第十五話 誓い

 父上が、北近江を与えられ我々木下家改め羽柴家は、長浜へ引っ越すこととなった。

 丹羽様と柴田様から一字づつ頂き、羽柴である。


 この改名に伴って、あこ様の夫である孫兵衛様は、杉原孫兵衛から木下孫兵衛家定と改名し木下の名を継ぐことになった。

 杉原の名から木下に息子が改名したが、朝日様は杉原の名は兄の弥七郎(杉原家次)に任せますとあっけらかんとしたものだった。


 兄上、叔父上、そして自分は羽柴の名を名乗ることとなったが、叔母上であるとも様の家は、木下のままである。


 父上が、長浜に入り城を建てているが、当然すぐできるはずもなく、城ができるまでは屋敷での生活となる。

 少し待ったが羽柴家の面々が住む屋敷の準備が出来たとの文が来て、今は引っ越しの準備をしている最中だ。


 あこ様に男子が産まれ家族が増えたが、長浜に着けばまた家族が増える。

 当然のように、藤吉郎、小一郎兄弟の家と杉原の家が共に住むのは変わらないが、ついに中村のお祖母様も共に住むことを決心して長浜で合流の予定だ。

 さらにはおまつ様が妊娠しており、摩阿様が産まれているので次は豪様が生まれる、妹ができるのも近い。


 嬉しいことに師匠虎哉宗乙も羽柴家の長浜入りについてくれるようで、寺の門人十数名と共に近江に入る予定だ。

 しばらくは北近江にある同門の寺社に宿を求め、落ち着けば良き地にて開山するとのこと、父上の許しはすでに得ており父の援助もあるようだ。



 そういう忙しい日々を過ごしていると、あっと言う間に時間が経って、長浜の屋敷についてもなかなか落ち着けず、落ち着けたのはしばらく経ってからだった。

 父上が長浜を得てからこれまでの間、様々なことが起きた。


 政治的な事でいうと、昨年十一月には三好義継を攻めて自害させ、本願寺と和睦。これを見て反旗を翻していた松永久秀は織田に降伏を申し出た。

 今年に入ってからも、本願寺の和睦を認めず抵抗を続ける伊勢長島へ三度目の攻撃を行っている。

 叔父上は今この戦に参加している。


 そして、身の回りで起きたこととしては、中村のお祖母様が同居することとなったのだが、一人で来ると考えていた父上たちの予想に反して中村のお祖母様は自分の縁を総動員して多くの者を引き連れてやってきたのであった。


 お祖母様の縁者の、小出や青木、福島、加藤といった面々を連れてきたことは父上とってこれ以上ない土産であった。

 領土を得て急拡大した羽柴家にとって、信頼できる家臣が喉から手が出るほど欲しい。

 父上は大喜びで、すぐさま彼らを家臣として雇っていった。


 福島市松(正則)や加藤虎之助(清正)、青木勘兵衛(一矩)を始めとするまだ幼い面々は、父上の小姓として働く傍ら、師匠のもとで共に机を並べ勉学に励んでいる。

 子ども好きな母上は、父上の小姓として親元を離れ働く彼らを我が子のようにかわいがり、小姓たちの第二の母のような存在になっている。


 それでもまだまだ家臣の足りない羽柴家は、近江での人材確保も並行して行っており、石田佐吉(三成)石田弥三郎(正澄)兄弟や加藤孫六(嘉明)、片桐助作(且元)といった若い者たちが市松達と同じく小姓として父上に仕え、共に師匠のもとで机を並べている。


 そんな羽柴家に父から大きな爆弾が落とされたのは、1574年二月のことだった。



 そこにいる者たちの多くは怒りをにじませていた。

 参加しているのは父上と叔父上、なかのお祖母様に朝日様、母上に柊様にあこ様といった面々だった。

 ちなみに自分は参加していない。そのため後から聞いた話となる。


 父上が長浜の城主となったことから奥も必要になるゆえ側室を持ちたいと言ったのが始まりだった。


 その言葉を聞いた瞬間、なかのお祖母様は父上に飛びかかると

「このクソたわけが、ねねさという立派な嫁がありながら側室をもとうなど、このこのクソたわけ」

 といって何度も打擲する。


「おっかあ痛えわ、織田家重臣の妻としてねねも仕事が増えて行くわ、奥も必要になろうが」

「それとおみゃが側室を持つのとなんの関係があるんじゃ藤吉郎、ねねさの仕事が増えるのはわかったわ、そいで奥が必要になるんもわかるわ。側室は関係なかろうが」なかの打擲は収まらない。

「奥があるのに側室がおらぬでは格好がつかん。おっかあ許してくれや」


「このクソたわけでは、話にならん小一郎おみゃがおりながら何たるざまじゃ、おみゃからもクソたわけに言ってやれ」

「それがのおっかあ、ここで浅井の前に殿様しよった京極のな縁者の娘を側室にという話を、兄さが京極の家とつけてきてしもうてな今更断われんのじゃ」

 一同は言葉を失った。


「勝手にすればいいわ藤吉郎、じゃがのわしの娘はともと、旭と、ねねさだけじゃ」

 そういって部屋を出ていった。

 母上がなかのお祖母様を追って部屋を出たのを合図に自然と皆が席を立ち、奥の設置と側室を置くことが後味悪く決まった。


 なかのお祖母様が、母上に何度も何度も涙を流して謝ったことは後に知った。



 そのように決まった奥の設置だが、決まったからには人を集める必要がある。


 母上付きの女中として、作法や古典に詳しいものたちを手を尽くして探すことになった。

 そうなれば当然この時代、寺社をあたることになり、その中で旧蒲生家臣の父を持ち、父の戦死に伴って尼となった孝蔵主という女性を迎えることとなった。


 また、旧浅井家臣の夫が戦死し、幼い息子と二人の娘を連れて路頭に迷っていた東という名の女性が、旧浅井家臣の中で賢母として名高かったことから仕えることとなった。


 このことを聞いて何やら思い出した朝日様が、東様と話をしたところなんと、朝日様の祖父の妹が東様の夫の祖父に嫁いでいたことが分かり、縁者であったことが判明した。


 こうして東殿とその娘である、徳と小屋の二人は母上付きの侍女に、息子の大谷紀之介は父上の小姓としてともに机を並べることとなった。



 それを思いついたのは、福島市松だったらしい。

 先日、たまたま師匠のもとで三国志平話を学んだ彼は、桃園の誓いにいたく感激していた。


 母上が元気がないことにも幼いながら気がついて何か勇気づけることできないかとも考えたようだ。

 福島市松は密かに小姓たちを集めてこういった。


「皆に集まってもろうたのは、ねねのかかさまのことじゃ、皆も知っておろうが昨今ことのほか元気のないご様子じゃ、わしゃあ頭を抱えて考えておったが、どうすればいいかわからんかった。でな宗乙坊のところで学んでいる時ひらめいたんじゃ、これをみれば元気になろう」


 皆が一枚の紙を見る。そこには正則が書いたと思われるあまり上手くない文字の起請文があった。

『我らは、桃園に習って共に兄弟と思い餅丸様に死するまで忠義を尽くすことを神仏に誓う』

 と書かれ福島市松の名の下に血判がされていた。


「なんじゃこれは」

 自信満々に出したものを石田佐吉にそう言われ市松は怒鳴る。

「何か文句があるか佐吉」

「おおよ市松、何じゃこの文章は、神仏に出す起請文には書きかたというものがあるわ、それに字も汚い。じゃが内容にはなんの文句もない。誰ぞ筆と紙をもっておらぬか?」


 はじめは頭に血の上った市松であったが最後まで佐吉の言葉を聞くと少し照れくさそうに佐吉に言葉をかけた。

「いつもであれば何を賢しげにということろであるが、これからは兄弟じゃ勘弁してやるわ」


 するといつもは余り多くを言わない石田弥三郎が口を開いた。

「わしはこの中では年かさではあるが、せっかく神仏に誓うからには、後になって誰が兄かなどと揉めて仲違いしてもうては、ねね様にも餅丸様にも申し訳がたたん。大功を運良く上げて出世するものも出世に縁遠きものも出てこよう、家格の違いや、歳や功の大小の区別なくただただ兄弟のように力を合わせて忠義に励む。このようにしたいがどうかのう」


 誰からも反対の声は出なかった。

 こうして起請文が作られ、名と血判が次々に増えていった。

 そして、ねねと餅丸に渡すための、証文も作られた。

 内容は起請文を起こして虎哉宗乙に託すことと、その内容、賛同したものの名が書かれていた。



 佐吉に呼び止められたのは、師匠のもとでの勉学を終え屋敷に戻る途中であった。

 周りには市松や作助といった腕に覚えのある小姓が、護衛をしていてたが、佐吉と共にきた者たちも含め突如平伏すると、佐吉は文を出して朗々と読み始めた。


 なぜこのようなことになったのか分からずに、佐吉が文を読んだ後に小姓たちに聞いてみると。

 母上に元気がないことを心配し勇気付ける方法がないのか考えていたこと。

 市松が小姓たち一丸となって息子に忠義を捧げると知ればきっと母上が喜んでくれると考えたこと。

 起請文を師匠に渡して、受け取った証に名と印をもらい急いで追いかけていたこと。

 などなど小姓たちは口々に教えてくれた、それを聞いて不覚にも涙を流しながら小姓たちに言葉をかける。


「この証文は自分の一生の宝とする。そしてここにある名は終生忘れん。母上にもすぐに皆で会い見せようぞ。しかし先程から銀杏の実の匂いが気になっておったが、皆の忠義で分からぬようになってしまったわ」

 そういって涙ながらに小姓を連れだって屋敷に戻っていった。


 母上も小姓たちの証文を見て涙を流したのは同じで、名の書かれた小姓たちを一人ひとり抱きしめた。


 これが後に『銀杏の誓い』と呼ばれることとなる一幕であった。

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