第二章 つゆとをち

第二十五話 長浜城

 六月三日に長浜城に明智光秀が謀反し信長様と信忠様が自害なされたことが伝わった。

 母上は気丈に振る舞われていたが、柊様は知らせを聞くと涙を流すばかりで、普段の強い柊様とはかけ離れた姿を見せた。

 奥のもの達が皆で部屋まで運んで、今はあこ様が落ち着くまではといって付いてくださっている。


 それも仕方がないと思う。

 信長様の許で柊様の弟三人が小姓として働いている。

 急使からの知らせからは、皆信長様に殉じたであろうことが想像できる。


 今は自分が動かねばならない時だ。

「まずは集めた兵を全て城に入れるように鹿之介殿に、さらに師匠と門人たちも城に迎える。師匠が到着すれば評定を行うゆえ急ぎ使いを」

 まずは人を集めねばならぬ。


「評定には、鹿之介殿、母上、叔父上(木下家定)、師匠、笑円に出てもらう。様々な意見はあろうが従ってもらいたい」

 鹿之介と師匠を待つ間、兵糧や資金の備蓄について叔父上から話を聞いておく、そうしている間に鹿之介と師匠たちが城に到着し評定を始めることとなった。



 評定では兵も少ないこともあり、大きく動かずに籠城しながら情報を集めて、父上に動きを伝えるのを基本方針として動くと決められた。

 すぐに笑円に書状を作らせて、羽柴と親しい家との連絡が取れるように使者を送り、情報収集と連携に努めた。


 森家から美濃や尾張の様子、前田家から北国勢の様子、真田家から東国の様子など伝えられれば、父の助けとなるだろう。

 また、孝蔵主殿の縁を頼って、蒲生とも連携できればと文を書いてもらった。

 より明智の本拠に近い蒲生ならば、明智の動きも掴むことができるかもしれない。


 しばらくすると、長浜城から叔父上(木下家定)に率いられた三百ほどの兵がでていく、これは丹羽様が四国攻めに出ていることから、兵が不足しているであろう佐和山城へ向かっている。

 兵が減るのは痛いが、近いうちに明智が安土へ攻め込んで来るだろうと評定でも議題にあがったことから、佐和山への救援として出した兵になる。


 安土が落ちれば次は佐和山だが、明智軍が相手となればとても支えきれるものではない。

 明智が来るまでに佐和山の者たちを脱出させて、長浜で保護し共に籠城しようという考えだ。

 佐和山の兵の数は少ないだろうが足しにはなるはずだし、佐和山を守るほどの兵力がない以上、佐和山の者を救うにはそれ以外の手がなかった。


 叔父上は佐和山の者が反対した場合の説得役、兵たちは長浜までの護衛役といったところだ。

 これで長浜城にいる兵は千二百程となった。

 減った分は戦に出たことのある年寄りにまで兵の間口を広げて集めている。


「わたしも戦いますがいいですよね?」

 妻の更級だった。確かに並の男より強いが戦いに出したくない気持ちもある。

「戦場のわたしを見て好きになったのでしょう」

 そう言われると弱く、一人でも兵が欲しい状況では断われなかった。

「分かった。ただしそばを離れることは許さぬ」

 こう言っておけば、戦は鹿之介殿に任せることもできるし、どうにかなるだろう。


「わかりました、わたしが守って差し上げます。しかし夫と共に戦をするなんて、本物の巴御前になった気がいたします」

 無邪気に喜ぶ姿を好ましく感じていることを隠して答える。

「籠城ゆえ敵が来なければ戦はないし、それに朝日将軍にはなりとうない」

「ご安心ください真田の巴御前は夫に天下を差し上げまする」

 そう言って更級は微笑んだ。


 そんな長浜城に兵が向けられたのはそれから二日後のことだった。



 長浜城から敵の姿が見えた。

 城に向かって来ているのは、阿閉貞征と京極高次の軍勢で二千近くの軍勢となる。

 京極高次を旗頭に北近江で父へ不満を持つ者を集め、阿閉領で根こそぎ兵を集めた結果だろう。


 阿閉貞征は浅井が滅びる直前に、織田に寝返った将で、その後父の与力となったが父との折り合いが悪くなり、亡くなった大殿の家臣となった者だ。


 京極高次は、北近江の守護京極家のもので、父が浅井に軟禁されていたことから小谷城の京極丸で生まれた。

 浅井が滅びると人質として大殿にもとに送られて、家臣となっていたが父高吉の死に伴い近江へ戻っていた。


 京極家は没落していたが、北近江統治の一環として、父に援助され命運を保った家だった。

 両者は明智に付くことを表明し、今長浜城を攻めている。


「若君、戦の前に兵たちになにか一言を」

 鹿之介だった、眼前には千ほどの兵たちがいる。

 兵が減っているが、これは義兄上(真田信繁)が二百程の兵を率いて城外に出たからだ。

 作戦は全て鹿之介に任せているので詳細は知らない。

 伏兵か何かを命じたのだと思う。


 兵たちはこちらを見ている、仕方がないと思い鹿之介と更級を左右にして、兵たちに語りかける。

「ここにいるのは我が妻更級である、亡き信玄公に仕えた武勇の誉れ高い家臣たちですら、我が子の嫁にするは敵わぬと言われたお転婆にて、そちたちの中にも兵練の際にお転婆ぶりをみた者もいよう。今日はそれがついておる」

 兵たちの笑いが聞こえる。


「ここにいるのは山中鹿之介である。亡き毛利の翁ですら恐れさせた豪傑で、中国では童すら知っておる。多少我らより数が多いようではあるが、所詮は戦を知らぬものと、野戦の蛮勇で名を挙げた城攻めの仕方を知らぬものが組んているに過ぎん。中国にて、かの毛利両川が指揮する数倍もの毛利軍相手に籠城した鹿之介にとっては物の数ではないぞ」

 更級がわたくしとの扱いの差はなんですかと、小さな声で言ってくる。


「相手は亡き前右府様の恩を忘れ、すぐさま明智についた忘恩の輩共よ。何の遠慮もいらぬ、この地にて討ち果たし前右府様の供養とせよ」

 兵たちが鬨の声で答える。

 そして、それぞれの組頭の指示に従い定められた持ち場へ移動する。


 長浜城での戦が始まった。



 長浜城での戦は驚くほどあっけなく終わった。

 敵は何の策も弄さずに遮二無二城を攻めてきたが、長浜城には中国遠征に備えて集めた五百を超える鉄砲が用意されており、その斉射によって寄せ集めであった敵は瞬く間に崩れていった。


 更級は弓を携えて、夫の手を引っ張っぱり弓衆のところへ移動すると、そこで敵に向かって何度も矢を放っていた。

「近くにいないと守れませんから」ということらしい。


 阿閉貞征は声をあげて攻め立てよと指示していたが、城から五百の兵を率いて鹿之介が逆襲に転じると、支えることができずに撤退した。

 鹿之介は撤退する敵に追撃を続け、さらには撤退中に義兄上が兵を率いて突入してくるとどうする事もできず、阿閉親子、京極ともに討ち取られ、阿閉の山本山城も降伏した。


 山本山城にはそのまま義兄上が入り、降伏してきた兵を含めて四百ほどで守りを固める事となった。



 今長浜城では首実検も終わり兵たちに酒など振る舞って兵の疲れを癒やしている最中だ。

 戦のあと、無事叔父上も佐和山から戻り合流できた。

 佐和山の兵は百にも満たず戦力の補強には余りならなかったが、避難する城下のものたちも引き連れてきたので総勢千近くとなって戻ってきた。


 とりあえず佐和山から来たものの振り分けは後にして、全員を城へ入れて食事を提供した。

 丹羽への恩となったであろうし、羽柴の声望にもつながりそうで、兵はあまり増えなかったが満足している。


 父上に報告の文を出したあとは、夜と言うことで家族のところに戻っている。

 そこで更級に兵たちの前でした話の事で怒られている最中だ。


「どうして更級は巴御前の生まれ変わりゆえ、勝利は間違いないとか気の利いたことが言えないのですか」

 とのことらしい。

「しかし宇治川のこともあって巴御前は不吉ではないか」

 と反論したら、羽柴の巴御前は負けませんと不条理なことを言われてさらに怒られた。


 母上も、やっと落ち着いた柊様も微笑むばかりで助けてくれない、二人は更級に甘すぎる。

 周りを見渡すと、なかのお祖母様を見つけたので助けてと合図を送る。

「羽柴の男は嫁の尻に敷かれるくらいがちょうどええ」

 と言ってお祖母様も助けてくれなかった。


 それを見た更級に、助けを求めるとは男らしくありませぬとまた怒られた。

 もうあとは他の事でも考えながらとりあえず謝り倒すしかない。


 そう言えば京極高次を討ち取ったが、影響はないだろうかと考える

 軍功面ではほとんど何もしていないはずで、大きな影響はなさそうだと結論づける。

 まあ、父上や大殿に世話になりながらすぐさま明智付き、関ケ原でも家康に通じたんだ死んでも惜しくない。


「真剣さが足りませぬ」

 考えごとをしながら謝っているのが見破られた。

 高次などどうでもいい、ただ更級に許してもらうことだけを考えて、ひたすら謝った。

 相変わらず皆は微笑むばかりで、結局誰も助けてはくれなかった。

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