第二十話 兵站

 1580年、別所長治の自害を条件とした降伏を秀吉は受け入れ、遂に三木城は開城された。

 亡き竹中半兵衛が残した兵糧攻めの結果は、秀吉が想像していた以上の凄惨なものであった。

 完全に兵糧の尽きた城兵たちは、まさに餓鬼となって、空腹に耐えきれず自ら死を選んだものを喰らい、徹底抗戦を叫んだ将は餓鬼に殺されてその胃袋におさめられた。

 地獄絵図という言葉すら生ぬるい光景がそこには広がっていた。


「官兵衛よ凄まじいものよの、わしも若き頃食うに食えぬこともあったゆえ、食えぬ辛さは知っておるつもりであったが、食えぬとはここまでのものであったと今知った思いじゃ」

 秀吉は悲痛な表情で官兵衛に語りかける。

「私も有岡城にて地獄をみた思いをしておりましたが、また新たに地獄を知った思いでございます」

 官兵衛は荒木村重の反乱を説得すべく有岡城に向かったがそこで監禁されて、昨年十月の有岡城落城によって救い出されるまで、体を満足に動かすことが出来ない生活を送った黒田官兵衛孝高は、その影響で足が不自由になり杖をついていた。


「しかしこれで播磨も一段落じゃ。宇喜多も織田につき、先は明るかろう。とはいえ播磨も但馬も完全に織田になったわけでない。引き続き頼むぞ官兵衛」

 そういって秀吉は官兵衛の手を取る。

 官兵衛は強く握り返して、期待に答えることを誓った。

「はっ、力の限りつとめまする」

 こうしてこの年、官兵衛とともに戦に明け暮れて秀吉は播磨と但馬を手中に収めることに成功することになるのであった。



 秀吉は播磨と但馬の平定が終わると、次に因幡に向かい鳥取城に攻め込んで、山名豊国を降伏させて因幡平定の足がかりを作った上で姫路に戻ってきていた。

 そんな彼に家中粛清の報が入った。

 織田信長によって、重臣であった佐久間信盛、林秀貞、安藤守就といった者たちが追放されたのであった。


 八月に本願寺と和議を結び、石山より退去させてすぐの追放に、秀吉はただ単純に粛清が始まったかという感想だけを持った。

「大殿は信じたものに裏切られ過ぎた」

 信じたものが次々と自らの敵となり続けたこと、秀吉が思う粛清の原因はそれあった。

 浅井長政や荒木村重、そして足利義昭も大殿は信じたが裏切りを行った。

 それゆえに少しでも疑ってしまえば、信じ続けることなどできず、粛清の手は止まらぬだろう、織田の脅威になるものなど日の本に最早いない。


「次は修理亮かの」

 秀吉はあの髭面の顔を思い出した。

 彼は林秀貞と同じく、信長の弟信勝を担ぎ出して信長様に反抗し、弟を信長様に殺させた。

 内心気が気でないだろう、そしてそれゆえ功を立てねばと思い、上杉を滅ぼした後は自らが必要と示すために功を誇る。

 かつて彼にはへつらい者と言われたが、戦も政も十分以上の能力を持つ柴田ではあるがへつらいができない。

 必ず勘気を被り粛清されるだろう。


「へつらい者はへつらうわ」

 まずは於次丸を元服させて、それからの毛利の戦いでも常に大殿を立てねばならぬ。

 ふと、このような状況でも織田の中でどのように生きるかしか考えていない自分に気がつく。

 ああそうかわしは尾張からの臣じゃ、大殿が千にも満たぬ手勢で戦場を駆け回っていた頃から知っておる、へつらいはできても大殿に兵を向けるなどはできぬ。

 ただの思いつきだが、なぜか恐ろしく腑に落ちた。


 柴田も同じじゃ、そして追放された佐久間も林も同じであったであろう。

 残る丹羽と滝川も同じじゃろう、それにこの二人は政治的野心がない。

 粛清などせずとも、隠居せよと言われれば不満も持たずに隠居すらするであろう。

 ふと一人の男の顔が浮かんだ、あやつはどう思うのかのう。

 わしと同じく隠居なぞ考えられぬであろう、明智惟任日向守光秀は……



 翌1581年の二月、京にて盛大な馬揃えが行われた。

 丹羽長秀を先頭に、明智光秀、柴田勝家といった重臣たちを始め信長が支配する各地から配下が集められた。

 一門衆は信忠を先頭に、信雄、信孝といった信長の息子たちや信長の兄弟、縁者が参加した。

 さらには公家衆として摂家筆頭の近衛から近衛前久が参加するなど織田家の権力を見せつける壮大なものであった。


 中国攻めのために参加できなかった秀吉は、小姓出身で信長に近侍する長谷川秀一に参加できなかったことを悔やむ文を送っている。

 派手好きの秀吉にとってこれは本心であったが、一方で信長に伝わることを見越した生き残り策の一つでもあった。

 あの日から誰も分からぬほど自然に、秀吉と信長の関係は変わっていた。

 ほんの少し今までより信長を意識する。誰にも分からない様にそれが彼の生き残り策であった。

 


「官兵衛、鳥取城が寝返ったとはまことか」

 秀吉は死んだ半兵衛の代わりとして、参謀の役割となっている黒田官兵衛孝高に問うた。

「はい、配した山名中務大輔の配下のうち毛利に親しき者どもが共謀し、山名を追放した上で毛利に城代を請うておる様子にございます」

 秀吉は自らの決断を悔やむ。山名豊国程度では家臣を統制できなんだか。


「官兵衛策は」

「鳥取城は堅城、さらには毛利も良将を城に送りますゆえ昨年のようにはいきませぬ。兵糧攻めがよろしいかと」

「三木城が如く時間をかけては、大殿のご勘気を被るわ」

「昨年の鳥取城攻めにて戦をし、武具は万全ではありますまい。商人を使って米を高値で買えば、弓矢を揃えるため兵糧を吐き出しましょう」

「なるほどのう、ではわしは村々を攻めたて領民を城に向かわせるか。毛利よりの将であれば毛利を頼った他国の民は殺せまい」

「よき策と存じます」

 こうして城攻めの方針は決まった。

 秀吉は鳥取で新たな地獄を作り出すのであった。



 鳥取城内はまさに地獄となっているようであった。

 城は完全に包囲され、幾多の砦で囲まれている。

 毛利の援軍も来ているが、幾多の砦に囲まれた陣を見て手出しができずに睨み合う以上のことはできていない。


「かつて漢の高祖が小荷駄を差配したものを軍功第一としたと聞くが、その卓見思い知ったわ」

「それはわしも同感じゃが、わしは兄さにこのような戦をしてほしくはないわ」

「おおよ小一郎わしとてそうじゃ、だがの」

 小一郎にはわかっていた。兄が恐れているものから自らの大切なものを守るためにしているのだと。

「すまぬ兄さいつもの愚痴じゃ、愚痴は言うがわしゃあ兄さを死ぬまで支えるわ」

「すまぬのう」

「よいわ今さらじゃ、わしの命は兄さにつこうてやるから、兄さはいつもどおりわしに無理を言えばええんじゃ」

「小一郎すまぬ」

 これ以上兄弟の会話は続かなかった。

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