第31話 こわいはなし
先週の、或る朝のことである。
夜の話ではないからといって、油断してはいけない。
「こっわ!」と思ったら遠慮なく降読していただくことをお勧めする。
日課として、私は起床するとまず、冷蔵庫へ向かう。
トイレより先に、顔を洗うより先に向かうので、ほとんど目は開いていない。
下から2段目の冷凍庫の引き出しを開け、ラップに巻かれたカチコチの
ごはんをひとつ取り出す。精六さんのお弁当用だ。
弁当用にしては大きめなのは、弁当箱に入りきらなかった分で小さなおにぎりを
作って私たちの朝ごはんにするからだ。
そのごはんがだいたい7分であたたまるので、その時間を使って洗顔、歯磨きを
済ませる。ここ数年変わらないルーティンだ。
その日の朝もいつもと同じように、冷凍された白いかたまりを右手に持ち
電子レンジへと進む(進むと言っても二歩くらいなものだが)。
左手で電子レンジの取っ手に手をかけ手前に引いた
そのとき。
その手元あたりに羽をばたつかせる白い物体が視界に入った。
「うわぁあああ」野太い悲鳴をあげて、反射的に電子レンジの扉を閉じた。
強制的に覚醒させられ、見開いた目の大きさと脳の活動が一致しない。
ナニ、イマノ・・・。恐る恐る、扉の窓から中を覗いてみる。
・・・いない。今度は自分の真上や背後を確認する。いない・・・。
ではやはり、電子レンジの中にいるのだ。
さきほど一瞬見えた感じは、蛾か蝶。開けてバタバタッと飛び出して来ても
まあ、多少の銀粉を浴びる程度で、そんなに害はなかろう。
せーの!
・・・いない。庫内に身を隠せるような障害物は無い。
さっき、慌てて閉めた扉で挟んじゃったか?!と背筋が寒くなったが、それらしい
痕跡もない。
えー・・・?
見間違いにしてはリアルだったけど。
ものすごい速さで逃げたのかな、
そうだ、そうだ、きっとそうに違いない。
気を取り直して、冷凍ごはんをレンジ庫内中央に置いて扉を閉めようとした
そのとき。
バタバタバタ!!
うぇーーーーいぃぃ?!
またしても手元に羽が見えた。今度は胴体も見えた。
蛾、だ。
電子レンジの、開いた扉にぶち当たっている。
しゃがんで、開いた扉の下を覗き込む。・・・居る。
膝を伸ばして、開いた扉の上から見下ろしてみる・・・居る。
えー・・・・っと?
おおかたの答えは出ているのだが、念のためにレンジの扉を閉じる。
・・・うん、居るね、扉のなかに。
8年前に買った電子レンジだが、最新式のものでも構造はそう大きく変わって
いないだろう。電子レンジの扉はマイクロ波を遮断するために二重窓構造に
なっておりその二重窓のなかに、白い蛾が一匹、入っちゃってるんである。
そしておわかりだろうが、マイクロ波が万が一にも漏れないために、
蛾どころか、コバエの赤ちゃんですら入る隙間はこれっぽちも開いていない。
こうなると、もう、イリュージョンである。
♪チャラララララ~~~~チャラララララ~~ラ~~~~
あの音楽が脳内再生される。
心の中でワン・ツー・スリーと数えて力強く開けたり閉めたりしてみたが
うちのプリンセスは華麗に出てくることはなく、途方に暮れて扉の内側で
じっとしてたまに羽を揺らしている。
入ったからには、出口を知っているのはこの
まあ、そのうち出てくるだろうと思った1秒後に手を止めた。
このまま電子レンジって使っても大丈夫なんだろうか・・・?
マイクロ波が漏れないための二重窓。しかしプリンセスはいま一重でしか守られて
いない。ラップに巻かれた白ごはんをあたため過ぎたときのことを思い出す。
ラップが膨張して、最悪の場合ラップがはじける。
電子レンジの仕組みを語れるほどの知識はないが、とどのつまり、庫内にあるものの
水分が動いてあったまるのだから、その、つまり、その、
いやぁああああああああ!!!!
そりゃ、いままでだって害虫を何百できかぬほど仕留めてきた。
しかし、この目の前の蛾は蝶に似ているからかもしれないが、ヤルには
まぁまぁな覚悟がいるのだ。ボタンをピッと押すだけで
目の前で爆死してしまうかもしれないなど、ものすごく寝覚めが悪いではないか。
たしかその日私は公休で、予定は実家の母「86)に会いに行くことくらいだった
ため時間に余裕があった。
「電子レンジ 扉 外し方」だったと思うがそんな検索をしてみたら、同じく
蜘蛛が入り込んで悩んでいる方が『知恵袋』に質問をしていた。
結果的にアンサーは「扉は外せない」というものだったが、目を引いたのは
質問そのものだ。
「普通に使えているのですが、見た目に気持ち悪いので」と書いてある。
すごいぞ、質問者。爆死を恐れずに使ったのか。
ということは、一重でもマイクロ波は防げているということになる。
頼るのはこの知恵袋のやりとりのみ。あたためをスタートさせて悶え苦しみ始めたら
手遅れかもしれないが、止めよう。7分温めている間にボトッと下に落下したとしてもレンジを停止しよう。優しいとかではない。拷問スイッチを押すのがヤなのだ。
いざ、スタート。
ブゥゥゥン・・・・
電子レンジ独特の稼働音、そして庫内がほんのりライトアップされ、窓にとまる
プリンセス(蛾)を幻想的に浮かび上がらせている。
30秒、変化なし
1分、変化なし
2分、バタバタと飛んだりしているが、元気そう
5分、窓から見えるギリギリのところに移動
6分、とまったまま、羽を揺らしている
あたため終了、生存、確認
爆死することもなかったのでこちらも少し大胆になって、お次は精六さんの好きな
冷凍おかずを2品温めた。それでもプリンセス、生きている。
起きてきた精六さんに事の顛末を話したが、「入れたんやから、出れるやろ」と
楽観的な返事が返ってきた。
こういうのを厭悪する人でなくて、本当に良かった。
私も気持ち悪いとは思ってはいるが、厭悪するほどではないからだ。
さてと、である。
精六さんを送り出して、勝手に囚われの身になっているプリンセスと二人きりに
なった部屋で、私は知り合いの電気屋さんにLINEを打っていた。
精六さんのお友達で気安く、たまにご飯も食べに行く間柄だ。
「・・・というわけなんだけど、電子レンジの扉って分解できる?」
電気屋さんなので、分解できる道具をお持ちかなと思って訊ねたわけだが
「分解も、取り外しもできないよ」と来て、さらに
「そんな大きいのが入れるわけがないから、なかで羽化して出てこれんく
なったんちゃうかな」と続いた。
私も、中で成長した説については考えたのだが・・・
新たに、3W(Who?誰が/When?いつ/Where?どこ)問題勃発である。
まず、蛾の生態について調べ・・・ようとしたが、うっかり画像検索をして
しまったために、卵の集合体を見る羽目になってしまい断念した。
と、いうことは、だ。
Who?・・・プリンセスの母親は(ああ、やだ)
When?・・・どの段階で大量の卵を産み付け(もう、書くのもやだ)
Where?・・・集団で生まれたであろうプリンセスの兄弟たちはどこへ・・・?(失神しそう)
だめだ、むり。こわすぎる。
私はいまからスゴイことを想像しなくてはいけない。
1.8年前、電子レンジ出庫時には窓の中に卵があり、生まれた。食べ物がなく
兄弟の屍を食いながら大きく成長したのが、この子
2.8年前、電子レンジ出庫時には窓の中に卵があり、生まれた。マイクロ波で成長を遂げる突然変異、将来モスラ
3.閉じ込められてる感を出しているが、実は出入り自由。住んでいる。
4.やっぱり、イリュージョン。ただし、脱出失敗。
いやぁああああああああ!!!!
全部違うとわかってはいるものの、実は「1」が信ぴょう性を高めた事件が、
その日に起こった。
プリンセスを部屋(電子レンジ)に残し実家へ行き、5時間後に帰宅すると、
なんと一匹の蛾がガスコンロの上で羽を休めているではないか。
まさかの「3」が正解?!私は素早く蛾の羽をつかみ、玄関へ向かった。
蛾の銀粉くらい、洗えば落ちるのだ。
ドアを開け、外に放って、ヤレヤレと思って戻ると、プリンセスは出かける前と
同じように窓の中で飛んでいた。
自分の生活圏内で、同日に蛾を2匹見ることはあるだろうか。
少なくとも私は、ない。
つまり、文字通りつまみ出したアイツは、プリンセスの仲間ということになる。
まさか・・・「1匹見たら」の法則が蛾にもあるのか・・・?
全身にサブイボをたてながら、部屋の死角にも目をこらす。カーテンの裏も。
一応、いない。ちょっと安堵する。
そしてまたその二日後には精六さんがまったく同じ経験をしたのであった。
私の話を先に聞いていた彼は、まず天井にとまっていた蛾をつまんで玄関から出し、
私と同じように電子レンジを見に行ったそうだ。
ぱっと見で居なかったため「今度こそ!」と思ったら、数分後に登場したらしい。
特徴がそんなにないため、はっきりとはわからないが「もう一匹のほう」は
“同一蛾”で、プリンセスの身内か恋人なのではないか、ということになった。
部屋で生まれたのではないとするならば、私や精六さんが玄関ドアを開けるタイミングで一緒に入って来てるのだろうし、二度とも電子レンジの近くで発見されている
ので助けに来たか、(勝手に)囚われた仲間を労いに来たかだとは思うのだが。
これも「そうなると」だ。
プリンセスが救援信号を出し、それを「もう一匹のほう」がキャッチできたということになる。蛾にそんな能力あるんだっけ。え、なに、ここ、腐海?
もしくは「イリュージョン脱出成功したほう」なのかもしれない。
もう一度あの音楽を脳内再生する。
思ったより長い内容で“降読”できなかったかたには、最後にご報告しておく。
プリンセスが、今朝から姿が見えない。
いやぁああああああああ!!!!
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