第38話 自転車不適合者
私は自転車に乗れない。
いや、厳密にいえば、乗れるし、進めるし、止まれるのだ。
ただ、曲がれないだけだ。
小さい頃はちょっと遠くへ行く移動手段が自転車しかなかったので
「ふつうに」乗っていたはずなのだが、いつからそうなってしまったのか。
一番古い記憶で言えば、補助輪なしで乗れるようになってすぐの頃だ。
家の前の坂道をノンブレーキで、まぁまぁなスピードで、脚なんかひろげちゃって、まっすぐまっすぐ下っていった。
田舎なので交通量も少なく、360°視界良好。歩道も車道も区別がない田舎道と
くればもう、文字通り「我が道」である。気持ち良かったに違いない。
しかし私に残る記憶は嬉々としたその場面ではなく、ブレーキがまったく間に合わず
突きあたりの田んぼ(稲苗植えたて)にE.Tのワンシーンよろしく吹き飛んで、
前輪からダイブしたことである。
田んぼに落ちて泥だらけになったショックより、植えたばかりの稲を台無しにしたことで親が弁償しなくちゃいけなかったらどうしようとそれを恐れて泣きながら帰った。怒られたかどうかは憶えていない。農家さんのおうちに菓子折りか何かを持って母と謝りにいった(そして泥に埋まった自転車を掘り出してもらった)ところでその記憶は終わる。
我が家(実家)は急坂の途中に建っているので、行きは良いが帰りは押して坂をのぼるときにただの重いお荷物と化すため、高校を卒業と同時に原付バイクを買った。
この話も苦い思い出があるのでまたいずれ書くが、ともあれ、自転車を“現役”で乗っていたのはたぶん18歳までだと思う。
タイトルにつけた「自転車不適合者」であると自覚したのは30代初めである。
十数年のブランクはあれど、自転車くらい乗れると思っていた。
勤めている薬局には“社用車”として1台の自転車があり、銀行に行ったり、近所に配達に行ったりするために置いてあったが、私は車の方がラクなのでその自転車には触れることも無かった。
ところがある日、車で行くほどでもない、かといって歩くと片道10分くらいの患者さんのお宅にお届け物があり、自転車で行くことにした。
・・・「けんけん乗り」はやめておこう。
昔はできたが、もはやどちらの足でケンケンするかも怪しかった。
いざ、サドルにまたがって発進だ。
漕げる、漕げるぞ・・・・!!
めちゃくちゃ気持ちええやん、自転車。
忘れてたわ~。顔で風切るこの感じっ!
無事に患者さん宅にもお届けできて、ここで調子に乗るのが私の悪いところだ。
来た道と違うルートで帰ろうと思ってしまったのだ。
ルールとして車道と同じ進行方向、というのは知っていたが
「細い道なのに一応白線は引いてある車道」に差し掛かり、自転車である私はどこを
走ればいいのかわからなくなった。
このまま漕ぎ続ければ歩行者をはねてしまう。人一人がやっとの歩道なのに自転車を降りて押すと体を横にしても歩行者とすれ違えない。どうする・・・?
パニックになった私が取った策は
「自転車にまたがりながらヨチヨチ進む」であった。
子ども用にキックバイクというのがあるが、まぁ、それのでっかい版と言えなくもないであろう。
足の高さはほかの社員に合わせてあるので少々つま先立ちにはなっているが歩けないことも、ない。ヨチヨチヨチヨチ、時にペダルが脛にぶつかって「うっ」と
そうこうしているうちに車も来てない、人も通っていない状況になった。
これは急いで漕ぎ出して、このヨチヨチゾーンを脱出するしかない。
いざ漕ぎ出して5漕ぎ目くらいで気が付いた。
目の前が直角の曲がり角である。しかも道が狭い。頭の中で直角を曲がるイメージをしてみたがもう遅い。
ガッシャーン・・・
自転車もろとも車道に倒れこむ30代・女。
あれで後方からバスでも来てたら、私は今この世にいない。
だいぶ派手に転んだので遠くでそれを目撃していた方などから
「だいじょーぶかー?!」と声をかけられたりもしたが、「ころびました~」と
見てたらわかることを言ってそそくさと会社に戻った。
自転車はハンドルカバーが若干ギザギザに削れただけで壊れなかった。
それで懲りればいいものを、その数か月後にまたも自転車に乗りたくなった。
今度は曲がり角もない、歩道も車道も狭くない、なんなら店から看板が見えている
すぐそこの郵便局である。普段は歩いていくのだが、たしかその時は事務員が
私ひとりでそんなに長く席を離れられない状況だったと推察する。
ペダルに片足を乗せ、軽やかに漕ぎ出す。
するとちょうど郵便局の手前でヘルメットをかぶったおじさんが
「あっち側通ってんか」と棒を振りながら誘導してくれた。
私からすれば逆走になるがもう少しだからいいかと反対車線に舵を切った。
ら。
まさにそこにある縁石が見えず、前輪がひっかかり、自転車ごと一回転した。
一回転。表現は盛っていない。つんのめって、
カゴ→ハンドル→私の肩→私の腰→私の足→自転車の後ろの荷台
の順番に地面に着いたということである。
なにしろ驚いたのはヘルメットおじさんである。
まず第一声が「無事か?!」だった。自身はどう回ったのかわからないが、意外に
痛みが無かったので「ころんじゃんました~」と笑って過ごそうとしたが、
自転車はカゴがひしゃげ、サドルが変な方向に向いて、到底「自損」とは思えぬ
“ほぼ大破”であった。
切手を買いたかっただけなのに。
実際はショックで痛みに気づかなかっただけで、ジーンズの下でしっかり膝を出血しており、その痕はいまでも黒ずんで残っている。
短期間で2回も転んで、且つ自転車を廃車にしたこともあってそれ以来自転車には
乗っていないし、会社でも私だけ乗車禁止令が出ている。
この話は「あまりよくない思い出」として夫・精六さんにも語り済みで、彼もまた私に「自転車乗車禁止令」を出す人の一人だ。
憧れの場所がある。
関西サイクルスポーツセンターだ。
そこには二人で漕げる自転車というものがあるらしいので、いつかは精六さんと一緒に乗ってみたい。
当然、私が前の席で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます