第三十一話 下準備
1583年も末となったが、柴田勝家が滅んだばかりというのに、次の戦いの火種がくすぶり初めていた。
原因となったのは、父上が三法師様の後見として安土に入っていた織田信雄殿を退去させたことであった。
信雄殿はこの父の行動に大いに不満をもって、配下ものに父を織田の簒奪者と言いふらしているらしい。
そのような事情もあり、次の戦について相談すべく播磨は家臣に任せて、更級を伴い建設途中の大坂城へと父に会いに向かった。
大坂城では昔と同じ光景が広がっていた。
一応大名としての挨拶は行ったが、一応行った程度ですぐ家族の間に通されて、いつもの顔が並んだ。
母上などは既に涙を浮かべているし、あこ様は将来小早川秀秋となる子を腕に抱いて「ようきましたね」と言ってくれた。
「難しい話は後にして、まずは近頃のはなしでも聞かせてくれや」
父のそんな言葉を合図に家族での他愛のない話が始まる。
しばらく皆で語らっていると、家に戻った気がしてつい雄弁になる。
皆も話したいことが多くあるようで、話題は尽きない。
妻の更級も楽しいようでつい口が滑ってしまう。
「播磨に移ってから、皆様に会えず寂しくなったのか毎日の様に膝枕をしてくれと、それがかわいくて」
あまり知られたくなかった事を更級にバラされてしまい、母上たちに笑われて顔を赤くしたりする場面もありはしたが、思い出話や最近の出来事を皆で笑いあってあっという間に時間が過ぎていった。
そんな時間を凍りつかせたのもまた父であった。
「で、わしにいつ孫を見せてくれるんじゃ」
その言葉を聞いた瞬間「たわけが」の声とともになかお祖母様に耳を引っ張られていた。
父は「大切なことじゃろうが」と反論したがすぐさま頭を叩かれている。
「妻はまだ若く、若いうちに子を生むは危険だと聞きます。更級を失いたくはありませぬゆえ、父上には申し訳ございませんが、後数年待っていただきとうございます」
多分このような話になるだろうなと思い返答を考えていてよかった。
「そうかそれでは仕方ないのう、しかしそれでは辛かろう、そうじゃ側室な……」
「お前さま」
地の底から聞こえてきたような声であった。
母上の顔はきっと夜叉になっているだろう。夢に見ると怖いので見ないでおこう。
しかし本当にどうしようもない父だ、父上対して母上が怒って皆で父上に呆れる。
しかしなぜかこの光景こそ自分の家だという実感が湧いてくる。
「そ、そうじゃ餅丸。毛利のことなど聞かせよ。女どもは下がるがよい」
「お前さま、その後で話があります。来てくださいますよね」
「と、当然じゃねねのためならいくらでも話を聞こう」
そういって逃げるように父は部屋を出ていった。
「下がれと言って出ていくなど、ほんとにあの人は」
いつまでたってもどうしようもないと、諦めに似た表情を母上は浮かべる。
「母上、父上に手心加えてくださいませ。それと更級、父上と話している間に徳殿に兄上のこと話してやって欲しい。それでは叔父上参りましょう」
更級の「はい」という返事と、叔父上の「うむ」という返事とともに部屋を後にした。
*
「おお餅丸よきたか。ほんに女どもは怖ぁていかんわ、まずは毛利のこと聞かせてくれや」
「あれは兄さが悪い」
叔父上の言葉はしばらく置いて毛利のことから話し出す。
「昨年は羽柴の勢いを見極めてというところでしたが、柴田を破ってからは変わっており申す。譲歩すれば和議を結ぶことも出来そうです」
「今であればどの程度じゃ」
「すぐとなればかなり、備中、伯耆ともに半分得る事ができれば上出来かと」
「話にならんな」
「はい。ですから今は婚姻を進めておりまする。万丸となれば三好ということもあり、毛利にとっては悪くないでしょう」
「今後万丸が讃岐や阿波を領地とすれば毛利にとってもといったところか、よいそのまま進めよ。で播磨はどうじゃ」
文などで急かされることもなかったので予想通りではあるが、父上は毛利に関して今すぐ何かしようとは考えていないようだった。
「父上から家臣として頂いた来島助兵衛(通総)のおかげで、水夫たちの訓練がはかどりました。港も整備され、船大工どもも集まって船も作れるようなっておりまする。また養蚕を進めた縁で京の吉岡憲法殿と誼が結べました。門弟も派遣して頂いたことで賤ヶ岳の折よりは兵は強くなったと思うております」
兵法者として多くの弟子をもつ吉岡憲法殿は、染物屋としての顔も持っていて、予想外のところで予想外の人物と知り合えたのは幸運だった。
「うむ。それはよい」
その言葉を合図に父の顔は真剣なものとなった。
「で、こたびは何用じゃ、何かあって来たのであろう」
「はい。三介殿のことで参りました」
「ほう、何かしたいことでもあるのか」
「三介殿が父上に歯向かうとの噂、播磨にも聞こえておりまする。そして三河殿もこれに加わるという噂も、そうなれば厄介にございましょう」
「で、いかがする気じゃ」
「甲州征伐を改めて」
「ほう、側面をつく気か」
父上はそれも手じゃなという表情で、詳細を聞きたがっているように思えた。
「はい。播磨にて五千兵は用意いたしました。残り三千程と勝蔵殿をお貸しくだされば一万二千程になりましょう。少し進めば真田の父と合わせて一万五千は超えまする」
「その後はどうする気じゃ」
「信濃を抑えた後は軍を分け、甲斐を攻め、我らは三河、遠江、駿府を荒らし回ります。敵が来れば戦わず城にこもることを考えております。野戦では手強き徳川なれど城を攻めるは苦手。それに我らに構っては父上と対峙することとなる尾張が手薄となるゆえそうそう大軍を向けられません。後は立ち枯れるのを待てばよいかと」
「池田はいらぬのか?」
父は上機嫌となって聞いてくる。
「勝手するものはいりません。勝蔵殿はあの気性なれど、弟と想うてくれまする。されど池田は軽く見て好き勝手いたしまする」
「確かにやつにとっては弟じゃ、他にいるものは?」
「万丸を播磨に、初陣よりもこの機会に毛利との顔つなぎを」
「どうじゃ小一郎わしはよいと思うが」
「わしも特に何もないわ、餅丸が必死に考えたんじゃろう鹿之介とも相談しとるはずじゃ」
「ならば、わしはせいぜい尾張で睨み合いしておこう。万丸のこともそれでよいわ」
思い描いた作戦が了承されたことに安堵し、つい冗談が口から出てしまう。
「では、明日にでも出立し勝蔵殿のところへ行き徳川へのいたずらを誘って参ります。更級は置いて行きますので戦の話聞かせてくださいませ」
「いつも勝蔵にいたずらされておったそちが、いたずらに誘うとは日が経つのは早いものじゃの」
そういって父は笑ったが、数刻後には母上によって笑顔はどこかに消えてしまっていた。
*
「驚いたぞ餅丸。なんじゃ急に来て、各務兵庫など羽柴に何かしたのですかなどと言ってきおった」
勝蔵様は相変わらずの様子で、全く変わらぬことから会うたび懐かしくなる。
「相談したいことがありまして内密に話せませんか?」
「そうか、ならば餅丸に茶を振る舞ってやろう」
そういって茶室に通された。
こう見えて意外というか、なぜか勝蔵様は茶にも書にも明るい文化人だったりする。
自分は相変わらず興味がなく、こうして振る舞われるばかりなので、いつかは茶について本格的に学ぶのもよいかもと思い始めている。
「茶を振る舞われ思い出しましたが、前右府様に白い茶碗頂いたのを忘れておりました。勝蔵様は茶碗のことわかりますか?」
「餅丸それはいつのことじゃ?」
「父上が毛利との戦で援軍を願い出た頃です。それを聞いて親子で馬前を汚したいと頼みに安土に参りました。その時に長浜での婚儀の祝いじゃと申されて」
「他に何か思い出せぬか?」
あの日のことは忘れられるはずもないが、それを出さぬように答える。
「長浜での祝いに欲しいものはあるかと聞かれましたので、諏訪での婚儀に頂いたのが名刀と知らずに驚いたのでこれ以上はという話をいたしました。すると待っておれと持って来てくださったのが白い茶碗でございました。箱に入ってたものゆえまた高価なものかと思うたら、坊主にもろうた茶碗じゃと仰ったので、それなら良いかと思い箱ごと頂いて長浜に。一応亡き大殿より頂いたものゆえ大切にしまっております」
「知らぬとは恐ろしいと思うたわ、それはきっと本願寺との和平の際に献上されたものじゃ、何か疲れた用件を言ってくれ」
呆れられたのか本当に疲れた顔をしている。
だがこれを聞けばすぐに元気になるはずだ。
そう思い、父上にした話をするとすぐに活気が戻った。
「なんとも楽しそうな話ではないか、餅丸はわしに何をしてほしいんじゃ」
「ただ待っていてもらいたいと思うております。敵が来ても打って出ずに、小競り合いなどで兵を減らして本番が楽しめなくなるのは面白くないでしょう?」
「おお、それはそうじゃ」
「もちろん内密にお願いいたします」
「わかっておるわ、それにしても今から楽しみじゃ、やはり餅丸は楽しいわ」
勝蔵様の表情を見ると、素直に待っていてくれそうだ。
後は真田の父上にも文を送っておこう。
そうすれば、事前にすべき事は終わりで、打てる手は打ったと戦に臨める。
数少ない機会だ、ここで家康の影響力を少しでも下げる。
少なくとも、徳川が羽柴に勝ったなどとは言わせない。
ただそれだけを考えていた。
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