第九話 退口

 上洛を終え、昨年の伊勢攻めで北畠家に実子を養子として送り込み、伊勢のほどんどを支配下においた信長は次の目標を北陸に定めた。


 若狭の国司である武田家は、当主を越前の朝倉に人質に取られてからというもの朝倉に侵食されつつあった。

 この人質になっている武田家当主の元明の母は足利義晴の子で、義昭にとって甥にあたる人物であったので、義昭は救わなくてはならぬと考えていた。


 さらに朝倉家自体も再三の上洛要請を断り続けていることから、義昭と信長の政権にとっては朝倉家は許されざる存在となっていた。

 信長にとっても、義昭との関係は両者の主導権争いの結果、緊張を孕んだものとなっており、その緩和のためにも若狭攻めを成功させて義昭の機嫌を取っておきたかった。


 ただし、信長は越前への本格的な乱入は時期尚早とも考えており若狭を手中に収めて元明の開放を求め、越前を伺って朝倉の上洛を促すのがこの戦の目的だった。

 そのため、京を発した兵は援軍を含めても三万と織田家の本格的な侵攻から比べると少なく、近畿勢と徳川家に援軍を要請した以外は動員も控えられていた。


 その証拠に織田軍は明智や木下といった京を中心に活動している軍勢と柴田の兵を中心にしており、そこに摂津の池田勝正や大和の松永久秀を合わせ、徳川家からの援軍を加えただけで、本領と言える美濃や尾張の軍を動員していない。



 織田にとっては控えめな三万の軍勢といっても、小国若狭にとってはとてつもない大軍であり、金ヶ崎城東の天筒山城を難なく落城させ、金ヶ崎城を降伏させた織田軍は木目峠を超え越前を伺うべく進軍し峠を前に休止していた。


 そんな折に急使が陣へと駆け込んでくるなり、驚くべき報告をもたらした。

「浅井備前守、逆心との知らせこれあり、小谷より北上し挟撃の算段かと」

 信長は一瞬伝令が何を言っているのか理解できず、再度問い直してしばらくして声を出した。

「何のゆえあって備前守が逆心抱こうか、虚報であろう」

 信長は浅井長政が自分に槍を向けるなど、全く考えられないと思っていて、伝令からの報告を信じられずにいた。


 そんな信長に対して、浅井の動きに疑問を持っていた松永久秀が言葉を発する。

「殿の妹婿でありながら逆心抱くなど鬼畜の所業にて虚報との御言葉もっともでござる。されどもここで挟撃されれば全滅は必至、越前を伺うことなどいつでもでき申す。まずは金ヶ崎まで下がり、浅井の心底図るべきかと」

 居並ぶ将たちも異存ないようで、賛成の言葉が場を支配する。


「であるか弾正。ひとまず金ヶ崎までさがり、備前守の合力を得て越前を平らげてくれるわ」

 そういって、金ヶ崎まで下がった織田軍であるが、次々ともたらされる続報は浅井の裏切りを示すものばかりであった。

「是非もなしか、弾正共をせい、京まで下がる撤退じゃ、筑後守(池田勝正)、十兵衛、藤吉郎、殿を任す」

 そう言うと信長は馬上の人となった。



 小谷城の天守、琵琶湖の見える場所に浅井長政はいた。

 決して兄が嫌いという訳ではなかった。織田より嫁いできた妻も好いていた。

 最初は小さなことであった。織田家の上洛に協力し織田家が領土を得ても、浅井の領土が増えないことに重臣たちが不満を持った。


 織田が伊勢を攻め、さらに領土を得てもそれは変わらなかった。

 徳川が今川を滅ぼし遠江を得ると、徳川にまで風下におかれるのではとさらに動揺し、父を担ぎ出そうという者たちまで現れだした。

 兄上は自分に対して、浅井に対する構想を語っていたが、書状もない談笑程度の物で説得の材料となるものではとてもなかった。


 そして、織田家が若狭攻めを決め助力を浅井に求めなかった時、重臣たちは浅井の未来を確信した。

 四方を織田が囲み、浅井は何も得ることなくただ織田の将として働くのだと。

 そんな折に足利より文が届いた。

 重臣たちに担がれ地位を得た長政に止める術などなかった。


 こうして出陣しなかったことだけが長政の反抗だった。



「殿かぁ、半兵衛殿わしもここまでかね」

 藤吉郎は努めて明るく聞いた。

「敵が本気ならそうですな」

 半兵衛はこともなげに答える。

「ほいじゃあ、遺言じゃ小一郎、百ほど与えるゆえ落ちよ」

「兄さ、こげなときにふざけるな。わしとて屍くらい晒して見せるわ」

兄とともにここまで来たのだ、死ぬのもともにとずっと思っていたし、それは兄も同じと信じていた。


「餅とねねを頼むわ小一郎、こんなこと頼めるのそち以外におらんのじゃ。餅が大きいなったらそちと柊殿の姫を餅と夫婦にして、立派に育ててくれんかのぅ、頼むわ小一郎」

「兄さ、でもわしも戦うぞ兄さ、ほいでどうにもならんようになったら言ってくれや、何があっても落ちて餅を支えるわ、だから兄さと戦わせてくれや」

 小一郎は必死に兄に訴えて、何とかこの逆境の中兄の力になろうとしていた。


「話の途中で悪いが朝倉が来たぞ藤吉郎。撤退する者たちは鉄砲ばかりおいていったが、逃げるに邪魔ゆえ全部朝倉に馳走してよいよな藤吉郎」

 蜂須賀正勝が死ぬのをなんとも思っていない顔で笑いながら聞いてきた。

「おおよ、小六殿存分に馳走してやれ。半兵衛殿兵を引く機を見るのは任せる」

 鉄砲の大きな音が響き、朝倉の兵が倒れる。


「藤吉郎殿小一郎殿、ようござりましたな。朝倉は宗滴殿の薫陶を忘れた糞たわけどもの集まりのようですぞ。我らを殺し尽くそうという気配が感じられませぬ。若狭を取り戻し、半端に勝てば満足の様子。藤吉郎殿、金や兵糧残しておけばさらに足は止まりましょう、筑後守殿と十兵衛殿に話を」

 信頼する半兵衛にそう言われ、今までのことが気恥ずかしくなった藤吉郎は、一時蜂須賀正勝に指揮を任せ、明智池田両名のところに向かった。



「藤吉郎殿、半兵衛殿の見立てもそうであったか、わしも勢いがないと思うておったところじゃ。金の件もわるくない。ともに筑後守殿の元に参ろうぞ」

 明智殿も同じ意見であったようで、さらに明智殿とともに参った池田殿も反対することなく、すんなりと殿軍首脳部の意見は一致した。


 金ヶ崎城を引き払ってからも半兵衛殿の見立て通り追撃は緩く、浅井の軍勢もそれにつられてか追撃はしなかった。

 さらに松永殿が退却経路の朽木を説得してくれていたおかげで、初めの悲壮な覚悟が何だったのかという程順調に、大きな被害を出すこともなく京へ帰還することができた。



 京の二条御所にいる将軍足利義昭のもとに此度の朝倉攻めの顛末が知らされた。

 足利義昭にとって、巨大な力を背景に何かと言ってくる信長は邪魔な存在となっていたが、手を出せない存在でもあった。


 しかし、此度の朝倉攻めで綻びが見えた。

 義昭には、京を得て転がり落ちていった木曽義仲を始めとする者たちと信長が重なって見えていた。

 彼はそれを確実にするため、文をしたためる。


 それらは織田包囲網という形となって、織田信長をそして木下秀吉を苦しめることになるのであった。

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