第十三話 終焉

 京の二条御所は、この世の春を謳歌しているようだった。

 昨年三方ヶ原で織田徳川連合軍を武田軍が破ったとの知らせを受けた時は、狂喜乱舞といったところであったし、その後も武田軍が進軍を続けているとの知らせを受けているので、足利義昭にとっては御所から世界を操っている神仏にでもなったような心持ちであった。


「筆を持て、堅田にて暹慶(せんけい)に命じて城を固めさせよ。余みずから武田、朝倉を始めとする忠義の士とともに逆臣織田を成敗してくれる」

 居並ぶ幕臣たちは、あっけにとられ何を言っているのかなかなか理解できなかった。


 そんな中素早く義昭の意図を察して、諫言する幕臣もいた。

「恐れながら申し上げます。信玄公弓矢強きといえどもいまだ三河の地でございまする。朝倉とて雪が溶けたばかりにて兵はなかなか動かせませぬ、またいまだ織田の軍勢健在にて勝敗定まらず、時期尚早でございまする」

 なんとか思いどどませようと、口を開いたが義昭は歯牙にもかけずに言葉を続けた。


「足利の家は武門の棟梁である。足利の名を得て以来、保元の乱にて勇を示し、鎌倉公方とともに平家を討ち滅ぼし、常に兵の先頭に立って敵を討ち滅ぼして征夷大将軍を賜った武家の家である。ひとたび立てば忠勇の士が集まり、武田、朝倉も忠心奮い立たせて逆臣討伐に一層励むわ」


 そのような家であれば、なぜ先の将軍が殺され、なぜ信長以外誰も上洛に協力しなかったのか。

 武田の甘言に乗って兵を挙げたところで何が変わるのだろうか、義昭の言葉は夢物語や妄想の類でしかないように諫言を行った幕臣には感じられた。


「逆臣を討つ準備をせよ、征夷大将軍の出陣じゃ」

 義昭は春の夢を見ているようであった。



 義昭の挙兵はすぐさま、信長に知らせられた。

 知らせを聞いた信長は全く信じられないという思いでしかなかった。


 彼の政治感覚としては、いまだ織田と武田どちらが勝つか分からない状態で旗幟を鮮明にするのは愚かな行為であったし、どこかに上洛を助けたのは織田のみであるぞという思いもあった。


「まあ信玄坊主からすれば少しでも西に兵を向けさすことができれば儲けものといったところであろうな」

 わしが武田ならばわしもそうするなと思った。


「とはいえ今は動けん」

 今は武田の西上に備えて尾張と美濃に兵を貼り付けておく必要があるからだ。

「今できるは近江のものどもで堅田を叩かせるのと、足利との和平交渉じゃな」

 そういいながら信長は一枚の知らせを読む。


「しかし二条の公方はこれを知っておるのかのう、まあ武田は必死に隠しておろうから知らぬよのう」

 そこには武田信玄が病を得て療養中であることが書かれていた。



 信長は武田軍が信濃方面に撤退しつつありとの知らせを受けると、己の天運と信玄が死にむかいつつあることを確信した。

「武田のこと、特に信玄公の周りを徹底的に調べ上げ、細きことであろうとも知らせるよう指示せよ」

 すぐさま近習を呼んでそう命じると、また違う近習をに命を出す。

「出陣の用意じゃ兵を集めよ」

 この日将軍討伐が決定した。



 信長が京へ向かい兵を進めている間にも、信玄の容態は信長に伝わり続けていた。

(かなり容態は悪いようじゃの、生死はどうなるか分からぬが少なくとも数年はまともに武田は動けまい)

「あそこに見えるは誰の兵ぞ」

「細川・荒木が旗印にて殿の供を願っております」

 荒木村重と細川藤孝の合流を願い信長を出迎えていた。

 細川藤孝は足利義昭を興福寺より脱出させ、ともに朝倉で過ごし、信長と義昭を結びつけた義昭の股肱の臣であった。


「聞いたか皆のもの、足利の忠臣までもが公方が愚挙に愛想をつかしこのわしに忠誠を誓っておるぞ」

 その声に応え兵たちは一斉に鬨の声を上げると、荒木と細川の兵を合流させて京への道を進んでいった。

 

 京についた信長は、上京への焼き討ちを指示して、義昭に武威を示すと和平交渉を行った。

 義昭は眼の前で起きた上京での殺戮劇に恐怖しており、朝廷からの和平案がしめされるとすぐにそれに従った。

 上京を焼かれた京雀たちは、焼き討ちを見て意気消沈し、すぐさま和平を行った将軍を嘲笑った。

 そこには足利家の武威など欠片も存在しなかった。



 和平を受けて日にちが経ち、上京焼き討ちの衝撃が薄れていくと、足利義昭は再び信長討伐の兵を挙げるべく積極的に動き始めていた。

 将軍が手も無く破れたことも、将軍を助けるものがいなかったことも、将軍であることを唯一の拠り所にしている彼には認めることができなかった。

 それゆえの行動だった。


 このことは当然信長も把握しており、把握した上で放置していた。

 この頃になると、武田信玄の死は信長の知るところとなっており、義昭が自分に従わない者どもを集めてくれるのであればそれはそれで良いとすら考えていた。

 信玄のいなくなった今、権威を失い続けている義昭の行動は全く脅威でなくなっている。


 そうであるから義昭の再挙兵をきいた時の信長の言葉は短いものだった。

「であるか、なれば兵を集めよ」

 ただそれだけであった。



 信長は義昭の籠もる、槇島城を攻めていた。

 三千程の兵が城にはいたが、渡河を許し城に攻めかかられると一日も持たずすぐさま降伏した。

 織田の雑兵どもは、ひと当てされただけで降る者が武家の棟梁とはと義昭を笑っている。


 義昭は信長の前に連れられたが、信長は全く興味を示さず、藤吉郎に命じて義昭の義弟三好義継の許に送れとだけ伝えた。

 義昭を京からの追放処分とすること、義昭の嫡男を人質に取ること、それが信長の義昭に対する処罰であり、処罰を決めたあとは義昭のことを考えるのが億劫になっている。


 信長はどこか虚しさを感じていた、義昭に興味を示さなかったのもそのせいだった。

 信長がともに天下を動かしていこうと考えた男は、ただただ暗愚を示し続けた。

 信長の力で将軍になった男は、信長を理解しようともせず、天下をかき乱しただけであった。

 義昭に対する何もかもは、信長の中で急速になくなっていった。


 今信長が考えていることは、武田信玄が死に、足利義昭が去った今、信長包囲網などもう幻に過ぎないものとなった。それだけであった。

 潮目が変わったことを信長は感じていた。

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