第三十八話 征伐戦
一五八五年三月紀州攻めが行われた。
僅か二ヶ月で終わったこの戦では、宇喜多には出陣を要請され紀伊に向かったが、我らには出陣を要請されなかったこともあり自分は姫路にいて兵を率いることはなかった。
ただし、今必死に整備している播磨の水軍の練度を試したいと来島通総から意見が出たので、大将を来島通総、副将に加藤嘉明を任命して水軍を送りはした。
その間に何をしていたのかというと、九州の取次である。
といっても、ほぼ何もしていない。
九州の各勢力に、羽柴の九州取次になりましたので今後は何かあれば自分に言ってくださいと、文で伝えた程度である。
そうしているうちに、紀州征伐も終わり自分たちにも四国征伐の出陣命令が下された。
四国征伐では羽柴の軍勢は三つに分けられた。
我々の攻撃目標は讃岐で、讃岐を経て攻撃主力である阿波へ上陸した軍勢と合流するのが目標だ。
讃岐方面軍の大将は羽柴秀持、副将として宇喜多秀家が任命されて総勢二万五千の軍勢となる。
伊予方面からは毛利が攻め込みこちらは三万程の軍勢となる見込みで、主力の羽柴勢は三万五千の兵で、阿波に進行、父上が病を得たということで、大将は叔父上羽柴秀長、副将に三好秀次という陣容だ。
讃岐方面軍は、港の整備された姫路にひと先ず集まり、小豆島を経て讃岐に向かうこととした。
そのため、宇喜多の軍勢が姫路にやってくる。
率いるのは、いまだ若武者にもなっていない美麗な少年だ。
その少年、宇喜多秀家が下馬して、家臣たちを引き連れながらこちらへ向かってくる。
「内府様(秀吉)の命により、宇喜多勢一万二千、四国攻めにまかりこしましてございます。若様お下知のほどお願い致します」
幼い身でありながら、なんとも堂々とした佇まいで、すぐに秀家のことを気に入ってしまった。
「八郎殿、ようきて下された八郎殿、見事な武者振りにて兄と呼ばれる日が楽しみにございます。我が儘な妹ではございますが、姫路と岡山にてすぐに叱りつけに参りますゆえ、本当の兄と思うて頼って下され」
八郎殿の手を取ってそう言うと、八郎殿だけでなく家臣たちも安心した様子だ。
父に気に入られてるとはいえ、世継ぎに嫌われてしまってはとの思いもあったのだろう。
「はい。兄と呼べる日を心待ちに致します」
屈託のない笑みでそう言われさらに気に入ってしまった。
「ゆるりと親睦を深めたいところではございますが、父上の命があるゆえそうも参りませぬ。準備は出来ており申す。すぐさま讃岐へ向かいましょう」
そうして姫路から讃岐へと向かう。
いつもであれば自分も連れていけと一悶着ある更級が妙に大人しく、また最近は馬で共に駆ける頻度も減っているだけに心配であったが、話を聞く時間もなく、更級のことは朝日様とあこ様に託して讃岐に向かった。
*
六月中旬に播磨を出発し讃岐に上陸した我が軍は、城を落としながら阿波方面へと向かい、七月はじめには阿波の叔父上の軍と合流。
伊予方面でも勝利が続いており、順調過ぎるぐらいに順調に戦を進めていた。
七月十ニ日には、父上が関白に就任したとの知らせも入り首脳部の士気は高まった。
「兄さが関白とはな、公家共がごたごたしてたこともあって、もしやとは思うておったが本当に関白とはな、摂関家でない関白が出て、公家衆は大あらわじゃろう」
叔父上は京の様子を想像して楽しそうだ。
「餅丸にもすぐに参内の声がかかろうな、おそらく兄さの内大臣を継がせていずれは関白にと兄さは考えておるはずじゃ」
「公家衆の反発が恐ろしゅうございます」
「心配せんでええ、それを何とかできるのが兄さじゃ、わしらは四国のことだけ今は考えておったらええ」
これでこの話は終わり、その翌日さらなる文が届くこととなる。
*
その文は朝日様から送られてきたものだった。
それを見て少しも動けなくなり、言葉すら発せられなくなった。
目からは自然と涙が流れている。
「餅丸どうしたんじゃ餅丸。何ぞ言うてくれ餅よ」
ただ無言で叔父上に、朝日様からの文を渡す。
それを読んだ叔父上も「お、おお」と言って黙ってしまった。
『更級殿が懐妊いたし取り急ぎ文をしたためました。姫路に関白殿下となられた事が伝わった日に分かり、二重の慶事に姫路は大騒ぎでございます。関白殿下にも文をしたためておりまする』
と文には書かれていた。
少しの時間がたち私の「叔父上」の言葉を合図に叔父上は「ようやった、ようやった」と涙を流して抱きついてきた。
自分も「叔父上、叔父上」と言って涙を流すばかりだ。
周りにいるものたちは、何が起きたのか怪訝な表情をしていた。
八郎が置かれた文を手にして「読んでも?」との言葉に「おお」と小一郎叔父が返す。
八郎が文を読んだあとすぐに「兄上ようございましたな兄上」と言って小一郎叔父と自分の輪に入ってからは、次々と文が読まれることとなり、皆に祝福されるまでに時間はかからなかった。
*
関白宣下をうけ大坂城に戻っていた関白秀吉のもとに、朝日様の文が届けられたのは阿波よりも交通の便が良いことから、小一郎たちよりも早かった。
朝日殿からの文を一読した瞬間、先月病だったことなど忘れたように大坂城を駆け回って、ねねよおっかあよと文を見せてまわり、それが終わるとすぐに「佐吉佐吉」と大声で石田三成を呼んだ。
「佐吉よこれを見てみい」
何事かあったのだろうか心配していた佐吉も、安堵と喜びが込み上げてきた。
「殿下誠におめでとうございまする」
佐吉の言葉に満足気に頷いて思いつくまま次々と命を下す。
「うむ。よいかの佐吉。今すぐ公家大名問わず、世継ぎとなる男子をまとめよ。おなごであったなら必要となろう、年かさはいかぬぞつり合いが取れぬわ」
「ははっ、すぐに取りまとめまする」
「それと、各門派に祈祷申し付けよ。もしややこを流すようなことあれば首を刎ねると申し伝えよ。そうじゃそれと曲直瀬道三を姫路に遣わせよ」
「すぐに」
「うむ、後は京、堺の職人どもに遊具など」
その様子を見ていたねねは、流石に我慢できないと秀吉に声をかけた。
「お前さま、お前さま」
「なんじゃねねよ、うるさいぞ」
「うるさいのは、お前さまでございまする。嬉しいのはわかりまするが、あまりに気が早うございます」
「しかし子が産まれるんじゃぞ」
「今分かったのならいくら早うても、産まれるは年の瀬にございまする。余りに気が早過ぎまする」
「しかしじゃな」
「早すぎまする。まずは医者を送るだけでよろしゅうございます。しかし佐吉もなんですか一緒になって、主の無茶を止めるが家臣の役目でしょうに」
「面目次第もございません」
秀吉はなおも何かを言おうとしたが「お前さま」の言葉に封じられた。
「まずは、医師たちとともに私が姫路に下向して様子など伝えます。よいですねお前さま」
秀吉はそれは卑怯なと思ったが「うむ」としか言えなかった。
気が早いのはねねも同じであった。
*
そのような事があった四国征伐であったが、戦は順調に進み続け、七月末には長宗我部家は降伏し、八月はじめには領土の配分も言い渡された。
長宗我部家は土佐以外を没収。
蜂須賀家には阿波が与えられたが、小六が秀吉の側を希望したので、阿波は息子の家政に与えられて、小六は秀吉の側近のままとなった。
讃岐には三好秀次が入って、東伊予の宇摩郡、新居郡、周布郡、桑村郡の四郡は仙石秀久に、伊予の残りは小早川隆景に与えられた。
関白に就任し、残る支配の及んでいない地は九州、関東、東北となった。
信長の叶えられなかった天下統一は秀吉の手によって叶えられようとしていた。
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