第六話 岐阜

 稲葉山城が落ち、岐阜と改められてから木下家の者たちは目が回るような忙しさだった。


 稲葉山城攻めで父上は大層な武功を上げたようで、朝日様の杉原の家は父上の家臣として、母上の養父である浅野家は与力として与えられた。

 その他にも竹中半兵衛として有名な竹中重治なども新たに与力として与えられ、父藤吉郎は織田家の一軍を率いる将としての役目を得たようであった。


 父上は意外に勉強家で、暇さえあれば竹中殿を呼び、軍学を学んでいる。

 竹中半兵衛様は、色が白く華奢な体をしており、おおよそ武士に見えない風貌をしている。

 声も高く中性的な顔をしていて、女とからかわれた逸話は本当であったのだろうと半兵衛様には悪いが納得してしまった。


 将としての役目を得てからというもの、父藤吉郎は以前にも増して忙しく駆け回っており、叔父の小一郎も兄のため少しでもよい配下を得ようと駆け回っていた。

 母ねねは岐阜への引っ越しの準備に追われ、一息ついた頃には年も明けていた。


 岐阜に移って変わったことといえば、父の出世に伴って屋敷が広くなり、何名かの家人を雇えるようになって母上が家事に追われる事がなくなった。

 その代わりに家臣の家との付き合いや、上様の家臣との付き合いが増えることになっているので、母上の負担はあまり変わってはいない。


 他の変化としては同じ敷地内に朝日様の杉原家が居を構えることとなったことが一番の変化と言えるかもしれない。

 これは母上の兄で杉原家世継ぎの杉原孫兵衛様(木下家定)が、戦の向きの性格でなく計算や書画が得意な文人肌の人物であったので、留守役として父上たちが出陣している間、屋敷を任されることとなったことから、常に母上の近くに居られるようにしたのだと思う。

 母上としても父上が戦に出ているときに、実母と兄が身近にいてくれることは心強いに違いない。

 自分としても朝日様には悪い感情がなかったので、素直に母上のことを思って喜んでいた。 


 一時期は朝日様に対してなぜ急に杉原家が木下の家と親しく接するようになったのであろうかと疑問を持っていた父上も、共に暮らすうちに居ることが当たり前になり、朝日様から杉原の母上様と呼び名も変わり、今では武家のしきたりなど相談することも多いみたいだ。


「藤吉郎殿がここまでなにも知らぬとは当家がこの先どうなっていくのか心配でならぬわ」と母上に朝日様が愚痴をこぼしたことに対して「母上様に木下家を当家と申していただき、ねねは嬉しゅうございます」と母上が返したところ顔を真っ赤にして自室に帰っていったと、母上は父上に嬉しそうに話していた。


 叔父小一郎も変わらず屋敷に住んでいる。

 もう妻を迎えて子ができていてもおかしくない年齢ではあったが、今まで妻を迎えていなかった。

 父上の無茶振りで忙しかったのもあるが、何より子のない父上と母上に遠慮していた部分があったようだ。


「餅丸も生まれてきたし、小一郎も嫁を迎えてもよいじゃろう」

 叔父上の遠慮を薄々感じていた父の、もう遠慮せんで良いじゃろうとの言葉を受けて小一郎叔父も観念したのだろう。

「ほうじゃのう。とはいっても嫁探しなぞ、わしゃどうしていいか分からんわ兄さに頼むわ」と恥ずかしそうに言ったという話を聞いたから、屋敷を離れる日も近いかも知れない。


 そしてあいかわらず、岐阜に移っても前田様のお屋敷は近いようで、小牧にいた頃と変わらない頻度でまつ様は屋敷にきてくれている。

 織田家が前の公方様の弟を奉じて上洛をするという話は広まっていて、そのために北近江の浅井長政にお市の方様が嫁ぐと言う話や、京ではどのような着物が流行っているといった話を、まつ様は母上やあこ様(木下家定妻)とよくしている。

 

 自身の変化としては、物に掴まれば立てるようになったこと、そして多少ではあるが喋れるようになった。

 ただしまだ、考えた事がうまく口から出るわけではなく、滑舌も悪いので、父上は「とうととしゃま」、母上は「ねえかかしゃま」、おまつ様は「まあかかしゃま」、小一郎叔父は「こいしゃま」、朝日様は「あしゃひしゃま」と呼んでいる。

 ちなみにやや様は「やや」と呼んでいる。つつかれ続けた恨み忘れてはいない。

 やや様は「やや姉様じゃ」とプンプンしているが、やや様は姉でなく叔母である。


 やや様といえば婚儀の日程も決まったようで、春には弥兵衛様とやや様との婚儀を行い、浅野家に婿入りさせた浅野弥兵衛の妻となる予定だ。

 結婚すればこれ程頻繁に来ることもできなくなるだろう。

 この様な叔母であっても来る頻度が少なくなると思えば、それはそれで寂しい気持ちにもなってしまう。


 やや様といえばもう一つ、信長様から送られた森可成様の餅であるが、父上も母上もおかげで武功が立てられたと森可成様に深く感謝して、その縁で少しづつ森家との交流が増えている。

 つまり、あの森武蔵守長可になる前の、やんちゃ盛り勝蔵君がやって来ては、やや様と手を携えて餅丸餅丸となるのである。

 勝蔵様は槍や弓の稽古などもあり頻発に来るわけではないが、密かにやや様と二人揃った日のことを恐怖の日と名付けている。

 やはり寂しい気持ちにはならないかもしれない。



 そして来月にはやや様の婚儀も控える二月、驚くべき話を聞くこととなった。

 森可成様の長女柊様と叔父小一郎の婚儀が決まったというのである。

 柊様は、勝蔵様より四つ年上で今年十五になるらしい。


 見たことはないが森蘭丸を産んだ森家の娘であれば容姿もよいであろうし、武家の娘としての教育も行き届いるに違いなく、小一郎叔父にとってはこれ以上ない相手だろう。

 木下家にとっても、前田家以外に織田家中で親しくしていた家もなかったから、森家との縁ができることは良縁に違いない。


 父上は小一郎叔父が結婚に前向きだと知ると、すぐさま森可成様に願い出て、最初は渋っていたところをなんとか説得すると、その足で信長様に目通りを願って許しを得たらしい。

 そして瞬く間にやや様の婚儀の翌月である四月に、婚儀を行うという日程まで決めてしまった。

 流石は豊臣秀吉といった手際のよさである。


 これで小一郎叔父が屋敷を離れて別れるのであろうかと寂しく思ったが、妻を迎えても今まで通り小一郎叔父は父の屋敷に住むことに決めたらしく、さらに一緒に住む家族が増えることになりそうだ。

 心配は木下の家ができたばかりの武家なので、森家との家風の違いに柊様がうまく馴染んでくれるかだけだ。


 この話を聞いて間もなく、北伊勢に父も森殿も出陣したので戦が長引けば延期となる可能性はあるが、森家との婚儀が行われることは変わらないだろう。

 自分の知る歴史では、森家と秀長の婚儀なんてなかったから、これ程早く歴史のずれが起きたことに驚いていた。


 ただ、改めて考えると自分の知る歴史も、何か新発見があれば覆るもので、不確かなことも多い。

 このあとも、多くの知っている歴史との違いに遭遇するであろうことに、早く気がつけてよかったと前向きに考えている。


 なにより家庭内の不幸が多かった秀吉の家が、これほど幸せになっているのを見ると、このままが続いて欲しいと思わずにはいられなかった。

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