第十四話 滅亡

 八月八日小谷城の西にある山本山城主阿閉貞征が寝返ったとの報を受け、ついに機が熟したと判断した信長は小谷城攻めのため三万の兵を率いて近江へ侵攻した。


 時を同じくして、朝倉家にも阿閉貞征の寝返りを受けて浅井家より援軍の要請が来ていた。

 当主である朝倉義景は援軍を送るのを決意するが、重臣の中には兵の疲弊を理由に兵の捻出を断るものも出て、仕方なく当主自ら集められるだけの二万の兵で援軍に向かうこととなった。


 姉川より三年、幾度となく近江に出兵したが勝ちを得ることもなく徒労に終わっている。

 ただ少しの間、なんの関係もない浅井を生きながらせるために、なぜ兵を向けなければならぬのか。

 そのような雰囲気が重臣たちにはあったし、兵たちも益のない戦いと感じて士気は低くなっている。


 それでも朝倉の兵たちは当主の命に従って浅井の救援に向かい、小谷城防衛のために小谷城周辺に砦を築いていった。



 信長の目には朝倉の士気が低いとはっきりと映っていた。

 そして当主朝倉義景は決して闘志に溢れた人物ではなく、不利と見れば撤退を選ぶ人物だとも考えていた。


 義景も今、兵の士気が低いことを感じ取っているはずだ、あと一押すれば撤退を選ぶ。

 そうなれば散々に追撃して、朝倉を打ち破ることができるであろう。

 信長は諸将に決して好機を逃すでないと下知した。



 その日は大雨であった。

 そして信長は好機が到来したことを直感的に感じた。

 朝倉はこの様な日に攻めてくるなど思うていまい、もう一押をするなら今が機であるとそう思い兵に檄を飛ばす。


「朝倉を攻める。わしに続け」

 信長はすぐさま馬上の人となった。

 急な出陣で従う兵も少ないが、それでも信長には勝てるとの確信を持っている。

 彼が目指すは敵が築いた大嶽砦であった。


 信長の目論みどおり、攻撃されるなど全く考えていなかった朝倉にとっての奇襲となり大嶽砦は陥落。

 さらに信長は攻撃を緩めることなく、さらに一つ砦を落とし信長の考えた一押は成功した。



 信長の予想どおり、二つの砦が落ちたことを知った朝倉勢は撤退を開始する。

 それを見た信長はすぐに追撃を決定し、自ら指揮して攻撃に移った。

「たわけどもめが、好機を逃すでないというたのに動きが遅いわ」

 慌てて追撃に加わる諸将らに苛立ちを覚える。

 いまだ追撃戦は続いていた。近江から越前までの間、朝倉にとっては悪夢の撤退戦が始まった。



 朝倉の兵を散々に打ち破り追撃戦は終わった。

 雑兵の首は捨て置かれ信長の陣には次々と大将首が運ばれてきていた。

 それにも関わらず信長は怒りの表情であった。

 彼は居並ぶ諸将を前に彼らを面罵する。

「たわけどもめが、好機を逃すなと命じたのに、何たる有り様よ。これでは軍功帳にただ弾正の名のみを記さねばならん。後世に弾正が臣は何をしておったのかと物笑いの種になるわ」


 諸将たちは口々に信長に対して謝罪の言葉を述べたが、ただ佐久間信盛のみが信長の筆頭家臣としての立場からか信長へ涙を流し反論を行った。

「そのように申されましても、我々のような優秀な者ども簡単にはお持ちにはなれますまい」


「我々のような優秀なものと申したか右衛門」

 顔は朱に染まり、手は刀にかかっている。

 すぐさま諸将が取りなしてなんとか怒りは収まったものの、信長にとって許す事のできない行動をとったことは確かだった。

 この瞬間佐久間信盛の未来は決まったのかもしれなかった。



 近江から一乗谷城へ帰還した義景に付き従うものはいなくなっていた。

 手勢はわずか五百余りであり、馳せ参じる臣はどこにもいなかった。

 北の京と呼ばれた一乗谷は燃やされ一族の朝倉景鏡の勧めで大野へ移るが、そこで景鏡の裏切りにあい義景は自害した。

 越前は信長の手に落ち、朝倉は滅び、信長は小谷に向かった。



 朝倉の滅亡を知った小谷では、降伏をとの意見も出たが浅井長政によって一蹴された。


「織田との約定を破り攻撃したは我らじゃ、兄上は決して許しましまい。虜囚の辱めを受け斬首されるのであれば、小谷の城を枕にして死するを選ぶが武士の本懐であろう。また無理にこの備前に付き従うこともない。落ちたき物は城を落ちよ。これは兵とて同じじゃ落ちたいというものあれば落としてやれ」


 こうして浅井家の方針は決定され、間もおかず越前より織田勢が舞い戻ってきた。



 小谷に舞い戻った信長はすぐさま小谷への攻撃を命じた。

(落ちるものはいても内応をする者はおらぬかよき臣をもったな)

 そして誰にも聞こえない声でつぶやく。

「また弟を殺さねばならぬか」

 信長の眼前では織田の兵に攻められる小谷城が映っていた。



「半兵衛よ朝倉では殿の前でえりゃ失態を晒してもうたわ。浅井はわしらがずっと戦ってきたんじゃ。ええとこ見せて取り返さんといかんわ」

 藤吉郎は一気に捲し立てた。

「そう騒ぎたてずとも」

 半兵衛は苦笑いだ。

「これが騒がずにいられるか、小一郎も小六殿も何かにゃあか。木下の命運がかかっておるんじゃ」

「まあここでしょうな」

 半兵衛か小谷城の配置が書かれた地図に扇子で指し示す。

「京極丸かや」

 藤吉郎が聞く。

「はい、本丸と小丸に大将として浅井の当主と前当主が詰めております。ここを落とせば連絡は途絶え共に戦うことできず各個撃破できましょう」

 半兵衛はそう言って扇子で本丸と小丸を叩いた。



「父は死んだか」

「見事な最期でございました」

 京極丸が木下藤吉郎に落とされると、すぐさま小丸に攻めかかり小丸もまた落ちた。

 本丸が落ちるのも時間の問題だろう。

「市よ娘たちを連れて兄を頼れ、女ならば殺されはしまい」

「なぜそのようなことを、私も武士の娘でございます。浅井に嫁いだ時より浅井と共に果てる覚悟はできております」

「二度は言わん落ちよ。娘には母が必要であろう。それにわしに娘を殺させてくれるな」

 その言葉を聞いて、市は涙ながらに娘を連れて織田の陣へと向かっていった。


「うむそちがよい。万福丸任すうまく落としてくれ」

 信頼する近習に息子を託して浅井長政は立ち上がった。

「それでは行くか」

 そう言って長政は自らの命を断つために僅かな共を連れて歩き出した。



 信長の許へ市が来たのと浅井親子の首級が届いたのはほぼ同時であった。

 首級を持ってきたものより、浅井親子共に自害し見事な最期でありましたと伝えられると信長は「であるか」と応え、市の嗚咽が鳴り響いた。

 お市を何人かの小姓たちで下がらせると、諸将たちを集め戦後処理へ移っていく。

 丹羽長秀には若狭が藤吉郎には浅井の旧領北近江三郡が与えられた。

 藤吉郎が、また一つ飛躍した瞬間であった。

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