第十一話 叡山

 岐阜での日々もそこそこに藤吉郎の許に戻ってきた小一郎は、藤吉郎に岐阜での出来事を報告していた。

 話を聞くときの藤吉郎は表情豊かで、驚いたり笑ったり感心したり、こういう兄さだから侍大将になれたのだと小一郎は思った。


「おまつ殿と勝蔵様には感謝の文を書かねばの、しっかし小一郎ようやった。流石は分からん時の小一郎じゃ」

「兄さなんじゃその分からん時のちゅうのは」

「今思うたんじゃがの、わしがどうすりゃええか分からんとか、めんどうで何からすりゃあええ分からんとなったら小一郎させるが一番じゃ」

「わしゃあ今、兄さの家臣やめとうなったわ、ほうじゃ柊に頼んで森家に仕えられんかのう」


「ハッハッハ、藤吉郎のとこを辞めても次は勝蔵殿か。一緒だわ小一郎が苦労するのは」

 蜂須賀正勝は大笑いしている。

「ふふふっ、ほんに小一郎殿は苦労に好かれておりますね」

 竹中半兵衛も笑っている。

「いつまでこんなのが続くのかのぅ」

 小一郎はきっと長いのだろうなと感じていた。



 昨年から攻め続けていた佐和山の城が二月末ついに降伏した。

 城主であった磯野員昌は、織田に臣従を誓い。丹羽長秀に佐和山城を明け渡す代わりに近江国内の琵琶湖西岸北部を与えられた。


 織田の本拠である美濃と近江の湖南を経て京を結ぶ、東山道を臨む佐和山が織田の手に落ちた意味は計り知れない。

 浅井攻めは藤吉郎が守る横山城を最前線としていたが、その後方に位置する兵站上の要地が佐和山城であるというだけでもその価値の大きさがわかるだろう。


 孤立した中でここまで持たせたのは、流石姉川の勇士磯野丹波と言ったところだが、援軍の望めぬ中これ以上籠城を続けることは不可能だったのであろう。

 藤吉郎は浅井の命運も尽きたかのと思いながら、佐和山城を後にした。



 藤吉郎は佐和山城攻めの後、横山城であいも変わらず浅井の抑えをしている。

 五月には一向衆と手を組み攻めてきたので、城から出て奇襲で撤退させた。


「しっかし一向は手強い。長島では殿でさえ全く手が出せず負けてしもうたわ、小六殿には悪いことをした」

 長島攻めの援軍を蜂須賀正勝の弟に任せて送ったが、討ち取られてしまっていた。


「しかし兄さ、こん前浅井と攻めてきたものどもは手応えなかったではないか」

「おおよ小一郎そうじゃのう、一向どもは戦もしたことない農民も多いゆえな」

「なら」

「わしゃあずっと織田の戦みてきて思うたわ、戦は金と数じゃとな、尾張の兵は弱いと笑われとった、何度も負けたわでも美濃に勝ったは織田じゃ」

「確かにそうかもしれませんな」

 半兵衛も同意した。


「一向の坊主どもは金をもっとる、兵は山程信徒がいるわ織田家と一緒よ強いわ」

 藤吉郎は一向衆こそが最も手強い敵と考えていた。

「殿はどうなさるのでしょうな」

 半兵衛は信長を最も知ると言っていい男に聞いてみたくなった。


「そりゃあ撫で斬りよ、殿は人を知っておる。益がなければ捨てられんこともな。どうしようもねえわ、殺すしか」

 藤吉郎は、人は利益があれば裏切ることができるが、今まで一向衆に金や信仰を捧げてきた者たちは何もなしでそれを捨てることなんてできないそう言った。

 しかし彼らが満足する利益を信長は提示などしないから、一向衆への協力を辞めさすには殺す以外ないとそう断言した。


「ほんにたわけよな」

 信仰に踊らされ死ぬことになるであろう農民たちを憐れに思って、藤吉郎は零した。

「ほいであやつらも」

 藤吉郎の眼は、琵琶湖の向こうを見ているようだった。



 八月織田信長は岐阜から軍を率いて出陣し近江へと向かった。

 彼はいつもの彼と同じく、誰に相談することもなく今回の出陣の目的を決めていた。

 近江に入り、近江国内の一向衆への攻撃を行いつつ西に向かった。

 当然のように有無を言わせぬ撫で斬りであった。


 付き従っている諸将も、どこに向かい何をしようとしているのか気づき始めていたが誰も意見などしなかった。


 ただこの間も交渉は続いていた。

 信長は彼らに朝倉や浅井に味方しないことを求めていた。

 彼らが今まで織田家に与えてきた不利益に比べれば甘すぎると言っていい条件だった。

 しかし彼らの返答は否であった。


 彼らにとっては、彼らが決めることに口を挟まれることなどあってはならぬことだったからだ。

 そして遂に信長は決意し諸将が集められた。



 居並ぶ諸将は信長の口からどのような言葉が発せられるかそれだけに注目していた。

「叡山は織田の敵となるを決めた。ことごとく焼き払え、目に見えるものは高僧悪僧老若男女の区別なく首を刎ねよ」


 諸将は息を飲むが、反対するものなどいない。

 彼らの中で信長は絶対であったし、叡山の僧が国家鎮護という立場に増長し、これまで何をしてきたか知らぬ者などいなかったからだ。


「これより織田に敵対する輩からは仏敵と呼ばれよう、されど真に仏を貶めておるのは誰じゃ十兵衛」

「国家鎮護を任されながら、淫を貪り、学を怠り、金銀に溺れ、不法を働く者共にございまする」

「権六どうじゃ」

「仏を語り何も知らぬ民草を騙す者共でござります。叡山も一向衆どもも仏を語りて仏を貶める仏敵でござる」

「であるか。なれば弾正が命は変わらぬ。ことごとく焼き払い、ことごとく殺せ」


 比叡山焼き討ちが始まった。



 京の鬼門を守り、伝教大師最澄以来 八百年に迫ろうかという歴史を持つ比叡山延暦寺は、灰燼に期した。


 いるはずのない女は、甘い香りのする体全体で悪僧を罵ったが首をはねられた。

 捕らえられた悪僧たちは神仏の祟りを口にしたが、神仏は先に彼らを滅ぼすことにしたようだった。

 ある高僧は自らの不徳を恥じる言葉を口にして、伝教大師に詫びていたがそれを言い終わる前に二度と詫びることができなくなった。


 信長が灰となった叡山をみて言った言葉は

「十兵衛に坂本を与える」

 ただそれだけであった。

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