第二十六話 大返し

 六月三日夜、秀吉の本陣にまだ居たのは秀吉と小一郎、それと護衛の役目を与えられた小姓たちだけであった。

 主だった家臣たちは、夜と言うこともありそれぞれの陣へ戻っており、秀吉はいつものように眠る前に小一郎や小姓たちと雑談をしてから眠ろうかと考えて、周りにいるものととりとめのない話をしていた。


「そういえば餅丸から文が届いたぞ小一郎、なんでも大殿に拝謁して大殿が中国に赴く際に、共に軍を率いてここにくること許されたとのことじゃ、今は長浜で兵を集めている最中で千五百程になりそうと知らせてきたわ」

「では兄さも気張らねばならんのう」

「おおよ、戦場で情けない姿は見せられんわ」

「いつも姉さに怒られる姿ばかり見せているからのう」

 そう言って小一郎は笑ったが、秀吉はムッとして矛先を小姓に向ける。


「なんじゃ餅丸が来ると聞いて市松も佐吉も嬉しそうな顔しよってからに、こやつらはわしじゃのうて、餅丸に忠義を誓いよったからの」

 小姓たちは何も言えず困っている。

「小姓どもで遊ぶでないわ兄さ、それに兄さはあん時わしは良い家臣を持ったわと大泣きしとったでないか」

「小姓どもの前で言うでないわ小一郎」

「兄さが小姓で遊ぶんが悪いんじゃろうが」

 今日の兄弟の会話は、小一郎様が勝ちそうだなと佐吉は密かに兄弟の勝敗を楽しんでいた。


 そんな風に秀吉たちが会話を楽しんでいたところ、慌てた様子で蜂須賀正勝が陣に駆け込んできた。

「なんじゃ小六殿慌ててからに」

 秀吉は全く緊張感のない声で問いただす。

「これを見てみぃ藤吉郎、わしの陣の周りに怪しいものおったから捕まえたらこいなもん持っておった」

「おお文か見せてみよ」

 そういって文を見た瞬間、秀吉は床几から力なく崩れ落ちただただ泣き喚いた。


「どうしたんじゃ兄さ」

 秀吉の手からこぼれ落ちた文を拾って小一郎も読んだ。

 小一郎も声を失った。

 そこには明智光秀の謀反により信長と信忠が自害したと書かれていた。



 本陣には主だった者たちが集められた。

 秀吉は泣き喚くばかりであったので、小一郎と小六で相談して人を集めた。

 宇喜多の者は呼ばれなかったが、その中には織田から派遣された堀久太郎秀政の姿もあった。


 人が集まった頃には秀吉は泣き喚く状態は脱していたが、未だ涙を流しつつ「許さぬ、許しておけぬ」と繰り返し続けていた。

 皆が文を読み終えた、反応は様々だったが小一郎たちが予想した以上に冷静に受け止められたようだ。

 秀吉の様子を見て、とてつもない事が起きていると予想できた分、納得が勝ったのであろう。

 突然の秀吉の動きが止まり、居並ぶ顔を見渡すと突如大声で話し始めた。


「知っておるか小一郎、わしが小物の頃は奇妙様の遊び相手じゃった、あの武田を平らげた武士の最初のお馬はわしじゃ。知っておるか久太郎、うぬが小姓になる時にわしが面倒見るゆえ安心せいとおっしゃったのじゃぞ、弥兵衛とてそうじゃ、ねねの妹によき衣装を着せてやれと婚儀の前に金子を賜ったわ、それをそれを明智め許さぬ。官兵衛策を言え、すぐさま畿内に舞い戻り明智が素っ首刎ねねば気がすまぬ」


「すぐさま恵瓊坊を呼び毛利との和平を」

「毛利領などどうでもよい。どれほど譲歩してもよい。すぐさままとめ上げよ」

「御意」

 こうして毛利との和平交渉が始まった。



 安国寺恵瓊は羽柴からの急な呼び出しに困惑していた。

 毛利からの和平案は伝えてある、五カ国割譲だ。

 上方では信長自ら中国へ援軍に向かうとの噂も広まっていると聞いている。

 考えられるとすれば、それを理由にさらに厳しい案を突きつけられる。

 それくらいしか彼には思いつかなかった。


 しかし、いざ交渉相手の黒田官兵衛との会談に臨んでみると、出てきたものは意外な案であった。

「備中、美作、伯耆の三カ国割譲と備中高松城主の切腹にございますか?」

 毛利が出した案より二カ国も少ない、清水宗治の切腹は変わらぬが十分に飲める案だ。

 秀吉は今まで五カ国割譲と清水宗治の切腹を求めていた。

 それゆえ全く意図が分からない。何か変事でもあったのか?


「いかがですかな?」

「しかしやはり切腹は」

 交渉を任されている者として、よい条件だからと飛びつく訳にはいかぬと、大きな問題となっていた切腹の撤回を試みる。

「本人は城兵の助命と毛利の為ならばと納得しておるではありませんか」

 事実だった清水宗治からはそのように文が届いている。


「しかし私の一存ではとても」

「では小早川又四郎殿にお伝えくだされ、すぐに返答頂きたいとも申し伝えていただきとうございます」

「分かりました。ではすぐに向かいまする」

 そうして、安国寺恵瓊は毛利の陣へと戻っていった。


 官兵衛は思ったこれで大丈夫だと。

 毛利輝元や吉川元春は知らぬだろう、だが小早川隆景はもう変事を掴んでいる、街道を封鎖するのに時間がかかり過ぎた。

 だが、それで良かったとも思う、隆景のみが知っているならこちらの意図を読んで、毛利の利益を考えて必ず乗ってくる。


 秀吉を東に放って勝てば大きな恩を売れる、負ければそのまま反故にして宇喜多へ攻め込めばいい、割譲の約をしたからといってすぐさま領土が渡るものではない。

 すぐに安国寺恵瓊が戻ってきた。

 隆景からの返答は和平を結ぶであった。



 備中高松城にできた湖に舟を浮かべて、羽柴と毛利の双方が見守る中、城主清水宗治の切腹が行われた。

 作法に則って行われた余りにも美しい切腹は、これから清水の家が絶えたとしても永遠に語り継がれるものであった。

 そして、切腹を見届けた後お互いに和平の誓紙を取り交わし正式に和平が成立した。


 その日の午後、備中高松城を囲む堤防の堰をきり追撃を困難にさせてから秀吉たちは撤退した。

 途中の宇喜多領にて宇喜多軍と別れ、毛利の抑えとして残し、その代わりにまだ幼い宇喜多の当主を人質として連れて、姫路に向かってまた行軍を始めた。

 毛利の追撃は未だなかったが、だからといって警戒を解くわけにはいかなかった。


 姫路に戻ったのは七日の夜であった。

 移動中にも続々と情報は秀吉のもとに入ってきている。

 堺や京の豪商たち、寺社のものども、そして息子からも。

 もちろん秀吉からも書状は送っている。細川藤孝、筒井順慶といった明智に親しいもの、そして高山右近、中川清秀といった摂津衆に重点的に連絡を取っている。

 感触は悪くない。

 少なくとも態度を決めかねていて、明智にはついていなかった。


 摂津衆は光秀の与力として働いたが、秀吉の蜂須賀や勝家の北国勢などのように、長年に渡って同じ者の麾下であった訳ではなく、状況に応じて信長の軍として動いたり光秀のもとで働いたりと役割は流動的であった。

 そのため光秀に特別な感情を持ってはいないだろうと秀吉は考えていた。

 このような状況であれば、敵に勝る兵引き連れて畿内に進めれば、こちらへ引き込むことができるだろうと考えて多くの文を送っている。


 姫路に戻るまで急ぎの行軍だったため、兵は疲れており、これ以上の行軍は控えるべきだと、秀吉の目には映っていた。

 その為、明日八日は兵を休ませて英気を養い、明後日畿内へ軍を進めることに決めた。

 そして九日。

 遂に羽柴筑前守秀吉は、二万の兵を率いて姫路城を出発した。

 目指すは京、明智の軍勢を打ち破り、亡き主の仇をとるために……

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