第二十一話 嫁取

 ついに1582年となった一月、十六となったことを期に元服を迎えた。

 主な家臣が中国攻めで留守にしていることもあり、山中鹿之介幸盛を烏帽子親として、父から秀を取り、信長様にいただいた餅は字を変えて羽柴秀持とした。


 父の藤吉郎を継いで、羽柴藤吉郎秀持としたいと大殿に願い出たところ『藤吉郎が増えるは敵わぬ。大宰大鑑に任じるゆえそう名乗るがよい』との返事が来たので藤吉郎の名を継ぐことは諦める事となった。

 こうして羽柴大宰大監秀持(はしばだざいたいげんひでもち)と名乗ることになり、大殿からは大鑑と縮めて呼ばれる事になる。


 さらにこのまま中国攻めに派遣されるのかと思っていたところ、甲州が不穏ゆえ城介(信忠)の許へ馳走するがよいとの命を受ける事になり、かつて予想した様に甲州征伐が初陣と決まった。



 岐阜へと向かう自分が率いる軍勢は、中国攻めにほとんどの兵を取られているため、領内で何とかかき集めた千二百程となっている。

 ただし、領内に国友村があるおかげで、鉄砲の数は五百と十分な数を揃えることができた。

 率いるのは名目上自分になっているが、実際は軍監に任じている鹿之介殿に任すこととなるだろう。

 初陣の自分にとっては中国で勇名を馳せた鹿之介がいることは非常に心強い。


 初陣に際して、師匠から祝いとして門人の一人である陽庵笑円(ようあんしょうえん)をつけてくれた。

 彼は京で生まれ、そこで仏門に入り、師匠の元で学びたいと幼くして単身美濃へ向かい門人となった青年で、歳は二十を超えたばかりだが師匠の門人の中でも学識が高いことで知られていた。

 当然幼い頃より何度も顔を合わせていて気心も知れているためこちらも心強い、右筆としてこの戦にも付いてきてもらっている。


 ただ、恐ろしいことに彼は日記を趣味としており、何か失敗をすれば日記の題材になりそうでその点だけは不安が残る。

〈なお彼の残した日記は陽庵記として後世に残り、秀持の様子は克明に後世に伝わることとなる〉

 さらに柊様からは、ともに甲州征伐に赴くこととなる森勝蔵様改め武蔵守様への文も預かっており、こちらも非常に心強い。



 岐阜に着いて出迎えてくれたのは森武蔵守長可だった。

「おお。餅丸よう来た、そう言えばもう餅丸でなくなったのか。まあよい本当によう来た」

 久しぶりに森様に会うと懐かしさが込み上げてくる。

「お久しゅうございます。柊様より武蔵守様への書状預かっております」

 そういって預かった書状をわたす。


「相変わらずよの姉上は、餅丸は中身は知らぬよな。おまえは死んでもいいから餅丸を守れと書いてあるわ。死んだら大泣きするのは姉上であろうに、まあよいわしにとっては弟のようなものじゃ守ってやるゆえ安心せい」

 本当に相変わらずの姉弟の関係にも笑みが溢れる。

「はい。頼りにいたします兄上」

 それを聞いて少し照れた様子を見せながら、声は不機嫌を装っている。

「生意気になりよって、まずは上様に参上の報告じゃ。その後は姉上やねね殿の様子など存分に聞かせてくれ」

 そう言った森様に連れられて、信忠様への挨拶に向かった。

「おおそちが筑前の子か、援軍心強く思うぞ」

 上様も自分を歓迎してくれている。

 初陣の緊張が少しではあるが薄れ、この様な恵まれた初陣を送れる様にしてくれた勝蔵様には感謝しかなかった。



 甲州征伐での織田軍はまさに破竹の勢いと言ってよかった。

 織田への降伏が相次ぎ、唯一激闘となった高遠城攻めでは、森の者たちとともに三の丸の屋根に上って鉄砲での射撃に加わり、さらには本丸まで攻め込んだ。

 流石に自ら槍を持って戦うことはなかったが、勝蔵様と山中鹿之介殿は獅子奮迅の働きで、その様子を間近で見ていた。


 信濃を制した上様は、大殿の慎重に進むようにとの制止を無視し甲斐に攻め込み、天目山にて勝頼親子を自害に追い込んで瞬く間に武田を滅亡させてしまった。

 大殿は未だ美濃にいる、それほどの早業だった。


 そして今羽柴軍は、上野の岩櫃城へ向かっている。

 上様より、織田に降った真田昌幸の城である岩櫃城を接収するように命を受けたためだ。

 そして岩櫃城に着くと城の近くまで兵を進める。

 真田昌幸殿より城を織田に明け渡すようにとの知らせは先に送られているので、弓を射掛けられるようなことはない。


 口上を述べるために城に近づき、ふと城を見たところ甲冑姿の娘が目に入った。

 その瞬間、整った顔に意志の強そうな目をした彼女に目を奪われた。

 黒髪を邪魔にならぬよう一つに束ね、弓矢を手にした彼女が戦場に舞い降りた天女に見えた。

 母上やまつの母上、柊様などに育てられた自分は強いおなごに弱いのだと思った。完全な一目惚れだった。


 自分が固まっているのに気がついた鹿之介が、口上をと声をかける。

 慌てて口上を口にする。

「織田家家臣羽柴筑前が嫡子、羽柴大宰大鑑でございまする。織田三位中将が命にて、嫁をいただきに参った」

 言い間違いに気づいて時間が止まる。城の兵たちも率いている兵も呆気にとられている。

 恥ずかしさで顔が赤くなり、あれほど目を奪われた娘を見ることができなくなった。


 これが後に『秀持の嫁取り』と言われるものの一部始終で、当然彼の右筆の日記にも克明に記録されている。



 秀持に前代未聞の婚姻の申し込みをされたのは、真田昌幸の次女更級であった。

 彼女の母、山手殿は京の下級公家の出身で、清華家の菊亭家で侍女をしていた。

 昌幸は真田幸隆の三男として生まれたので、家督を継ぐ立場にはなかったが、彼は武田信玄に才を見込まれる程の才気溢れる男だった。

 その為信玄が婚姻を気にかけて、信玄の妻三条の方の縁で、山手殿は昌幸に嫁いできたのであった。


 更級の名は古来より月や姥捨山と共に歌われる信濃の名所から取られた、京の公家出身の母らしい娘の名と言えるだろう。

 ただそのような名をつけられた関わらず娘は幼い頃より活発で、落ち着かせるために兄たちと共に勉学を始めさせると、すぐさま万葉集などかなぐり捨てて平家物語に夢中となった。

 特に女であるにも関わらず、戦で活躍する巴御前に自らを重ねて、憧れを持つようになった。


 そして巴御前が自分と同じ信濃の出身と知ると、いよいよ歯止めが効かなくなって「巴御前になる」と言うなり弓矢や薙刀、乗馬を始めて今では大の大人でも敵わぬほどの腕前となってしまった。

 最近ではひとつ上の兄源次郎と信濃を馬で駆け回り、領内では更級殿では誰も分からずに真田の巴様で通じる様になっている。

 齢十五にもなってこれでは嫁の貰い手がないと父の頭を悩ますそんな娘であった。



 信濃の諏訪に大殿が到着し、論功行賞が行われている。

 長年頭を悩ました武田を、世継ぎである上様がこれほど早く滅ぼしたとあって大殿は上機嫌だった。

 次々と家臣の名が呼ばれ、領土や太刀や茶器が与えられていく。


 最後に声が掛けられたのは自分だった。

 大殿は驚くほど上機嫌だ。

「初陣での失態はこのわしも幾度と見てきたが、城を所望するところ嫁を所望するとは、このような失態前代未聞である」

 大殿は笑みをたたえ、周りの者たちは嘲笑の色のない笑いを送る。


「織田の嫡子が羽柴の嫡子に甲州で嫁取り合戦に負けたと言われるは口惜しい限りであるが、前右府が婚儀許す安房守もよいな」

 信忠は武田信玄の娘松姫と婚約していたが、織田との関係悪化で婚儀は白紙となっていた。

 だが信忠は白紙となった後もこの約を破ることをよしとせず、未だ信忠に正室がいないのは松姫を正室にするためだというのは皆が知っていることであった。

 しかし甲州征伐では、松姫は信忠の許に来ることはなく、未婚のまま武田勝頼の娘を逃がすため北条へ落ち延びている。


 そして名を呼ばれた真田昌幸は、城を明け渡したら織田の重臣と血縁となるなど、考えもしなかった事もあって、今の立場にただただ混乱していた。

 しかし信長直々の言葉である「はっ」と答える以外になく、また混乱している昌幸にはそう答えるのが精一杯であった。

 昌幸が答えるとすぐに、娘の更級と息子の源次郎が連れてこられた。

 このことにも昌幸は驚いていたが、もはやなるようにしかならないと思い始めていた。


 昌幸も知らないことであったが、羽柴の嫡子の求婚を間近でみて、この後どのようになるか分からないと考えた昌幸の長子信幸が、人質として出すので送るようにと父から命じられた弟源次郎に加えて妹更級も同行させたのであった。


「何と美しい、城を忘れて所望したのも納得じゃ」

 甲冑姿から花嫁姿に着替えさせられ薄化粧を施された更級に感嘆の声があがる。

「花嫁の父より許可も得た、戦場での婚儀ゆえ肴はないが酒には困らぬ。ここにいる皆が媒酌人じゃ」

 信長がそういうと皆が沸き立つ。


「餅丸真田が人質羽柴に任す。それと母にもそちの嫁の晴れ姿を見せねばなるまい、城介に付き従わず長浜に戻るがよい。五郎左、皆の衆の代わりに媒酌人任す」

 そういうと一息入れて「わしからの祝いじゃ」と自らが持っていた短刀を渡された。

「さて、論功行賞はこれにて仕舞いじゃ。後は新たな夫婦と娘を取られた父を肴に大いに飲むがよい」

 その言葉に場が大いに湧いて、その後は皆から声をかけられた。


 散々に冷やかされ二人して顔を赤くする。

 何度もそのような光景が繰り返されて、恥ずかしさにも慣れ幸せを実感し始めた頃、誰かの声が場に響く。

「嫁に取られた花嫁も何か言ってやれ」

 場が一気に静まって、更級に皆の視線が集まった。

 そして少し考えて更級は言葉を発した。


「弓矢のことしか知らぬ娘で本当に良いのですか?」

 何も考えずとも言葉が出てきた。

「うん良い。わしは更級が良い」

 この日一番の歓声が場に響いた。

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