第七話 上洛

 1568年九月、岐阜城下では足利義昭を奉じて上洛に向かう織田軍を一目見ようと、黒山の人だかりとなっていた。


 織田軍はすでに二万に届くかという大軍勢で、さらにこれから増える予定となっている。

 同盟国である徳川からの援軍、信長の妹である市との縁組で同盟を結ぶこととなった北近江の浅井からの援軍、さらには兵を集めるのに戸惑ったりで未だ合流できていない家臣たちも徐々に集まってくるから京へ入る頃には六万に届いてもおかしくない大軍勢での上洛であった。


 南近江の六角と三好三人衆は未だ協力の意を示していないが、大和の松永久秀、さらには松永久秀と友好関係にある三好義継が上洛の支援を約束しており、上洛に向けての準備は十分に行われている。


 藤吉郎も二千五百の兵を率い、群衆の前で堂々の行軍を見せていた。

 藤吉郎の左右では、弟の小一郎と竹中半兵衛が馬を進め、一門の杉原家次(朝日殿の兄)や浅野長吉、木下弥助(姉ともの夫)などが続き、蜂須賀正勝などの尾張からの面々に仙石権兵衛秀久ら新たに加わった者たちも馬を進め、誇らしげな表情であった。

 金色に輝く千成瓢箪を掲げて進む軍勢には、稲葉山城を攻めた頃のみすぼらしい姿など残っていなかった。



 信長の軍勢が近江に入る頃には、妹婿の浅井長政も加わり軍勢はすでに五万を超えていた。

「兄上、六角とはやはり戦となりそうですな」

 全く屈託のない声で浅井長政は信長に話しかける。

「六角がこれ程たわけとは思わなんだわ」

 その雰囲気に、信長はつい本音を零してしまう。

「兄上の下知頂ければ、六角の首などすぐに御前に届けみせましょう」

 そう自信満々に答える姿を信長は愛らしく思う。


 浅井長政は若武者とはかくあるべしと思う姿を形にしたような雰囲気を持つ男で、信長はこの青年の爽やかな若武者っぷりを気に入っていた。

 浅井家は先代久政の頃には当時権勢を誇っていた六角の麾下に甘んじていたが、長政がそれを不満に思う重臣たちの支持を得て父から家督を奪い、六角を散々に打ち破って北近江に独自の勢力を打ち立てている。


「六角共は三好三人衆を頼りに観音寺城に籠もるようじゃ、うぬの兵にも攻め手に加わってもらうぞ」

「兄上お任せあれ」

 あいかわらず屈託のない声だった。



 信長の眼前には将が居並び彼の声を待っている。

「六角めは公方様への馳走をせず弓引きおったわ、十兵衛、如何にすればよいか」

 信長は、足利義昭と共に朝倉へ身を寄せ、上洛戦を期に信長に仕えることとなった明智十兵衛光秀に問うた。


「六角が公方様へ弓引いたとなれば、すなわち逆臣でござる。逆臣を上様自ら成敗し、公方様への忠誠を天下に示すべきと存じまする」

 それ以外にないとばかりに光秀は答える。


「よう言うた。物見が知らせるに六角めは、観音寺城とその支城合わせて一万程の兵で籠もるようじゃ、愛知川を渡ってすぐの和田山城を主力とし、六千程集めて上洛をせき止める算段とみえる、西美濃勢は和田山に向かい抑えよ」

 西美濃三人衆を中心とした西美濃勢は了承の言葉を返す。


「残りのものどもは箕作城へ向かう、権六と三左は観音寺方面に向かい余計な手出しができぬようにせよ。箕作城は堅城ゆえ六角めが最も頼りとしておろう、ここを落とせば崩れるわ」

 柴田権六勝家と森三左衛門可成は「ハッ」と答え、残りの者たちもそれに続いた。



 山城である箕作城への攻撃は織田軍の大軍勢を叩きつけるかのような苛烈なものであったが、小高い山全体が天然の要塞となって織田の軍勢を跳ね返し続けていた。

 藤吉郎の軍勢も攻め込んではみたが結果は同じであった。

 今もまた他の将に率いられた兵たちが攻め込んでいた。


「ほんに固いわ、全く落ちる気配がにゃぁが」

 藤吉郎は山城の硬さに感心していた。

「すぐに落ちますよ」

 竹中半兵衛はこともなげに言う。

「そいなもんかの、まあ半兵衛が言うならそうなんじゃろ、そいでわしゃなにすればよい?」

「ええすぐに落ちまする、ほれ今も敵将の声が聞こえましたな。元気ですな。それに大軍を見て城兵すべてが懸命に戦っておりまする。攻めるに良き将なれど、守るに愚将ですな」

「わしには良き将に聞こえるがのう」

 半兵衛が雑談を仕掛けてきたのかと思った藤吉郎の返事は、ただ相槌をうっただけものだった。


「あれほど将が懸命に戦えば誰も休めませぬ。今は将につられて戦えまするが、懸命なればこそ皆普段以上の力を出しておりまする。あのようにされてはすぐに疲れ果て誰も戦えなくなりましょう。敵を休ませず夜襲でもすれば城は落ちまする」

「なるほどのう、ではわしらは夜襲の準備をするか」

 半兵衛の見た通り、一日中攻撃され疲れ果てた兵たちは藤吉郎の夜襲に対応できず、その後も夜襲の成果を拡大すべく攻め続けられて、織田家の攻撃が始まった翌朝には箕作城は落城していた。



 信長の見た通り、箕作城が落城してから六角が崩れるのは早かった。

 わずか一日で堅城箕作城が落城したのを見て、上洛軍を止めるはずの和田山城は兵たちの脱走が相次ぎ戦うことなく落城。


 観音寺城の六角勢は、再起を図るべく甲賀へ逃亡した、不利と見るや甲賀で再起を図るのは六角の伝統だった。

 今回も甲賀で織田という嵐が過ぎ去るのを待つ算段なのであろう。

 六角の去った観音寺城は信長の手に落ちた。

 さらに、最後まで抵抗していた六角家家老の日野城主蒲生賢秀が、嫡子を人質に差出して信長に降ると、もはや上洛軍を阻むものは近江にはなくなった。


 京の三好三人衆も勝龍寺城にて岩成友通が戦うことなく開城すると、その後も信長は京を捨てた三好三人衆を追うように摂津方面へ兵を向け、三好三人衆を四国へと追い払った。


 こうして十月二十二日に義昭が内裏へ参内し、征夷大将軍に任命され、信長は上洛を成功させることとなる。

 そして二十八日、征夷大将軍の任官を見届け上洛を果たした信長は、役目を終えたとばかりに岐阜へと戻っていった。


 彼が岐阜をたってから二月もかかっていない。誰もが予想できなかった速度での上洛だった。

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