第41話 イケメン先生
この一か月ほど、出始めたら止まらない咳に難儀していた。
仕事中、食事中、睡眠中、運転中、電車で移動中、それまで普通だったのに
突然発作のように出始める。そして1分以上咳き込んでしまう。
それ以外の症状、たとえば鼻水・鼻づまり、発熱、眼の痒み、喉の痛み、さむけなど風邪症状が全く無く、ある日を境に急にそんなことになったので、なにかの
花粉アレルギーデビューをしたのだろう、と考えていた。
いま飛んでいる花粉は、とググる。
ブタクサ
と真っ先に出て、スマホの画面を閉じる。なんだろう、この屈辱感。
スギもヒノキも全然大丈夫なのに、なんで「ブタ」で「クサ」に私は
負けているのだ。ブタクサをこよなく愛していらっしゃる方には申し訳ないが
「わたし、ブタクサアレルギーなんですよぅ」とどんなに可愛く言ったとて
同情票が少なそうではないか。
花粉かな、と思った要因のひとつは朝5時に咳き込んで起きるからだった。
あとは車を外気から内気にすることで少しマシになった気がしたのだ。
でも、花粉じゃないかも、と思った要因もいくつかあって、まずは先にも書いた
「急に出る」こと、階段の上り下りをしたあとはほぼ必ず出ること、わりと
ひどい雨の日でも変わらず咳き込むことなど、自分のなかでデータが揃ってきた
あたりで、ふと「肺の病気かもしれない」と思ったのだ。
咳が出ているあいだの苦しさ、これは外的要因ではないのかしれない。
あと、疑ったのは心疾患。亡くなった父が80歳の頃、急に咳をしだして呼吸が
ピューピュー鳴り始めて慌てて病院に連れて行ったことがある。
結果、心房細動の症状が進み、心臓の弁がうまく機能しなくなり、その結果(だったか記憶はあやふやだが)肺に水が溜まり、父の場合は入院後おしっこの管を自分で
引き抜いたことでそこからばい菌が入り、そのばい菌が全身を駆け巡り
一時生死をあやぶまれるほどの大手術をする羽目になったのだが、とにもかくにも
「咳」は侮れないと教えてくれた出来事で、それを思い出していた。
今は気道からピューピューもゼーゼーも聞こえないが、過去に喫煙歴があるので
途端に怖くなってきた。
夫・精六さんも「頼むから病院に行ってくれ」と懇願レベルになってきて
ついには駅前に新しくできた循環器内科の予約画面を開いて「〇月〇日(私は午後出勤の日だった)△時、予約取るぞ?・・・はい、取ったぞ」と、強制的病院送りを言い渡された。
その病院は建物こそ新しいが、実は30年以上前からある町のお医者さんだ。
数年前に院長だった父君がお亡くなりになり、移転する形で若先生が後を継がれた。
私の勤める薬局からは距離があるのと、それまでの道のりに何軒も薬局があるため
なかなか“飛んで”は来ないが(薬局スラングというわけではないだろうが近隣医院以外(遠ければ遠いほど)の処方箋は“処方箋が飛んできた”と言う)、
ウチの常連さんがそこの処方箋を持ってくることはある。
その方たちの話を聞く限り評判は上々で、特にみなさん仰るには
「イケメン先生よ~」ということであった。
田舎とは怖いもので、若けりゃイケメンで、若けりゃべっぴんさん、だ。
ルッキズムくそくらえ、である。
おばさん、おばあさん患者からすれば、賢くて細身で誠実そうな若先生は
「シュッとしてはるイケメン」なのだ。
私も十分おばさんと呼ばれる歳(幼児から見ればおばあさんかもしれない)なので
イケメン先生に会えるのをひっそり楽しみにしていた。
受診当日。なぜか調子がよく咳が出ない。実はやっぱり花粉症で昨日今日でピークを
過ぎて症状が治まったのかもしれない。嗚呼、イケメン先生に一目だけでも会いたかったな・・・とクヨクヨしていたら、無事に咳が出た。
私は小さい時からタイミングの悪い子で、病院に行くと熱が下がるし、咳も止まるし、でも帰宅すると吐くわ、うなされるわ、さっきまで無かった症状まで出てくる始末。一番ひどい症状で診てもらおうと家を出発しても「家がピーク」なのだ。
この歳なってまでそうなのかとがっかりしていたが、良かった。
イケメン先生!この一か月ほど咳が止まらないんです、アタシ。
新築の医院はどこもかしこもピカピカで、問診票も書けるカウンターバーのような一角はお洒落な黄色いランプが天井から降りてきていて、スタバさながらである。
最近の病院・医院は変わったなぁ、とつくづく思う。
事務さんも看護師さんも「感じ悪い人」がほとんどいない。独特の暗さも無い。
一緒に働けばまた話は別だろうが、少なくとも私が若い頃(小さい頃含め)行ってた
病院のスタッフというのは「感じ悪い人しかいない」巣窟であった。
あくまでも幼い頃の記憶としてだが、笑わない、めんどくさそう、いつも怒ってそう、怖そう、そんな人たちが全員白衣で働いている、それが医療機関というものだと思っていた。
それが近年、子宮頚がんや胃カメラや眩暈や様々な病院にお世話になる機会が増えて
考えを改めた。
ぱっと見、みんな優しそう。落ち着いて対応してくれる。セルフレジにマゴついててもめんどくさがらずに教えてくれる。
・・・そういえばウチの母の主治医が最近変わって、その病院は“昔ながら”だ。
みんな怖そうで、先生はいつも怒鳴っている。だから、あくまでも「感じ悪い人」が
減った、くらいの印象にしておく。
ツジカワさん、診察室にお入りください
子宮頸がんの手術をしたときは大学病院だったのだが、「診察室」と書かれた部屋が
いくつも並んでいてそれぞれに番号は振ってあったが呼び出しの館内アナウンスが
いつも小さすぎて「ツジカワサン**番診察室ニオハイリクダサイ」肝心の*番が
何番かマジで聴こえないのだ。私はいつも診察の時*番が聴こえないがために
お笑い番組の〇×クイズを思い出しながら毎回ドアを開けていた。
勢いよく走ってその壁をぶち破って間違えたら粉まみれとか泥まみれになる、アレだ。ノックして開けたら誰もいない部屋だった(ハズレ)というのは何度も経験した。
それに比べてイケメン先生のいる医院はイケメン先生しかいないので診察室は1個なので安心だ。イケメンは一人で十分だ。
よろしくお願い致します、そういって荷物をかごに入れながら挨拶をする。
なるほど、どこをイケメンと判断するかは人それぞれだが、目元が優しそうな好青年だ。マスクの下もさぞイケメンであろうことは想像に容易い。
「今日は・・・咳とケンタイカンですね」
???倦怠感はありませんけど、と答えると「?いや、ネット予約のときの通信欄に
書かれてましたよ・・・」とおっしゃる。
そうか、精六さんが予約する際に私の症状を「なにか」書いたのだ。私の名前で。
「・・・えーっと、ワタシなんて書いてます?」
夫が書いたんですというのはちょっと過保護で照れくさいので、自分でなんて書いたか忘れたテイで聞いてみたら、そこに書いてあった通信欄を見て笑ってしまった。
通信欄 : 一か月以上続く咳と、嫌悪感
ダメだ、笑いで咳が止まらない。
それを言うなら倦怠感だよ、精六さん。気を利かせて?書いてくれて有難いけど!
イケメン先生がデキた人だから内容を汲み取ってケンタイカンと言ってくれてはる
けど!
一か月以上続く嫌悪感のほうが重症やろ。
ゴホす、すみません・・・グフッゴホこんな感じで・・ヒヒ。咳が止まゴホ止まらないんです・・クク・・ゲホゲホゲホゲホ
イケメン先生は、さすがだ。全然笑ってくれない。でも目元は優しげに私を見守ってくれている。これは(おばあさん連中に)モテるわ。
聴診器を服の下から潜り込ませ、私の胸の音を聴く。
はい、背中向けて、おおおきく息を吸ってー・・・はい、吐いてー・・・
お医者さんと言うのは不思議だ。こんなので何がわかるのか、と思ってしまう。
でも、2秒で診断がおりた。
「ぜん息ですね」
驚いた。さっきまで夫の打ち間違いに笑い転げていたが、一瞬で顔が青ざめた。
ぜんそく、ですか。大人の私が。
ただし「軽い」という。
「アレルギー性かもしれないので、フェキソフェナジンとモンテルカストを出しときますね。あと吸入薬でシムビコートを出しときます」
おお、「喘息ですね」の王道セットだ。まさか私にコレが処方される時がこようとは。
これで診察が終わるという雰囲気があったので立ち上がろうとするとイケメン先生が
言った。
「おうちのハスダストは大丈夫ですか?」
なんでしょう、その「頭痛が痛い」みたいな質問は。
これは家が埃っぽくなってませんか?布団は干してますか?という意図だろう、たぶん。
一か月前に咳が出だしたあたりから私もそれを考えて、朝晩のクイックルと週一の拭き掃除(ウェットクイックル)は続けているのだ。
ただ、布団は花粉が原因かもしれないので外には出さず布団乾燥機で済ませているからダニの死骸がどうこうと言われると自信は無い。
診察が終わって精六さんに「
残念ながら精六さんに「一か月続く嫌悪感って書いてたよ」と伝え損なっている。
咳は薬が効いている間は出ないが切れると出る。
吸入薬の回数は60回。イケメン先生に再会できるかどうかのカウントダウンだ。
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