第十二話 約定

 1572年も年の瀬、美濃での話題といえば武士町人問わず武田信玄一色といったところだ。

 信玄は十月ついに上洛を決意し出陣、美濃の岩村城が寝返り、さらには聞こえてくるのは徳川勢敗戦の噂ばかり、しかも相手があの武田信玄とあっては仕方ない。


 とはいえ、自分の日常は変わらない。

 師匠虎哉宗乙のもとに行って勉学するか、師匠が木下の屋敷に来て勉学するかだ。


 初めて師匠に会ったのは昨年の二月で、母上とともにあの書状を携えて訪問したのだが、書状を見て流石に固まり「何かの冗談ですかな?」と言ったきりしばらく何も言わなかった。


 後に師匠は、なぜこの様な書状があるのか分からなかった、家臣の子の事で織田様がこのような事でまでするとは偽書かとすら思った。と自分に話したものだ。

 一応そうなった事情を話してはみたが、やはり納得できかねる様子であったので、母上たちも同じですとだけ伝えておいた。


 師匠に会って教育係になってもらった後に、母上と書状の礼に岐阜城を訪ねたが、やはり母上には甘いのか終始上機嫌の謁見だった。

「ねねよう来た、おおこれが餅丸か大きくなったのう。母の言う事を聞いておるか?母の言葉はわしのの言葉と思うてきくのじゃぞ」

 と言った後は、茶は出るわ菓子は出るわ、思ってた信長像が粉々になるほど歓迎された。


「餅丸よ宗乙のもとでよく学んでおるか?」と声をかけられ緊張してたどたどしく答えたり、母上は問われて柊様の娘の話をしたりと和やかに謁見は進んでいった。

 さらに帰る段になると、「これを持っていけ」「おおこれも持っていくがよい」と大量の土産を持たされて、本当に礼をしにきたのかわからない程の荷物を抱えて帰ることとなった。


 そんなこともありつつ師匠との勉学が始まったのだが、これが思いの外楽しかった。

 まずは読み書きから始まったのだが、史記や論語といった中国の書物や、源氏物語や平家物語といった日本の書物を使っての学習となる。


 令和の一般人だった自分には名前は知っているが内容は知らないものばかりで新鮮だった。

 読み書きにしても、崩された字を読んだり書いたりするのが、新鮮で楽しかった。

 さらにこの師匠、知識が豊富で豆知識など挟んでくれるので退屈することもなく面白い。


 そのおかげで、勉学が嫌になることもなく日々師匠の教えを受けていた。



 師匠の教えを受けているようになってから今まで何があったかというと、まず柊様に男子が産まれた。


 産まれたのは昨年の十月で、つまりは師匠を探しに戻ってきた時の子のようだ。

 母柊、姉桐と木の名前であったことと、柊様が弟の勝蔵様の婚儀でおまつ様に感謝していたことから、松丸(しょうまる)と名付けられた。


 なお、この名前は母上、柊様、あこ様の、三者会議で決定され小一郎叔父は一切関与していない。

 すぐさま、三者会議を経て文が作成され、父上と叔父上へ送られた。


 返事もまた早く、父上からは喜びが伝わる文が届けられた。

『これほどの喜びどのように伝えればよいかわからぬ程で、小一郎などはわしに抱きつき兄上が日ノ本一の嫁を選んでくれたおかげじゃと言っておった。わしが皆に柊殿が大功に並ぶものを知っておるかと聞いてみても、智慧者の半兵衛すら口を閉ざした程じゃった』

 と送られてきて、父たちの様子が目に浮かぶようだと、母上たちは話していた。


 小一郎叔父からの文は、桐様が産まれた時と同じく、柊様以外誰も見ることなく、柊様の部屋で保管されている。

 そして1572年の一月、わずか三日ではあったが小一郎叔父が岐阜に戻り、一日中息子を抱く日々を過ごして、名残惜しそうに近江へと戻っていった。


 その後は岐阜では何事もない日々が続いていたが、十月になり変化が起きた。


 まずひとつは、父上の姉とも様の息子万丸が人質に出されることが決まったのだ。

 後に秀次と呼ばれることとなる一つ年下の彼がいなくなることは、最近師匠のもとで一緒に机を並べるようになっていたこともあり、非常に寂しく感じてしまった。


 送られる先が宮部継潤と聞いて個人的には安心はしたのだが、寂しいという気持ちに変わりなかった。

 父上の調略によって宮部継潤が浅井から寝返る保証として、万丸が選ばれたというのが原因だったが、これ程幼い子を使わずともと、思わずにはいられない。


 さらにいまだ幼い万丸が、人質に送られる様子が胸を痛めるものであったこともその思いに拍車をかけた。

 彼はまだ数えで五歳とあまりに幼く、なぜ自分が駕籠に乗っているのかなど分かってもおらず、母と離れることなど考えもせずに、無邪気に駕籠に乗るのを喜びながら人質になっていった。


 そして十月にはもう一つ、あのあこ様の妊娠が発覚したのである。


 夫が町人に産ませた男子を杉原の家で引き取ったもののあこ様はいまだ心の整理ができなかったのであろうか、養育は朝日様が中心となっていて、母上や柊様がそれに協力して育てているという状態であった。


 あこ様も正室として育てねばならぬという気持ちはあったが、簡単に積極的になれるわけもなく、手伝いはするが母上や柊様と比べると消極的なものとなっていた。

 そんな中、妊娠が発覚したのである。


 産まれて来るのが男子か女子かは分からないが、誰も口のはせずともこのままでは、将来引き取った子どもとあこ様の関係が悪くなるのではと危惧していただけに、これで正室としての自信を回復して転機になればと誰もが考えていた。



「餅丸聞いておるのか餅丸」

 師匠虎哉宗乙の叱責だった。

「今日は勉学に身が入っておらぬ。いかがしたのか?」

 叱責に正直に答える。


「申し訳ございませぬ松丸が産まれてきた時のこと思い出しておりました。また万丸が美濃から近江へ行った日のことや、あこ様の子のことも」

「勉学の途中に物思いにふけるは感心せぬが、それで何を思うたのじゃ」


「わたくしは、木下の家が笑うて暮らしていければと思うておりましたが難しいと」

「一族同士で争うこの末法の世では、なんとも難しいことじゃな。拙僧と餅丸殿を巡り会わせた織田様は弟を自ら殺し、母とは顔も会わせることもないと聞く。森様は幼くして父と兄と死に別れ、遺されたものの大きさに必死に戦こうておりまする」


「ではどうすればよいのですか?」

「お味方を作りませ、餅丸殿のしたいことを助けるものを、餅丸殿の願いは難しきことなれど、お味方がいればその願い少しは叶うこともありましょう」


 その言葉につい口を滑らせて、師に甘えてしまった。

「師匠はお味方になってくれますか?」

「分かり申した。拙僧でよければお味方となりましょう。されどまずは勉学にございまする。知っていれば知らぬより多くのことができまするゆえ」


 その答えを聞いた時は、勉学に向かわすための言葉であるな正直思っていた。

 しかし師匠はこの日の小さな童との約束を終生忘れることなく味方であり続け、今際の際に餅丸殿のお味方でいるという約定守れておりましたかと伝えるのだった。

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