第17話 怒られ上手-②-

 Xさんは、コロコロが付いた後ろ手に引くタイプのカートを携えて買い物に行く。

特に伝言がなければ「いってきます」の一言もなく出かけていく。


私は毎回、祈る。

Xさんが居ない間、患者さんが来ませんように、と。

痛かったり、しんどかったり、体調不良現在進行形の患者さんを追い返すのは

本当に、本当に胸が痛いのだ。

薬剤師さんがいないから薬が出せませんと伝えたときに「は?!」と怒りを滲ませ

られたりなんかしたら、もう、心臓からちょっと血が出てるんじゃないかと思うほどだ。


しかしその日、私の祈りは届かなかった。


Xさんが出ていって5分も経たないうちに、自動ドアが開いた。

その患者さんの顔を見て、心の中で「わお」と思った。


私は人の顔が覚えられないほうだが、この方はわかる。

マスクをしててもかなりの男前だ、ということもある。

でもそれで記憶に残っているのではない。

「絶対!先発医薬品で出してや!」が口癖で、まま強めのココロのお薬を、

同じ月内にいくつも病院を替え、薬局を替え、オーバードーズ気味に服用されて

いるのではと噂されている患者さんで、目のバキバキ感がマスクを着けることで

より際立っている。対応をミスったどこかの薬局で怒鳴られたとか、物を投げて

暴れたとかそんな噂も流れてきていたので、

最重要課題は「怒らせないこと」・・・なのだが。

文章の都合上「カミナリさん」と呼ぶ。雷が怖いから。


カミナリさんは、処方箋をこちらに渡しながら

「もう、用意できてると思うけど」と言う。

先に薬が用意してある棚をチラっとみても、カミナリさんの名前は無い。


「こないだココに来た時、おたくの社長さんにこの薬が先発で揃うか?って

訊いたら、この薬ならいつ来てもらっても用意できますて言うとったで」


再度、処方箋に視線を落とす。

たしかに。これならすべて先発品で揃いそうだ。


だがしかし。


カミナリさん・・・いまね、薬剤師さんが・・・その、用事でほかの薬局に行って

まして・・・あと30分は帰ってこないんです、よ・・・


ほんのり嘘を混ぜながら、カミナリさんの顔色を伺う。


バッキバキの目で私を見つめ返すカミナリさん。

大丈夫。まだ、対応はミスってない。はず。


30秒くらい無言で見つめられ、カミナリさんは我に返ったように

「おかしいやんか。いつ来てもらっても用意できますって言うから来たんやで?

この時間に来てくださいとか、この時間は来ないでくださいとか言われてないで?

しかも僕、金曜か土曜に行きますって言うといたわ、たしか。

金曜やん。今日やん。なんで出せへんの。」


(ド正論でございます。)


まずい。まずいぞ。カミナリさんがヒートアップしてきた。

「その、いま出て行ってるひとに連絡つけてえや、なあ?」

(スマホ、持ってって無いんですよ。ていうか、Xさん、私に連絡先教える気なんて

カケラもないから090か080かすら知らないんです・・・)


(カッコ書き)の部分は私の心の声だが、その間にも謝り、明日ではダメですかと

食い下がったが「ダメ」で、いま私ができることを必死で考えていた。


私の悲しいばかりの狼狽えがカミナリさんの心を打ったのか、

突然「おたくの社長さんって、円楽師匠に似てるよね」と言い出した。


似てると思ったことはなかったが、まあ、系統は似てるかもしれない。


「円楽さんに電話してよ」


私もソレはさっきから考えていた。

いつでもどうぞ、と返事をしたのは社長だ。カミナリさんとのやりとりも

憶えているだろう。


しかし、だ。もう、そればっかりだ。


しかし、社長に電話したら当然「Xさんは、どこ行っとんねん」となる。

もちろんそうなっても良いのだが、

社長が先に到着しても、Xさんの後に到着しても、どちらにしても修羅場が

想像できる。

そもそも社長とXさんは、おそろしく仲が悪い。

Xさんが社長を毛嫌いしていると言うほうが正しいが、お互い嫌いあっているのを

隠そうとはしていない。


ということは今ここで私が社長に電話をして、Xさんと社長が鉢合わせしたら

社長はXさんを叱るだろうが、Xさんは「社長に電話したの?!信っじらんない!!」と私にキレるだろう。


第2案として、私のホームであるB薬局に電話をして、A薬局にも登録がある

薬剤師さんを呼ぼうかとも思ったが、彼は今朝から手足がしびれるからと首に

カラーを巻いていた。

そんな体調の悪い人に今すぐ自転車で来てくれというのは酷というものだろう。

ましてXさんが帰ってくるほうが早かったら、私はその薬剤師さんに怒られて

しまう。


カミナリさんはかなり私に気を許して、若かった頃の話などをしてくれている。

この調子ならXさんが帰ってくるまで引き延ばせるんじゃないか、と期待して

時計をみたら、まだ10分も経っていなかった。

無理や・・・あと30分も引き延ばす自信がない。


カミナリさんも、私の出方を待っている。

「ほんで?連絡ついた?」


誰ともつけてないし、ついてない。

カミナリさん、いまは優しいが30分後もそうである保証がない。


よし。どうせ怒られるなら・・・


私は受話器を取った。


ウチの系列店・K薬局に電話をかける。

K薬局は、Xさんが向かったスーパーの一階にある。


そう、館内呼び出しをしたのである。


K薬局の店長さんにお願いをして、Xさんを呼び出してもらい

「至急帰ってくるように」と伝えてもらった。


それから10分後くらいにXさんが帰って来て、カミナリさんの姿と

カミナリさんの処方を一瞥し、言い放たれた言葉は


「こんなつまんない用事で私を館内放送で呼び出したっての?!

信っじらんない!!!!!」


であった。「私が居ないんだったら断ってよ!」とも付け加えられた。


ごめんね、も労いの言葉も無しですか。・・・まぁ、そうでしょうね。

追い返せなかった、私の力不足ってやつですね。・・・シンジランナイ。


カミナリさんはXさんが帰ってきたことで薬が出してもらえるから

俄然ごきげんだ。結局30分待たせたのだが、最後は私に手を振りながら

「円楽さんによろし言うといてな」と笑顔で帰って行かれた。

カミナリさんはうちの社長のことをこれからも円楽さんと呼ぶのだろう。

本人に直接呼びかけるところを一度見てみたいものだ。


でも、それもカミナリさんが年内に

A薬局に来てくれないと叶わないかもしれない。


我が社が、売りに出されることになったのだ。

M&Aである。


噂も、予兆も、なにも無かった。

発表があったときは、本当にビックリした。

なぜ求人を出さなかったのか、その謎が解けた。


「なにも。なにも変わらないから、安心して」と社長は言った。

「変わってくれなきゃ、困るんですけど?」

喉まで出かかったが、言わずにおいた。


Xさんとのタッグも、いきなり「あと数回」になった。

Xさんから直接聞いたわけではないが、どうやら退職するらしい。

私にとっては願ったり叶ったりな気もするし、こんな幕引きになるとは

思ってもみなかったので、まだアタマがついていかない。


社長・円楽さんとも年内いっぱいでお別れだ。


魔除け、厄除けの石を集めていた身としては、なんというか、ちょっと

「これって・・・」と思ってしまいそうだが、そんなスピリチュアルとか

オカルトめいたことを言うと精六さんが怒りそうなので、言わない。

怒られ上手とは、そういうことだ。

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