第三十ニ話 正念場

 1584年三月、織田信雄が徳川家康に出陣を要請し、小牧長久手の戦いが始まった。

 織田と羽柴どちらを選ぶのかが注目されていた池田恒興は、十三日に織田方であった犬山城を突如攻撃して占領し、羽柴に付くことを明確に示した。


 恒興は織田に対して大恩はあるが、だからといって信雄の幕下に入って戦うなど御免こうむると考えていたし、信雄がかつての足利の様に曲がりなりにも羽柴包囲網を構築できる程の器や声望を持っているとは思えなかった。

 三河の兵は強兵ゆえに一度や二度は羽柴に勝つこともあろうが、最終的には羽柴が勝つというのが恒興の見立てで、ならば池田の家を差配する大名としてどちらにつくかは決まっていた。


 そんな恒興が森長可の金山城を訪れたのは十五日の夜の事であった。

 家康が同日、小牧山城に入ったとの知らせを受けて、犬山城に程近い羽黒城をともに攻めないかと誘いに訪れたのだった。


 恒興が話している間も興味なさそうに、相槌もろくに打たずに横柄な態度を見せる長可に苛立ちながらも、その様な心のうちを見せることなく恒興は語り終えた。

「どうじゃ武蔵守殿よき考えであろう」

 しかし長可は横柄な態度を崩さずに言い放つ。

「なぜわしが、池田の命に従って戦わねばならんのじゃ、羽黒が欲しいなら勝手に一人でいくがよいわ」

 さすがの恒興もこの言葉には堪える事ができなかった。


「なんと無礼な、わしは筑前殿より美濃を任されておる。それに三法師様を支える織田の宿老じゃ、わしが率いるのが当然であろう」

「知るか。筑前殿や惟住殿(丹羽長秀)ならともかく、森の家が池田に従う理由などないわ。森を従えるは乳の功ではなく弓矢の功じゃ」

「なんという言い草か、二度とそちとは話すことはないぞ、筑前殿にも此度の事報告致す。筑前殿の沙汰を待つがよい。いいたき事はそれだけじゃこれにて御免」

「なんじゃもう帰るのか、次は軍功を持って参るがよい」

 池田ごときがいくら怒ろうとも全く問題ないとでも言うような対応だった。

「武蔵守めが図に乗りよって」

 そう言って恒興は金山より鬼の形相をして、このような所にはおれぬとばかりに足早に去っていった。


 周りにいた家臣たちは、自分たちの主がまたやったかと嘆いている。

 当の本人は餅丸よ約束は果たしたぞ、と言わんばかりに満足気だ。

 報告を受けた秀吉は勝蔵めがまたしても問題を起こしおったと頭を悩ませ、話を聞いた秀持は断り方というものがあるだろうと思った。

 そして、羽黒に一人出陣した恒興は、徳川との戦いで大敗を喫し、息子元助とともに討ち取られた。

 そしていつも通り森に処分が下されることはなかった。


 

 秀吉が美濃と尾張の国境を超え前線となっている楽田城へついたのは、三月の末のことであった。

 その頃には小牧山城周辺に二重三重の砦が築かれており、とても力攻めできる状況ではなくなっていた。

 秀吉も徳川に対抗して陣地を構築し、睨み合いを続けるしかなかった。


 大阪の備えは、毛利の同盟国である伊予の河野が長宗我部に攻められて四国にも目を向けなくてはならなくなったことと、姫路での造船の成果で大阪から中国への移動が容易になったことから、動かせないと考えていた宮部継潤を四千の兵とともに大阪城に置くことができた。


 餅丸は今頃大坂から出陣して、こちらに向かっている最中であろうか。

 よいわ三河、わしと睨み合いたいのであればいくらでもつきおうてやるわ。

 じゃがその間に伊勢も信濃も落としてくれる。

 わしの弟と息子になぶり殺されるがよいわ。



 大坂城から美濃へと向かう前に、母上たちに挨拶をしてから向かうことにした。

 母上はどうしても心配が勝ってしまうのか、気丈に振る舞ってはいたが、何度も話の中に「御身を大切に」という言葉と「鹿之介殿お願い致します」という言葉が繰り返されていた。

 妹の豪は幼いながらも「兄上はお強いですから」と母上を励ましている。

 娘がいれば多少なりとも母上も気が休まるだろうと言って豪をくださったまつの母上に改めて感謝した。


 まつの母上という呼び名は、幼い頃はまつかか様と呼んでいたが、成長するうちにおまつ様と呼ぶようになり、豪が来てからは内々の中だけでまつの母上に呼び方を変えていた。

 前田が羽柴についてからは当時は同僚で乳母ではなかったのだが、幼い頃おまつ様の乳をもらって育ったことは知られているので、自然と乳母であった事となり公然とまつの母上と呼んでいる。


 そして柊様に「勝蔵様に何か伝えることはありますか?」と聞くと、既に池田様の事は大阪にも伝わっていることもあり、怒り心頭といった表情で伝言を託された。

「本当にあのクソたわけはいつになったらまともになるのか。餅丸を守って死ねと伝えてくれ、もし生きながらえたら大坂に来いともな」

 柊様は此度のことは流石に堪忍できぬと直接折檻するつもりのようだ。

 勝蔵様は、当分大坂に寄り付かなくなるのではないだろうか。


 動かないようにと言った手前、ほんの少しだけ僅かに自分にも責任があるかもしれない。

 多少怒りを和らげておこうと思った。

「甲州征伐の時も同じ様なこと勝蔵様に伝えました。吉兆と思うことにいたします」

「戦のたびにこのような事起こされては敵わぬ。いつか餅丸を守りともに生きて帰って来るようにと言える日がくるのかのう」

 悲痛な言葉だった、そして誰もが沈黙した。


「も餅丸殿、戦でのご無事祈っております」

 あこ様が赤子を抱いたまま、勇気を出して沈黙を破ってくれた。

「は羽柴の嫡子として恥ずかしくない戦をするように、そしてまた元気な姿を母に見せてください」

 なんともありがたい言葉だ。

「はっ、それでは行ってまいりまする」

 そう言って足早に大坂城を後にした。


* 

 

「おお良う来た、見ての通り睨み合いじゃ」

 本陣につくなり父上からそう言われた。

「私がみても力攻めではなかなかに難しいと分かる陣でございます」

「うむ、このままではどうにもならぬ。そこでじゃ、そちには信濃を攻めてもらいたい」

 諸将からは急に出てきた信濃攻めに驚きの声が上がる。


「信濃でございますか?」

「そうじゃ、そちには久太郎と金山の武蔵守、それに長浜からの兵四千もつける。そちであれば真田と動きを合わせることもできよう、何か他にいるものはあるか?」

 予定より兵力が増えている。

 長浜の兵の中には知ったものもいるから有り難いし、堀殿であればうまく動いてくれるだろう。


「信濃に詳しきものと、大軍での行軍となりますゆえ小荷駄に強きものを」

「では毛利河内(長秀)と増田仁右衛門(長盛)それに佐吉(石田三成)もつけよう」

 毛利殿は甲州征伐でともに戦い、戦後信濃の飯田城を任されていることから他のものより信濃に詳しいであろうし、増田長盛殿と佐吉の兵站の差配については言うまでもないだろう。


「有り難くお借りいたします。それではすぐさま兵をまとめ金山に向かいまする」

「うむ、期待しておる」

 こうして羽柴秀持としての小牧長久手の戦いが始まった。

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