第18話 母(85)東京へ行く
母は七人兄弟の四番目で、そのなかでも一番仲良しで心を許していたすぐ下の
妹、私にとっては叔母にあたる方が亡くなったのは今から5年前のことである。
そういえば最近連絡がないなと思っていた矢先に届いた訃報。
一年ほど自宅で過酷な闘病生活を送っていたことすら知らず、その報せを受けた母の
嘆きは相当なものであった。
私は関西圏の端っこ、嫁ぎ先の精六さんちはさらに古い土風が色濃く残るところで、人が亡くなったらあーしてこーしてあっち行ってこっち行って・・・みたいな
段取りが、まま少しのアップデートはあるものの、百年以上は変わらず受け継がれて
おり、極端に言えば亡くなってすぐの三日が山場という感覚だ。
だが、どうやら都会は違うらしいということを知ったのは、叔母が亡くなったその時だ。
まず、火葬場の予約が一週間後にしか取れない。「キャンセル待ち」など無いから、
もっと待つ場合もあるという。
叔父・叔母は宗派を持たないため、クラシック音楽が静かに流れる会場で、故人を
偲び思い出話をして火葬の時を待つ「音楽葬」という形式で執り行われた。
お墓も無いからと、樹木葬を希望されていた。
その樹木葬(霊園の一角に植えられた樹木の下にお骨を納めて、その樹木に手を
合わせる)も抽選だとは聞いていたが、納骨式の案内が届いたのはなんと亡くなってから四年後の、去年のことであった。想像以上の狭き門である。
去年、納骨式の案内状をいただいたのが父を亡くした直後だったこと、
日取りが数週間後に差し迫っていたこともあって出席を辞退したのだが、
そのときの母のクヨクヨした顔がずっと忘れられなかった。
父、つまり母にとっては夫が亡くなった時「骨が怖いから見たくない」と火葬場を
出て行った母。夫の故郷の墓への納骨も参加しなかった母。
だから「妹の納骨式に行きたかった」と悲しむ姿を見て、娘の私としてはモヤモヤ
したものがずっと渦巻いていたのだが、
そんなところに今回、私の勤め先のM&A(身売り)話が降って湧いた。
一旦、新入社員扱いになるため半年間有給休暇が取得できなくなると言われ、働き方
も今後どう変化するかわからないし、気になっていることは一個ずつクリアにして
いこう、と急に思い立った。
母は自分の気持ちに素直なだけなのだ。
妹、大好き、夫は・・・、そういうことなのだ。
父よ、落ち込まなくていい。生前からそうだったではないか。
私の母は、ブレない女だ。
ブレないのは、旅先に持っていく荷物も「そう」で、一泊二日なのに私たち二人の
荷物の倍はある。しかも、重い。
「何かあって、そこで数日間生活することになっても大丈夫なように」がコンセプトらしい。でもそのわりに飲料・食料はない。主に着替え。メモが必要になるかもと、
とても立派な表紙が付いたノートに、直近の血液検査の結果用紙も挟んである。
痩せて、おしりの皮が擦れて痛くなるのでオロナインの壺も入っている。
ポンプ式のマウスウォッシュのボトルも入っている。小分けにして半分置いて行こう
と言っても、聞かない。
到着してから気づいたが、数珠も7、8本持ってきていた。
誰かが忘れたときのために、と思ったのだそうだ。
全員が忘れたとしても数本余るやないかい。
そうかと思えば到着してから「ストッキングを忘れた」と言い出し、数軒立ち寄った
コンビニには売っておらず、一番軽いものを忘れるなんて母らしいなと、少しおもしろかった。
精六さんは水曜日が定休日なので、木曜日に公休をとって連休にしてもらった。
今回の旅、精六さんの協力無しでは実現しえなかった。
母は普段の生活は
マイ車椅子を積んでいく。
思えばこの車椅子も、この叔母が亡くなったときに東京まで新幹線で移動するために
急遽ネットで購入したものだ。
荷の積み下ろしもそうだが、なにより5時間以上のロングドライブを引き受けて
くれた精六さんの優しさに頭が下がる。
その代わり、ではないが、母の出資ということでちゃっかりグレードの高いホテルを
予約した彼のしたたかさが有難かった。介護に巻き込んで申し訳ないと思う私の心が少し軽くなった。
思いのほか道もすいていて、現在は叔父(母にとっては義弟)が一人で住む家に到着
したのは13時頃。
叔父のナビで霊園に案内してもらって、そこで東京在住の母の一番下の弟(11歳
下)夫婦とも合流して、初めて樹木葬というものを拝見した。
サークル状に囲まれた人工の丘に、これからもっと大きくなるであろうイチョウの木が堂々と立っていた。
あの木の足元に骨を納めたんですよ、と叔父が指さしたところにちょうど芝刈りルンバが横ぎっていく。
とても静かで、美しい。
人気だというのが、ちょっとわかる。
いろんな考え方があるだろうが、ここの樹木葬を選んだ叔父が叔母のことをとても
大切にしてくれていたのが伝わったし、いまも愛してくれているのを感じ、嬉しかった。
この日もとても暑くて、せっかく来たのだからとまた叔父の家に戻って
母の弟夫妻も含め六人でお茶をすることになった。
ナニということは無いのだが、まあ、みんな、しゃべるしゃべる。
伯母(母にとっての義妹)がコロナに罹った話、普段通り過ごしたのに伯父には
抱えている持病の話に花が咲き、あ!と言う間に2時間以上経っていた。
宿を取った横浜までは一時間半ほどかかるということで、あたりがほんのり暗く
なってきた頃に、おいとますることにした。
母は普段、ずっと家に居る。
出かけるのは、数か月に一度の通院の日くらい。
先ほども書いたように、出かけるとなるといろいろ不安になって荷造りを
してしまうタイプなので、家に居るほうが気楽だと本人は言っている。
そんな母が、今日は一年分くらい喋ったり笑ったりしていた。
この数時間だけでも、意義のある旅行だった。
あとはホテルの駐車場に車を置いて、横浜中華街で精六さんにハイオク(生ビール)を入れて眠るだけだ。
その横浜までの道中で、母がぽつりぽつり呟いている。
「やっぱり・・・すごいな」とか聴こえる。
「何がスゴイん?」後部座席の母に話しかける。
「え?ほら・・・さっきY子さん(義妹)がコロナに罹った話、してはったやんか」
確かにしていた。つい先日までひどい咽頭痛に悩まされていたという。
ただ熱はそんなに出なかったから、家でテレビ三昧の生活だったわ、とも。
「やっぱり、イソジンて効くんやな。おかあさん、カバンに入れてきたねん」
ルームミラーに映る母はどこか誇らしげだ。
そのカバンの中、イソジンうがい液も入っていたのか。重いはずだ。
しかし、だ。
Y子さんはそんな話はしていなかったよ?
「してはったやん。イソジンにお世話になったって、言うてはったやん」
あ。
Y子さん、たしかに言っていた。
コロナに罹ってる間、家にいるしかなくて、テレビ三昧、
特にネットフリックス三昧だった、と。
おかげで、気になっていたドラマを一日3本立くらいで観られたのよ、と。
そして、言ったのだ。
「イ・ソジンにはお世話になったわ~」
と。
そう、韓国の俳優さん、イ・ソジンさんのことを言っていたのだ。
ほぼ同じなので「聞き間違い」ではないのだが、精六さんの「言い間違い」を
書いたあとだったので、大笑いしながら複雑な気持ちになった。
残るカードは「覚え間違い」か。
それだけは引きたくないと思った。
横浜中華街で入ったお店は、あとから見てみたら星二つ半の口コミ評価だったが、
とても美味しかった。
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