第十話 師匠

 様々なことのあった1570年も明けようかという師走の半ば、柊様は娘の桐殿を連れて実家へ戻っていた。


 小一郎叔父との仲が悪くなったわけでも、どこかの孫兵衛様のように子がばれて愛想を尽かされたのでもない。

 お世継ぎの森可隆様、当主森可成様と相次いで戦で亡くなられ、まだ元服も済んでいない勝蔵様が森家を継ぐこととなったからだ。


 これには柊様だけでなく、母上たちも心を痛めて、涙ながらに何でも言って欲しいと勝蔵様に伝えていた。

 一年も経たない間に、二人の肉親が亡くなった上に、若くして森家の頭領となる勝蔵様の気持ちは想像もできないが、できることであれば何でもしたいというのは母上だけでなく木下家の気持ちだった。



 年が明けても、父上は未だ浅井を攻めるため近江に張り付いていたが、朝倉との和議が成立したこともあり、なんとか小一郎叔父だけは帰ってくることができていた。


「わしも兄さも涙ながらに決死の覚悟を決めたというに、拍子抜けしてしもうての、後で小六殿にからかわれては、兄さと二人して顔を赤くするばかりじゃった」

 などと金ヶ崎の顛末を話してくれた。


 そんな木下家に森勝蔵様改め森勝蔵長可様が来たのは、小一郎叔父が帰ってきた次の日だった。



 勝蔵様を迎えたのは、小一郎叔父夫婦と母上と自分で、勝蔵様は深々と頭を下げて礼を述べた。

「葬儀の折は、木下家の面々に力添え頂き感謝の言葉もありませぬ」

 柊様は弟の成長を見て目に涙を浮かべている。


「つきましては、是非とも木下家と縁を結びたく。嫁を所望しに参った次第」

 あまりに突然の話しすぎて、全員の目が点になった。

「残念ながら一族のもので、おなごは桐様くらいでそれはあまりにも」

 母上が何とか答える。

 従兄弟同士の婚姻は珍しくないが、さすがに年が離れすぎている。


「ではやや殿でよい、まだお子は産まれておらぬと聞いておる」

「クソたわけが」

 あまりに酷い返答に柊様の拳骨が飛んだ。

「姉上いとうございまするぞ」

「たわけにやるは拳骨で十分じゃ、はよういね」

 母上も小一郎叔父も必死に柊様を宥めている。

 自分はこの様子を見て、流石鬼武蔵という感想しか出てこない。


「とりあえず、相談いたしますゆえ今日のところはご容赦を」

 母上がまたもやなんとか答える。

「色よい返事を待っておるぞ」

 嵐を置いて勝蔵様は意気揚々と帰っていった。



「小一郎様どういたしましょう」

 母上、小一郎叔父、柊様、朝日様の会議が行なわれる。自分はただ座っているだけだ。


「あのたわけにはほとほと愛想が尽きた。断ればよい」

 柊様はまだ怒りが収まっていない様子で機嫌も悪い。

「とはいえ、森家の当主が縁を望んでくれておるのはありがた、い、痛い」

 小一郎叔父は発言の途中で柊様につねられた。


「小一郎殿の言うとおり、有り難いことなれど、なにせよい娘がの」

 朝日様もよい案がないようだ。


「明日おまつ様にも相談してみます」

 母上がそういうと、それしかないかと反対意見も出ず会議は終わった。



 次の日母上は前田の屋敷に向かった。あいかわらず自分は付き添いである。

 おまつ様に母上が相談すると、おまつ様はひとしきり大笑いした後、なんともないように話しだした。


「では幸を勝蔵様にあげまする。前田家となら森家も問題ないでしょうし、年も十三で勝蔵様と釣り合いが取れましょう、どうしても木下家が良いと勝蔵様がいったなら、ねね様の養女にしてください。幸もねね様が母なら何もいいませぬ」

 とあまりに簡単に話を決めてしまった。


「そのように簡単おっしゃられては、又左衛門様にはよろしいのですか?」

「後で文で知らせれば良いのです。森家との縁組なら夫も文句はありません」

 なんだか前田家の力関係を見た気がした。


「そうだいいことを思いつきました。ねね様、先程幸を養女にと申しましたが、これから先、私と又左衛門に娘が何人か産まれて、ねね様に娘ができなかった場合一人もらってくれませんか?餅丸様は男子ゆえいつか戦に出られます。娘がいればねね様も気が休まりましょう」

 自分が産まれて消えるかもと考えていた養女豪姫があまりに突然に現れた。


「柊様を見て、娘がいれば良いなと思うたことがないとは言いませんが、そのような勿体無い」

「決まりましたね。ねね様と約束したと文に合わせて書いておきます。大丈夫です。わたし子を産むの得意みたいで、ねね様の娘も産んでみせます」

 その言葉に母と二人して、唖然としてしまった。


 二日続けて、勝蔵様とおまつ様の凄さを味わうことになるなんて考えてもいなかった。


 ちなみに、母上と柊様が森家に伺い事情を説明したところ、勝蔵様と幸様の婚儀はつつがなく行なわれることとなった。


 勝蔵様はお家でも重臣たちから相当絞られたらしく、木下家などと言うこともなく、森家と前田家の婚儀として行われた。



 勝蔵殿の活躍で切り出すことができていなかったが、小一郎叔父が帰ってきたのは目的があってのことだったようだ。


 叔父上が言うに、金ヶ崎で死ぬことを覚悟した父は、叔父上に我が子を立派に育てて欲しいと遺言したらしい。

 そして運良く生き延びると、父は立派に育てるために良い師が必要と考えて、師を探すのを小一郎に任せるために、美濃に送られたという事情を語った。


 つまり家康にとっての太原雪斎を探せというわけか。


「兄さはいつもいつも無理ばかり、そんなことわしに任されても誰一人心当たりなどあるわけないわ」

 本当に小一郎叔父は父上に苦労ばかりかけられている。


「やはりここは寺を頼るしか」

 母上の言葉だ。確かにこの時代の教育者としてはそれ以外に選択肢がないといっていい。


「わたくしども杉原の家は、妙心寺に頼っておりましたが、近頃はありがたいことに不幸もなく、先祖の供養は尾張の縁で事足りておりましたゆえ美濃のことはとんと」

 朝日様にも知恵がないようだ。


「森の家も妙心寺じゃ、わたくしは僧に詳しくはないが、森の家のものや勝蔵なら知ってるやもしれん。使いのものに言伝を頼んで、明日にでも話を聞いてみてはどうかの」

 誰もが心当たりなどないので、柊様の案に皆が賛同した。



 勝蔵様が、木下家に来たのは日も沈もうかという刻限であった。

「勝蔵様、急な頼みにも関わらずお越しいただきありがとうござります」

 母上が礼を述べる。


「勝蔵よう来たの。無理な頼みすまなんだ。このような事、だれも心当たりなくて藁にもすがる思いでの、まずはあがってゆるりと話を聞かせておくれ」

 数日前には愛想が尽きたと怒っていた柊様も、やはり勝蔵様がかわいいのか、もう言葉が優しくなっている。


 客間にあがった勝蔵様は柊様が出した菓子を頬張りながら自信満々に話しだした。

「餅丸よう聞けよ、わしのおすすめは虎哉宗乙殿じゃ。齢は四十を超えた頃でな。今は美濃の瑞雲院にて住職をしておる。かの快川紹喜にも師事した学識深い名僧じゃ」

 皆、快川紹喜という有名人が勝蔵様の口から出て驚いている。


「それで、今日は岐阜に出仕の日だったんだが、殿にお会いする機会があってな、ねね様と姉様に相談されて虎哉宗乙殿を紹介しようと思っていると話したらこれを頂いた」


 草書で書かれていて読めなかったが、要約すると虎哉宗乙を木下餅丸の教育係に任ずる。って書いてあるらしい。しかも天下布武の印付きだ。

 信長様が甘やかしている勝蔵様と母上が化学反応を起こしたらこうなるようだ。


 誰一人声を出せないまさに絶句である。勝蔵様だけが自慢気だ。

 こうして、勝蔵様の紹介で我が師虎哉宗乙との関係が始まることが、木下の家のもの全員が師匠の顔すら知らぬまま決まったのだ。

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