更に上機嫌となった。

 そしてこれがこの場で、羽柴の嫡子が発した言葉の全てだった。



 家康との会食後、柊様に呼ばれて叔父上の屋敷に行くこととなった。

「叔父上様、柊様、それに柚殿。お久しゅうございまする」

「すまんの大納言殿、久しぶりにゆるりと話がしたいと思うての」

 そういって、柊様は菓子や茶などを用意させた。


「昨日勝蔵様からは、付いてきてくれと頼まれ申しましたが、折角の兄弟水入らずと思い遠慮いたしました」

 そういって笑う、この三人を眼の前にすると昔に戻った気がする。

「鬼武蔵などと呼ばれておるのに、まだ姉が怖いとは情けない」

「それは柊が鬼武蔵を叩ける唯一のものだからでは」

 余計なことを言った叔父上は柊様に睨まれすぐに小さくなった。


「して、今日は何用で」

「そう急ぐでないと言いたいところではありますが、大納言殿が気になさっている様子なれば、先にそちらから話して、それからゆるりと思い出話などをするとしよう」

 そういってから、柚もよく聞くようにと言って、柊様は改めて話し始めた。


「一つは勝蔵とも話したことじゃが、私の妹のおたけを京の大蔵殿(木下俊勝)にと思うてな。私も勝蔵も幼き頃より知っておるゆえ安心できる。それに勝蔵には似合わぬことじゃが、縁者を戦に出るものに嫁がせたくないと思うておるようでな。あやつなりに父と兄弟をうしのうたこと堪えておるようじゃ」

 勝蔵殿の気持ちは理解できるし、この縁談に否応はない。


「それともう一つ、柚の婚姻相手を探してもらえぬかと思うての。殿下には私の気に入ったものにしか娘を渡したくないといったものの、そのようなものを探すのも一苦労。大納言殿なれば長く共に暮らしてきたゆえ、私の好みも柚の気性も分かっておろうから間違いは無かろうと思うたのじゃ、引き受けてはくれまいか」

 なんとも予想外のことを頼まれた。


 たが正直、柚殿が徳川のものに嫁ぐのではという噂には気が気でない部分もあった。


 妹のように思っている柚殿と敵となるのは避けたい。

 そう考えると自然に口から言葉が出た。

「分かりました。柊様の頼みとあれば否応はございません。良き夫を探して見せます」

 柊様はそれを聞いて安心したように頷いた。

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