第二十七話 仇討ち

 日付けは六月十一日となって本能寺の変が起きてから、あっという間に一週間以上の日が流れた。

 安土に入った明智勢は、その後佐和山を占領し北上して長浜城に攻め込む構えを見せたが、父上が姫路城に入ったと知ったのか、安土と佐和山に抑えの兵を置いて引き返していった。


 若狭の武田元明が、明智へ付くことにしたようだが幸い近江へ攻めてくることはなく、今は父上と明智の戦の結果待っているところだ。


 鹿之介とも相談したが、父上が明智に勝利すれば鹿之介に千程の兵と丹羽の者ども付けて、佐和山、安土と進める予定している。

 父上にもその旨伝えており、明智を打ち破った後はすぐに連絡が来ることになるだろう。

 今はただ父の勝利を待つ、それだけだった。



 六月十二日、秀吉は摂津に入って、池田恒興ら摂津衆と合流した。

 信長の乳兄弟である池田は別にして、光秀の与力としても知られていた中川清秀、高山右近の両名が味方したのは、光秀を大義のない謀反人と印象付けるのに十分なものであった。

「摂津の皆様の亡き大殿への忠義、この筑前……」

 といって秀吉は涙を流す。池田恒興は秀吉の手を取って、僅かに涙を浮かべると秀吉に先陣を願い出た。


「筑前殿のお言葉有り難く。されど我ら日向守と共に多くの戦場を駆けており申す。この中にも懸念を持つ者をもおりましょう、されば我らに先陣お申し付けくだされ、必ずや明智が首を取って前右府様への忠義を示して見せまする」

 心の中で秀吉は、池田恒興に悪態をつく、ここで先陣任すなどと言えば筑前は織田を軽んじているなどと言われよう。

 明智討伐後のわしの影響力を少しでも抑えようという心積もりであろうがそうはいかぬ。


 本能寺の報を聞いて初めは仇討ちのみしか頭になかった秀吉だが、日が経ち仇を討つことがどのような意味を持つか気づいている。

「そのお心この筑前感服いたしました。三七様も必ずや摂津衆の忠義に胸を打たれるでありましょう。兵を進めて三七様と一刻も早く合流し、三七様の下知の元、共に謀反人を成敗しましょうぞ」

 そういって先陣を決めぬまま、兵を進めようとしたが、池田恒興はなおも食い下がる。


「されど、先手必勝という言葉もござる。明智は勝竜寺城に向かい山崎を伺う構えを見せております。いち早く要地を抑えねばお味方の苦戦は必至、何卒すぐさま先陣をお申し付けくだされ」

 こやつわしの立場が弱いとみて強引にでも先陣を引き出すつもりか。

 しかしはねつけるわけにもいかん、名目上とはいえ三七様を総大将としている。

 兵の多寡こそあれ、三七様のもとに集まった同志ということになっているゆえ、はねつける権限がない。

 妥協するしかなさそうだった。


「我が弟小一郎に兵一万五千を預けて、皆様と行動を共にさせてくだされ。わしは残りの兵を率いて三七様と合流いたす。三七様に先陣の許可いただきすぐさま早馬で知らせましょう」

「分かり申した、山崎に向かいながら三七様の下知をお待ちいたそう」

 多少不満げではあるが、先陣が確実になったと思い納得したようだ。

 小一郎であれば最悪抜け駆けすれば良いとでも思うておるのであろうな。


 しかし、わしの影響力をそごうというのはわしの考え過ぎであったようじゃ、ただ先陣の名誉が欲しかっただけで、こやつはそこまで考えておらぬ。

 池田の扱いも決まったわ。

 そして秀吉は官兵衛を呼び伝える。

「きゃつらは必ずや抜け駆けしよう、じゃが止めんでええ、わしは三七様のもとへ行くがわしが着くまでに明智に勝て」

 そういって、秀吉は五千の兵を率いて織田三七信孝のもとへと向かって行った。



 織田信孝と秀吉が合流できたのは翌日十三日のことだった。

 信孝が率いるのは僅か四千の兵に過ぎない。

 四国征伐ために二万に迫るかという兵で堺に入ったが、本能寺の変の知らせを受けて兵の逃亡が相次ぎ、今ではこれほどまでに兵を減らしていた。

 大兵を持っていたにも関わらず、変の後したことと言えば、謀反の噂のあった織田信勝の子で従兄弟の津田信澄を殺害したくらいであった。


「三七様此度のことは……不肖筑前、三七様の仇討ちに助太刀せんと参上仕りました。何なりとご下知くだされ」

「なんと心強い。されど思った以上に兵が少ないようじゃが」

「はっ、文にて伝えましたとおり、摂津衆は三七様に忠義示さんと、先手を願い出ておりまする。されど三七様の命なくしてはいかぬと思い弟に兵を預け、ゆるりと京へ向け進んでおりまする。三七様の命があり次第摂津衆が先頭となって明智を討ち果たしましょう」


「そうであったか、されど明智は親の仇、余自ら討たねば気がすまぬ」

 ならば信澄などほうっておいて、すぐさま兵を向ければよかったであろうにと、秀吉は鼻白む思いであったが、そのような思いを見せることなく秀吉は言葉を紡ぐ。


「三七様の御心もっともでござる。なればすぐさま三七様の御到着を待つよう早馬を送り、我らは京へ急ぎ向かいましょう」

「うむ、筑前そのようにいたそう」

 こうして京へ向かうこととなった。

 この数日信孝に付き従い、彼への敬意を失っていた丹羽長秀はこの様子をみて、筑前はいつまで付き合えるのであろうかという感想しか持てなかった。



 京へ向かう秀吉たちに山崎での戦の結果がもたらされたのは昼のことであった。

 伝令が秀吉と信孝のもとへ来て、戦の報告を行いその事を知ったのだった。


「山崎の地にて、早朝明智勢九千と遭遇、しばらく睨み合っておりましたが、中川瀬兵衛殿が抜け駆けしそれを見た池田、高山の両名も続いて乱戦となり申しました。こうなっては仕方なしと羽柴の軍勢も動かれ、明智勢を散々に打ち破り申した。お味方大勝利でございます」


「なんと」

 自らが兵を率いて明智を打ち破る幻想を浮かべていた信孝は、目論見が外れそれ以外の言葉が出てこなかった。

「日向守は」

 秀吉の言葉だった。

 彼は信孝が余計なことを言う前に、話の方向を決めようと伝令に言葉を促す。

「勝竜寺城にて兵三千程で籠もっておりまする」

「三七様、野戦は終わり申したが日向守めはまだ生きておりまする。すぐさま勝竜寺城への攻撃のお下知を」

「お、おお。そうであるな。逆賊明智日向守を討ち果たせ。勝竜寺城を攻撃せよ」



 明智光秀は勝竜寺城にて脱出の用意を行っていた。

「おのれ筑前め、されど細川と筒井が参れば、まだ戦えるわ」

 そう言いながらも、彼の頭脳はこの状況で明智につくことなどないと導き出している。


「まずは坂本に戻りて、態勢を立て直す」

 ただ彼には認められない。あの下品な農民上がりに負けるなどとは、必ず再起を果たさねばならぬ。

「勝竜寺は捨てる。時を稼いだ後は降伏せよ」

 そういって、僅かな供を連れ光秀は坂本城へと向かって行った。


 光秀が坂本に向かう途中考えていた事は、ただただ坂本に着いて態勢を立て直すそれだけだった。

 どの様に態勢を立て直すかなど考えてはいない。

 現実から眼を背け、坂本にさえ着けば態勢を立て直せると信じて足を動かしている。

 容易だと思っていた坂本への移動は、農民による落ち武者狩りによって困難なものとなっていた。

 彼が信じた近習たちも、一人また一人と減り続け、光秀の周りにいる者はもはや数えるほどとなっている。


「大義も理解できぬ下民どもが」

 なんと卑しい者どもであろう、何も知らずただ欲のために槍を向けるとは、この様な者共にわしの首をやる訳にはいかん。

 ふと農民と秀吉の顔が重なる。

 奴とて欲のために、大義などなく槍を向けたに違いない、所詮は農民上がりの下民よ。


「は?」

 突如自分の腹から槍が生えるのを光秀はみた。

 武士の作法すら知らず、後ろからとは何たる恥知らずな。

 景色が緩やかになって、いくつもの思考が頭を巡る。

 朝廷や公方様を蔑ろにする者を成敗した日の本の大功臣ぞ、坂本に戻れば天下の諸侯駆けつけて参る。さすればこの様な下民ども成敗してくれる。


 そこで彼の思考は途切れた。

 


 秀吉は届けられた光秀の首を見て、こやつはなぜ謀反など起こしたのであろうかと考えた。

 本能寺の知らせを受けた時にあれ程殺したいと思ったのが嘘のように、光秀の首を見ても何も感じなかった。

 秀吉は天下というものが眼の前に広がって、天下の事を何も考えていなかったことに気が付いた。

 こやつもきっと何も考えておらなんだに違いない。

 その証拠に、わしと同じく天下が眼の前に広がって戸惑っていただけじゃった。


「くそたわけが」

 そう思った瞬間先程までなんとも思わなかった光秀に無性に腹が立った。

 何も考えとらん癖にわしに押し付けよって、天下のことなど考えぬままがよかったわ。

 微かに「藤吉郎」と言われた気がしたが、すぐに気のせいだと思い直す。

 もう彼に道を示してくれる者はいないのだった。

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