第三十話 賤ヶ岳 子

 父上は柴田勝家が雪で出陣できない間、柴田方の者たちを精力的に攻め続けていた。

 姫路にいる自分は、その知らせを聞きながら、安国寺恵瓊への対応、小西行長から伝えられる経過報告に応じて資金を与えたりと姫路を少しでも発展させるべく働いていた。


 賤ヶ岳が終わればいよいよ徳川との対決となる。

 それに備えるべく、鹿之介には練兵に励んでもらいながらも、新たな将の育成にも力を入れてもらっている。

 山中鹿之介と真田幸村がいる軍勢といえば聞こえはよいが、それを支える家臣が不足していて、その力を十分に発揮できていないように思えたからだ。


 真田幸村などは人質として送られてきたから、家臣として傅役の高梨内記がついてきた程度であり、鹿之介も尼子の家臣団は尼子秀久に仕えるもの、亀井茲矩に仕えるものなどと分かれ、信頼できる家臣が多くいるわけではなかった。


 何より長浜も播磨も主だった者は父上の家臣となっており、そこから漏れたものとなれば有能な者はおらず、自分の家臣もそして陪臣も不足していているのが現状だった。

 そんな状態の播磨勢に父上から賤ヶ岳の合戦への出陣が命じられた。



 出陣の際「私も連れて行って下さい」という更級をなんとか兄上と一緒に宥めすかして、四千の兵を引き連れ父上のもとに合流した。

 毛利への警戒もあって、宇喜多や宮部継潤は動かす事ができずに、播磨の兵も全軍で向かうことはできていない。

 尼子を姫路の留守居として、宮部継潤に万が一の場合の対応を任せている。


 今回も自分は半ばお飾りのようなもので、軍監である鹿之介が指揮をして、兄上たちが実際に兵を動かすことになる。

 格好よくいえば将の将ということになるが、どうしても平和な時代に生きた前世に記憶もないのに引っ張られて、兵を率いて戦を行う自信が持てていない。

 配下に歴史に名を残すような名将がいるので、大きな方針のみ伝えて後は任せたほうがよいのではという考えもあって、この様な形を取っている。


「ようきたわ。鹿之介も安房守の倅も一緒じゃな。長浜での活躍は聞いておる。よく支えてくれておる様じゃ、これからも頼むわ」

 そう言って、父上は頭を下げた。

 これには二人とも驚いて「上月の地に宗乙坊をお送り下さった大恩返しきれるものではございませぬ」と鹿之介は言い「妹が守ると申したからには、兄として助けねばならぬと思うただけにございまする。必ずお守り致します」と兄上は言った。

 父上は二人の手を取り何度も「息子を頼むわ」と繰り返していた。

 人たらしと言われる所以を見たような気がした。


 しばらくすると父上は自分に声をかけて命を下した。

「餅丸よ賤ヶ岳任せるわ。今は桑山彦次郎(重勝)が入っておるが、いずれ惟住殿(丹羽長秀)も来よう、それまで柴田の手に渡らんようにせよ」

 父上としては本能寺の後に佐和山のものを守ったこともあり丹羽長秀の応対をさせようという意図であるのだろうが、激戦となる事を知っている自分としては、重大な場を任されたという意識が強かった。


「必ず守りきります」

 そういって左右の鹿之介と兄上を見た。

 二人とも同じ気持ちのようで、戦となれば必ずや活躍してくれるだろうと感じたのだった。



 賤ヶ岳の砦に入り、守りを固める日々が続いていたが、ついに父上が美濃へ向かうという知らせを受けることとなった。

 間もなく佐久間の中入りが行われ、賤ヶ岳の戦は大きく動くことになるだろう。


 数日後、柴田勝政の兵が賤ヶ岳の砦に向かって来ているとの知らせを受けて、鹿之介に命じて攻撃を行う。

 歴史を知っていながら佐久間の中入りを防げないのは悔しいが、共に砦を守る桑山重勝が賤ヶ岳の砦を放棄したことも知っていたので、信用することができずに佐久間と勝政に挟撃される事が頭に浮かび、佐久間との戦いを決断する事ができなかった。


 鹿之介が戻ってきた。

 柴田勝政との戦いは痛み分けといったところで、決死の覚悟で守る勝政の軍を崩す事はできなかった。

 誰にも聞かれることのない様に鹿之介に言葉を掛ける。

「やはり弱いか?」

 鹿之介は申し訳無さそうに言葉を絞り出す。

「口惜しいことなれど数だけの兵にございます。源次郎殿はよくやってくれておりますが一人ではどうしようもございません」

 やはり鹿之介も同じ考えだったかと思う。


 父上が近江に舞い戻り佐久間の追撃にも参加したが、ここでも目立った活躍はできなかった。

 これでは家康に野戦では勝てないなと思う。

 強兵と名高い三河兵を、綺羅星の如き徳川家臣団が率いる軍勢と戦うには何もかもが足りていなかった。

 引き続き鹿之介には頑張ってもらうつもりだが、間に合う事はないだろう。

 野戦を避ける戦をしなければならない。

 それでも家康に勝つことを諦めるつもりはなかった。



 賤ヶ岳の戦いの後、父上に命じられて前田を降伏させるべく越前の府中城に来ている。

 文のやり取りはしていたが直接会うのは豪が養子に入って以来となるから随分と久しぶりとなる。

 城に着くとすぐに通されて、前田の夫妻と対面することになった。


「お久しぶりにございまする。賤ヶ岳では敵味方に別れましたが、私が父母と思うていることには変わりありません。どうか羽柴にお味方下さい」

 そういうと、又左衛門様でなくおまつ様が答えた。

「父と母と言うて頂きありがとうございます。前田は羽柴に降伏いたします。筑前様には敵となったことお詫び申し上げまする。処分はご随意にとお伝え下さいませ」

 その口から語られたのは、はっきりとした前田の意思であった。


 勝手に前田の意思を伝える言葉には流石に又左衛門様も「おまつ」と声を荒げたが気にする様子もなくおまつ様は又左衛門様に言葉を返した。

「槍の又左などと言われておるのに優柔不断だからこうなるのです。親父殿には義理がある、藤吉郎は昔馴染みじゃと散々迷った挙げ句、修理殿の要請を断れずに兵を率い、いざ筑前様の馬印を見れば筑前とは戦えぬと舞い戻るとは前田を物笑いの種とする気ですか?筑前様が申せば共に腹を召して差し上げますゆえ。堂々となさいませ」

 そう言われて言葉に窮している又左衛門様を尻目におまつ様は「そのままお伝え下さいませ」と言った。

 幼い頃に見たおまつ様の姿そのままだった。


「父上からは前田が降伏すれば北ノ庄に参るように伝えよと聞いております」

「じゃが」とまだ渋る又左衛門様にを無視して「承知いたしました。前田は北ノ庄攻めの先鋒勤めまする」とおまつ様が言って二人との会談は終わった。

 父上にこの様子を伝えると「おまつ殿がおる限り前田に手出しはできぬな」と大笑いしていた。

 それには自分も同感だった。

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